余命14日間の彼女と、青信号を渡れないボク *12話*(最終話)
それから数日後、病院を抜け出した。いつも通りに検査を受け、いつも通りの日常を送った。”火曜日の15時” 病棟に到着する郵便配達の時刻に合わせて、私は病室を出た。
手紙を受け取った母は、それが私の置き手紙だと気づいて、追いかけてくるだろう。けれども、もう病院の電子音を聴きながら眠る日々は、耐えられなかった。残りの命を空気の澱んだ病室で送るなんて、まっぴらごめんだ。
—— 自宅の玄関を開ける。
家の扉を閉めると、途端に先ほどまで喚いていた蝉の音がパッと消えた。代わりにムッとした夏の籠もった熱気と懐かしい家の匂いに包まれ、不意に嗚咽が込み上げた。
「私、今家に帰ってきたんだ」今まで叶わなかったことを、思いがけず叶えてしまった。感傷的な感情をグッと抑え込んで、父親の書斎へと向かう。パソコンデスクの隣には小型金庫が置かれている。
「番号変わってないといいんだけど」
私の誕生日を入力すると、ビーっと電子音が流れ、金属の重い扉が開いた。罪悪感はある。ただ、この金庫の中にある札束を使う理由は、父の理由よりずっと価値があるはずだ。
だって私の残された時間は僅かなんだから。紙の束を掴んで、無造作にショルダーポーチの中に入れてから、自分の部屋へと入った。
「うわー。懐かしい。てかピンクすぎー。なにこのメルヘンな部屋。こんな趣味だったっけ? 私」
5年ぶりにみる自分の部屋を堪能してから、クローゼットを開ける。中学時代に進級するときに作った制服は、今もクローゼットの手前にクリーニング済みのタグをつけたままぶら下がっていた。
中高一貫校の学校に合格したあと、制服の採寸へと都心にあるデパートに行った。あの時の両親と一緒にデパートの屋上にあるおしゃれなカフェで、桃のパフェを食べたことを思い出す。
「そうそう、甘く煮た白桃のグラニテとフレッシュなカットされた桃がたっぷりと乗ったパフェに、はしゃいだんだった。懐かしい」
店員が言った言葉は、一言一句覚えていた。いつかまたあのカフェへ行くことを信じて疑わなかった。いつかあんなおしゃれなカフェでバイトをしてみたい。そんな夢を思い描いていた。制服を受け取った日も、家に持って帰ることを待ちきれずに、新しい制服を身につけて、以前訪れたカフェへと両親と入った。
はしゃぎすた私は、鼻血を出すほど興奮して、心臓のドキドキが止まらなくて、今にもはじけてしまうんじゃないかって思うほどに、幸せでいっぱいだった。
—— そして弾けた。
店内で意識を失った私は、
私を救った病院のベッドの上で、”私の心臓は穴だらけだ” と、知らされた。
ビニールを破り、制服へと袖を通した。ぶかぶかだった制服は、ボタンを止めるのもやっとな程で、プリーツスカートの丈も膝が出るほどに短くなっている。
「うわー。私すっごく大きくなってる」
姿見の前でくるくると回ってみる。パジャマで過ごしている日々のなかで、制服を着た自分の姿は新鮮に写った。まるで未来からやってきた自分を見ているかのような奇妙な浮遊感を感じながら鏡の中の自分に笑いかける。
残りの時間を確認する。私の誕生日から指をおってカウントダウンをした、ちょうど一月の半分ある。これだけのお金があれば十分生活できるんじゃないだろうか。
時間を過ごすのなら、なにをしよう?
どんなことをして過ごそう?
楽しいことを考えたら、心臓がどくどくと早鐘を打つのがわかった。
「落ち着け、落ち着け私」
呼吸を整え、もう1人の私にセーブをかける。ピロンとスマホが鳴った。母からのメッセージには「今どこにいるの?」とだけある。どうやら病院を抜け出したことに、母が気づいたようだ。あまり考えている時間はなさそうだ。
再びピロンと音が鳴った。推しのインスタがアップされている。
「友人の店の手伝いしてるよ。#ゴーストシャーク #ユーチューバー、【しんごうき】のアオ #遊びにきてね」
のメッセージの隣に、お化け鮫の壁画の隣に立って、ギャルソンエプロンを身につける推しがいた」
「決めた。私の残りの時間の使い方」
スマホをスカートのポケットに押し込み、家を出た。
Side アオ
「ずっと、蒼央さんのそばにいたかった。死ぬまでずっと逃げ続けたかった。
けれど、もう一つ大きな欲が生まれたんです。
余命14日間だけじゃなくて、もっとずっと一緒にいたいっていう罪深い願いを抱いてしまった…。
だからもう逃げるのは終わりにしました。
たとえその願いが叶わなかったとしても、きっと今の私なら後悔しない。
あなたと見た海が最高に素晴らしかったから。この街を好きになってしまったから。
だから勇気を出して一歩踏み出しました。ねえ、偉い?
