睡眠障害弦楽合奏
寝る時の習慣は本当に人それぞれです。皆さん枕とか布団とか服装とか、こだわりが多かれ少なかれあるはずです。電灯ひとつ取ったって、完全に消す人から弱い常夜灯をつける人、動画を見ながら寝落ちするのがいい人だってきっといるに違いありません。日々の生活の中でいろいろ試し、「自分はこれがいいな」と思ったものを選んだ結果、みんなそれぞれ異なるオリジナルの寝方が出来上がっていくのだと思います。
ひとりで寝る時は自分の方式を貫けます。しかし、家族など誰かと同じ部屋で寝る場合はそうはいきません。自分は常夜灯をつけたまま寝たいのに相手が真っ暗派だった場合、交渉の必要が出てきます。もしくは交渉せず相手の方式を受け入れるのか、自分の方式を貫き通すのか。いずれにしろ、自分の寝方に影響が出てきます。
私の小さかった頃を思い返すに、母は寝る際に何らかの音があったほうがいい人のようです。結婚する際に実家から持ってきたという古いオーディオプレイヤーで音楽やラジオを小さな音でかけ、タイマーで自動的に切れるようにしておく。そして、音が流れている間に寝るわけなんですが、たまに寝つけず、プレイヤーが先に切れてしまう時がある。すると母はもぞもぞ起きてプレイヤーの電源を入れるという念の入れようです。
幼い頃、両親と同じ部屋で寝ていた私は、それが当たり前となっていました。父はもうすっかり妥協したのか、それとも寝方にこだわりがなかったのか、特に嫌がりもせず寝ていました。ですが、私はその当たり前のせいで寝られない日が出てきました。理由はひとつの音楽です。
母の流す音楽は基本的に歌のないインストゥルメンタルで、オルガンや弦楽器など伝統的なもので演奏された楽曲がメインでした。それ自体は私も基本的に問題なかったんですが、その中に1曲だけやたらと物悲しい曲が混ざっていて、それが嫌だったんです。大人になってから曲名を知りました。レモ・ジャゾット作曲「アルビノーニのアダージョ」です。
同じ楽曲でも演奏者や用いる楽器によって多少は異なるようですが、物悲しい曲調は共通しています。上記のウィキペディアには「日本や欧米では葬儀のとき最も使われている曲の一つでもある」と書かれていますし、ボスニア内戦の際にはサラエボ出身のチェロ奏者が民間人の死者を追悼して演奏された曲である旨が書かれています。幼い私はそういう感じを曲調から察したのかもしれません。
それに加えて母が聞いていたバージョンの「アルビノーニのアダージョ」は、途中でいきなりババーンと音が大きくなる部分があり、そこがまた怖かったんです。もちろん母に「怖いからやめてくれ」と訴えましたが、当時の私は部屋の隅がちょっと暗いだけでビビるようなチキンの権化でしたので、母は笑うだけで改善してくれませんでした。
しかも、母が使っていた古いプレイヤーはタイマーで電源が落ちる時、なぜか「ガチャン!」とデカい音が鳴るシステムになっておりまして、「アルビノーニのアダージョ」の恐怖を乗り切ってようやくウトウトして来た私の鼓膜を追撃するんです。
成長し、自分の部屋で寝るようになった私は、自分なりのいい寝方を模索するようになります。人の身体は年齢によって変化してゆくため、ベストな寝方を探すのはなかなか大変ですが、古いプレイヤーで物悲しい音楽を流すのが良くないことだけは完全に理解しました。今でもそれだけは絶対しないようにして寝ています。
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