よく分からないアンボイナ活用法
もう散々いじられまくっていると思うんですけれども、推理小説の世界はとにかく殺人事件が多いわけです。もちろん、現実のニュースを見ると毎日のようにそういう事件が扱われるわけですが、それはマスコミ関係者の方々が全国で起きた事件を丹念に拾い上げているからで、普通に暮らしていれば殺人事件が日常的にある生活にはまずならない。推理小説が一番物騒なくらいです。
なんでそんなに物騒かって、きっと話が盛り上がるからだと思います。何しろ殺人は非常に大きな出来事です。ひとたび目にすれば、これからどうなってしまうんだろうとハラハラする。それでいて本の中で起きている事件なんて、読者からしてみたら対岸の火事どころではありません。住んでる次元が違うというか、こんなこと書いては野暮なんですが、現実に起きてるわけじゃないですし。だから、安心してハラハラできる。推理小説が人気なのもうなずけます。
当然、推理小説の世界では現在に至るまで様々な殺人が繰り広げられてきたでしょう。よそとかぶらないオリジナルな殺人を生み出そうと日々頑張っている小説家も大勢いらっしゃるはずです。そうやって、多くのものが小説内で殺人に使われてきました。
私の友人にそんな推理小説が昔から大好きで、現在に至るまで読みに読みまくっている人がいます。ここでは戸川さんと呼ぶことにしますが、戸川さんは推理小説を読みまくったせいか、私に新しい殺人のアイデアを教えてくるんです。もちろん、「小説内でするとしたら」という前提がつくわけですが、満席のファミレスでも嬉々として新たな殺人計画を私に紹介してくるので、そのうちマジの警察官から「ちょっと署まで」と言われないか心配になる。それくらいの熱量が戸川さんにはあるんです。
これまで多くの推理小説家が世界の至るところで作品を生み出してきました。だから、新しい殺人方法を思いついたとしても、既に別の推理作家が作品内で決行済みであることもきっと多いでしょう。推理小説が大好きな戸川さんもそれを痛感している。だから、戸川さんは数を打つことにしたようです。身の回りにあるもの、身近で起きたちょっとした出来事、何の脈絡もなく思いついたこと、それら全てを片っ端から殺人アイデアに繋げていくんです。戸川さんの知り合いに殺し屋とかいなくて本当に良かったと思います。というか、ファミレスで延々と殺人アイデアを聞く私がどう考えても殺し屋ポジションです。戸川さんが「ちょっと署まで」の時は間違いなく私も一緒に連行されてしまいます。何なら主犯にされかねない。
さて、推理小説でよく使われるものに毒物があります。推理小説における毒物の王様「青酸カリ」を筆頭に様々な毒が活用されてきました。人の手によって作られた毒物はもちろん、生物が本来持っている毒もまた当たり前のように使われ、時には毒を持つ生物が凶器として活躍する場合もございます。
当然、戸川さんも有毒生物の新たな活用法を生み出そうと、日々あれこれ考えていました。例えば、アンボイナです。
アンボイナとはイモガイと呼ばれる巻貝の一種で、毒を持つ貝として有名です。生物の毒にはヘビみたいに噛みついた際に相手へ注入するものから、フグのように食べられて初めて効いてくるものもある。その中に置いてイモガイは歯舌歯という銛のようなものを相手に差して相手に毒を注入するという独特な手法が知られています。そして、アンボイナはイモガイの中でもかなり毒が強いんです。そんなアンボイナは日本国内でも鹿児島や沖縄といった温暖な海に生息し、死亡事件も起きています。
危険なものは往々にして推理小説が手を出します。アンボイナも同様です。検索したらアンボイナがピンポイントに登場する推理小説が出てきますし、「某小説家がお気に入りの毒」と何かのフェチみたいに書かれているサイトもありました。既に多くの先人がいる分野「アンボイナ」に、今度は戸川さんが割って入ります。当然、先人とネタがかぶるのは織り込み済みとばかりに、次々とアンボイナ案を私に放り込んでくるんです。この日、ファミレスで選んだメニューはシーフードパスタと気合もバッチリです。
この日、忘れられなかった戸川さんのアンボイナ案は次のようなものでした。「満員電車の中でターゲットの背中にイモガイをこすりつけるってのはどうですか」。
なんかそれはもう殺人というか、新手の痴漢みたいになっていますね。イモガイが歯舌歯を背中へ発車する前に「ちょっと何してんの君」と他の乗客から注意されて駅員室へ直行です。
現実世界に置いて毒がなかなか使われないのは、入手が大変だとか、入手経路から自分が犯人だとバレやすいとか、いろいろあると思うんですけど、一番はうまく使うのが難しいからだと思います。あのアンボイナだって使い方次第で新手に痴漢になって「ちょっと駅員室まで」になるわけですから。
戸川さんは今日も新たなアイデアを私に提供してくださいました。使い道がないアイデアなはずなのに、本当にものすごい努力です。いや、きっと努力じゃないんですよね。趣味であり、癖であり、娯楽なんでしょう。新たな殺人手段の構築が趣味であり癖であり娯楽。こうやって書くと本当に危ない人みたいです。