不自然なコントインをどうにかするために
漫才でよくある形として「途中でコントに入る」というものがあります。「俺がコンビニの店員やるから、お前は客として入ってきて」というやつですね。漫才の途中でコントに入るため、「コント漫才」と呼ばれることが多いです。
それに対して、コントに入らず、ひたすら芸人同士の会話という体でおこなう漫才は「しゃべくり漫才」と呼ばれています。「しゃべくり漫才」の創始者が横山エンタツ・花菱アチャコである一方、コント漫才の創始者はどうもハッキリしていないようです。ただ、エンタツ・アチャコの漫才が現在の芸人がやっている漫才のルーツとも言われている点から考えて、恐らくコント漫才のほうが後発でしょう。とにかく、いつの間にか漫才中にコントへ入る形式は主流となり、当たり前となった。
主流になるということは、何か強力な利点があったということです。コント漫才の利点はいろいろあるでしょうが、表現の幅が広い点が何よりも大きいと思われます。ネタの途中で何のコントをしても基本的には問題がないため、どんな場面もできるし、どんな役も演じられるわけです。一方、しゃべくり漫才は、いきなり異なる場面になったり何かの役に扮したりすることがない。あくまで芸人による会話として漫才が展開されます。
とは言え、コント漫才はいきなりコントに入る、「コントイン」と呼ばれる行為があるため、「しゃべくり漫才」に比べて話の流れは不自然になります。コンビニのバイトをしようと考えている人が日常生活で「俺がコンビニの店員やるから、お前は客として入ってきて」なんてまず言わないことからも分かると思います。では、なぜ芸人も観客も受け入れているかというと、「そういうもんだから」と思っている点が大きいと考えられます。先ほども申し上げた通り、漫才コントは既に主流です。一種の常識になっているから、話の流れとしては不自然であっても、そこまで不自然に思わなくなっている。
ただし、特定のギャグやフレーズでドカンと売れた、俗に一発屋芸人と呼ばれる方々の話を聞きますと、ブレイク時に人気フレーズを言いまくっていると誰よりもまず自分が飽きるそうです。だから、コント漫才をやりまくっている芸人も当然ながら気になってくると思うんです。「コントインの不自然さ、どうにかならんかな」と。
だからなのか、芸歴を重ね、多くのネタを作ってきた漫才師の中には、コントインの部分に手を加える方々も少なからずいらっしゃいます。何となく見ていると、主に3つの形式に分かれるような気がします。
それぞれ具体例を出していきます。
「なるべく自然な形でコントインする」は、いわゆる正攻法です。例えば、タイムマシーン3号のネタです。
彼らのうまいところは、まず導入部で「アニメが歳を取った場合」を小出しにしている点です。そこで笑いを取りながらネタの方向性を観客に提示したのち、本格的にコントインという形にすることで、「アニメのキャラクターが歳を取った世界」への入りをとてもスムーズにしています。コントイン直前のセリフは軽めの説明と「じゃあ、やってみよう」だけで手短に済ませていて、その点もコントインの不自然さを消しています。
続いて「敢えて不自然な形でコントインする」は、わざと不自然なポイントを作ることで、時に観客の笑いを誘いながらコントに入っていく手法です。「自然なコントイン」に比べて変則的な手法ですが、その中でも更に変則的な方法を用いているのが見取り図です。
「たくさんの方お越しいただいてね」と挨拶した直後にいきなり「美容室の空気が苦手ですね」と話題を急変させています。もう冒頭から一発かましているわけです。それからも、こんなやり取りが展開されます。
敬称略の他、読みやすさを重視して細部を変えている点はご容赦ください。
これは「俺、美容師を目指してたから、美容室の練習してやるわ。お前、客として入って来て」というベタなコントインをフリにして、敢えて話の流れを不自然にして笑いを誘いつつコントへと移る形式となっています。かなり入り組んだコントインですが、余計な説明を取り除き、なおかつ分かりやすくサラッとやってのけるところが見取り図の能力というものでしょう。