きっとこの手紙が蒼央さんの手に届く時、私は手術を受けていると思います。
成功するかな? 成功したらいいな。
どんな結果になっても、あなたに会いに行きます。
蒼央さんのこと、一生推します。ううん、死んでも推し続けます。
PS.
あの100万円は、悪いことをして手にしたお金ではありませんから安心してください。
と、海斗さんに伝えてください。
調月 志歩 」
手紙を読み終えると、母親が凛とした態度で、僕の隣へと、スッと一歩前へと出た。
「……志歩は幸せだったと思います。貴方と過ごした時間は、志歩にとっての宝物でしたから」
ぽつりと志歩ちゃんの母親はこぼした。もし彼女が、どんな爆弾を身体に抱えているのか知っていたのなら、彼女を誘っただろうか。 あの海で泳ぐことも、彼女がする行動の全てを抑制していただろう。1秒でも長く生きることを望み、病室へと戻るように。きっと、目の前で透明な涙を流す母親と同じ言葉をかけていたかもしれない。
何も知らなかったから、本当に余命14日間だなんて思ってなかったから。
彼女といつかまた出逢えると思っていたから。
だから僕は青信号を渡れたんだ。
「志歩がしたいこと、貴方が叶えてくださったんです。本当に、ありがとうございます」
母親の震える感謝の言葉を聞きながら、視界が暗くなるのを感じた。志歩ちゃんの母親は悲しみながらも微笑みを浮かべる。ずっと、この日がやってくることをわかっていたからそんなふうに微笑むことができるんだ。
でも僕は違う。
彼女とのさよならを信じきれなくて、この世界のどっかで息をして笑ってることを想像してた僕には、心の準備なんか出来ていない。それなのに身体だけが、彼女のいる場所へと引き寄せられるように手術室のゲートへと向かっていた。胸ポケットの中で不意に小瓶が揺れた。はっと気づいて、ガラスの小瓶を指で摘み出す。
「これ……、志歩ちゃんに、渡しそびれてたやつ」
それは、海ほたるを細かくすりつぶしたものだ。コルクの蓋を外すと、磯香りが鼻をついた。小瓶を振り、瓶の中の粉末を床へと広げる。
「な、なにをしてらっしゃるんです?」
志歩ちゃんの母親が、床に粉を撒く僕を訝しげな表情で眺めている。クーラーバッグの中から、水のペットボトルを取り出して、封を開けた。粉末を広げた上へと水を撒くと、途端に床が薄らぼんやりと光りだした。水を吸い、徐々に光が強まっていく。その様子を見ていた志歩ちゃんの母親が、「これは、一体……」と驚きの声を上げた。
「志歩ちゃん……、僕が君の道標になる…。ここだ。ここが、僕の隣が、君がいる場所だから。だから、そんな狭っ苦しいところなんか出てこいよ。 ほら! 進め! 進めよ!」
思いを告げながら、床へと小瓶の中身をぶちまけた。すると、看護師の1人がこちらへと近づいてきた。
「ちょっと、何してるんですか!」
こんなことをするのは馬鹿げてる。頭のおかしな奴が現れた。そう誰かが笑うだろう。スマホを向けて、僕を撮ればいい。いくらでも拡散すればいい。ネットの世界で顔が晒されることには、慣れている。
だから、いくらでも晒して、ディスって、僕を笑えばいい。負け犬と呼ばれようとなんだろうとかまわない。それで彼女の隣に並べるのなら、彼女と手を取り進めるのなら、そんなことちっぽけなことなんだよ。
「こっちだ! 志歩ちゃん!」
さらに外へと向かい、床へと海ほたるの死骸粉を撒く。一条の青白い光の道がラテックスタイルの床に道を作る。床に輝く道は夜に見た砂浜の上に浮かぶ青い月のように三日月型に伸びていた。
キラキラと輝くその道筋が、非常用扉の前へと差し掛かる。もうその先は外だ。ギラギラの太陽が照りつける世界まであと数歩。と、なったところで、小瓶の中が空になった。
「嘘だろ? あと少しで外なのに!」
と、悪態をつく。
愕然とし、その場に腰を下ろした。どこからかくすくすと笑う声が聞こえた。はたと顔をあげると、制服姿の志歩ちゃんが廊下に立っていた。青い光の筋を見つめ、彼女は嬉しそうに微笑んだ。そんな彼女へと僕は手を伸ばす。すると彼女は僕の人差し指をキュッと握った。
「蒼央さん、見つけた…」
彼女を抱きしめようと両腕を伸ばしたその瞬間、僕の背後の扉が開いた。熱い潮風が病棟へと吹き込み、少女の幻影を消し去った。開いた扉の先には、大きな入道雲が見える。青い光を舞い上げた空は、どこまでも澄んでいた。
(了)
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