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無責任を燃料に壮大な旅路へ

 とあるアパートの一角に、キャラもののビート板が置かれていたんです。もう明らかに可愛らしい動物のキャラクターの顔がでかでかと描かれたビート板でございます。

 最初は、アパートの住民が置いてあるものだと思っていました。でも、違ったようなんです。私がそれに気づいたのは、そのアパートで外壁工事が始まったのがきっかけです。作業員の方々がアパートを包むように足場を組んでいくわけなんですが、その結果としてビート板が足場の外側にポンと置かれるようになったんです。そこで察したんです。「ああ、これはアパート住民のものではなく、落とし物なんだろうな」と。

 落し物が貴重品ならば拾った人は警察に届けるんでしょうけれども、そこまで貴重品でない場合は「わざわざ警察に届けるのもな」という心理が働くようなんです。「ただでさえ忙しい警察官の手をわずらわせるのはどうか」と考えると同時に「そういやあ自分も忙しいんだった」とも思う。一方で「落としている人は困っているだろうな」とも考える。その結果として道の端っこの、割と目立つところに置かれる場合がしばしばございます。落とし主は再びこの道を通るだろうという希望のもと、置いておくわけですね。

 アパートの一角に置かれたビート板もまた、その一環で置かれたものだろうと思ったんです。たぶん、ビート板はアパートの近くに転がっていたんでしょう。それを誰かが持ち主へ戻ることを願ってアパートの一角に置いた。しかし、その願いは未だ届かず、ビート板はアパートの隅に置かれたまま時間だけが過ぎ、外壁工事を機にちょっと移動させられたというわけです。

 その後もビート板はつぶらな瞳を通行人に向けながら、足場のそばに放置されていました。やがて、アパートの外壁工事は終了したのか、足場は解体され、あとには外壁が綺麗になったアパートが残されていました。

 アパートの前をふと通ると、例のビート板がないことに気づきました。何しろビート板は軽いですから、風に飛ばされてしまったのかと思いきや、道路を挟んで向かいに建つ工場の壁にポンと立てかけられ、相変わらずつぶらな瞳をキラキラさせておりました。誰かの手によってビート板が移動していたんです。

 そこで私、こんな話を思い出しました。あれは私が高校生をしていた頃、地元進学校のステッカーが貼られた自転車が、北海道は稚内で発見されたというニュースが学生の間で少しだけ話題になったんです。その自転車は数年前に地元で盗まれたものだったとのこと。

 今はどうか分かりませんが、当時の自転車泥棒と言えば「乗り捨て」がほとんどだと言われていました。つまり、泥棒が自転車をパクると、自分の家に持って帰らず、適当に移動した先で降りて放置する。泥棒としては他人の自転車を我が物にはできませんが、楽に長距離を移動することはできますし、思い切って手放すことで盗んだ証拠がグッと減ります。逮捕もされづらくなる。それゆえに「乗り捨て」をしていたと考えられます。

 乗り捨てられた自転車は、通常は盗まれた場所から数キロ圏内で見つかります。盗んで乗って捨てられる。その過程を経ると大体数キロ移動しているというわけです。しかし、進学校の自転車は放置された自転車をまた誰かがパクり、乗り捨てられた後でまた誰かにパクられ、を繰り返し、数年かけて少しずつ北上していった結果、いよいよ北海道でもかなり北の稚内にまで辿り着いてしまったというのです。山も川も海も超えての壮大な旅路でございまして、久々に自転車を取り戻した持ち主は大学生になっていたそうです。

 ビート板もまた、そんな感じで移動している最中なんじゃないか。私はそう思ったんです。持ち主が見つかればいいとは思うけど、警察に持っていく気にはどうしてもなれない。そんな通行人たちの微妙な無責任さがビート板をじわりじわりと移動させている。そんな壮大な旅の途中だと思ったんです。

 こうなったらビート板には是非とも様々な人の手を借りて北海道の知床とか、なんなら国境を越えてグアムとか、そういう予想もつかないような場所まで行って、つぶらな瞳をキラキラさせてほしい。そう願わずにはいられません。

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