もっと単純な事例を挙げるならば、「何で俺がここでコンビニの店員やらなきゃいけないの」と疑問を呈したり、「よく分かんないけど、そんなにやってくれって言ってんなら喫茶店のマスターやるわ」と渋々コントインするなど、漫才コントにおけるコントインという不自然な流れに敢えて触れていく形がございます。
3つ目の「そもそもコントイン自体を拒否する」という手法に関しては、直球か変化球か以前に「それは漫才コントなのか」という、前提条件を揺るがすレベルの疑問をはらんだ手法となっています。変則的なコント漫才と言うよりは、漫才として変則的と言えるかもしれません。当然ながら、ここまで特殊なネタとなりますと、やっている芸人自体が圧倒的な少数派となります。
もう解散してしまいましたし、動画も見つかりませんでしたが、その昔、ヴィンテージというコンビがいました。結成は2000年、ニュースタッフプロダクションから太田プロダクションへ移籍したあと2017年に解散し、ボケの武井さんは武井ドンゲバビーとしてフリーで活動。ツッコミの大赤見さんはナナフシギというコンビを結成して大田プロに所属、怪談師としても活動しています。
ヴィンテージのネタでは、コントインをしようとするとボケの武井さんが「俺こんなネタ絶対にやらねえ」と言ってコントインをひたすら拒否するものがございます。そもそも、冒頭から大赤見さんが「俺、最近よく思うんだけどさ」と言うと、武井さんが「ほおー、お前は最近よく思う男だなあー」といじるんです。通常のコントインをフリにしているわけですね。
コントインをしないネタとはちょっと違いますが、冒頭の挨拶で足踏みしてそもそも漫才に入らないネタをする方々もいらっしゃいます。ランジャタイです。
ランジャタイが手を出すようなジャンルという事実からも、「コントインを拒否」という手法の特殊さがお分かりいただけるかと存じます。
具体例として出した方々は全員がベテラン漫才師であり、要するに手練れです。だから、コントインひとつ取っても、様々な要素を盛り込んだり、予想外の形を持ってきたりと、楽しませる仕掛けを作ってあるんです。中でも個人的に印象的な2組をご紹介して終わりたいと思います。どちらもM-1王者と手練れ中の手練れです。
1組目はパンクブーブーです。
最初に挨拶代わりのモノマネを放り込み、モノマネの才能がないといじってから、命乞いの才能ならあると言って、命乞いのコントへ持って行きます。笑いどころをあちらこちらに仕込みつつも、自然な話の流れを形成しています。
コントイン直前の部分を引用するとこんな感じです。
いつ命の危機にさらされるか分からないという一般的な常識を根拠に、命乞いの練習をやろうとするわけです。「命乞いの練習」という行為はあまりにも特殊なんですけれども、その特殊さがコントインへの不自然さを吹っ飛ばしてしまってします。もちろん、スムーズな流れで会話をしている点も、自然なコントインに一役買っていることは間違いありません。笑いどころも節々にあって観客を退屈させない作りになっています。
もう1組はNON STYLEです。
冒頭を引用します。
注目点は「断らぬ」です。「断る」の言い方で「断らぬ」と言っているところですね。
コントインの方式としては正統派です。話は非常に達者ですが、内容はもう「俺コンビニの店員やるからお前客として入ってきて」と同じような位置にあります。
「断らぬ」の素晴らしいところは、「断る」の言い方をすることで、コントインを拒否する方式かと思いきや、実はコントイン拒否型をフリにして素直にコントインするという点です。いわゆる「一周回って面白い」という形式を作り上げているんですね。また、理屈としては入り組んでいるんですけど、そんな理屈なんて知らなくても何が面白いのか誰でも分かる点が非常に強い。「断る」のノリで「断らぬ」と言ってると分かるだけで充分に笑えるんです。ここで笑わせてしまえばもうコントインが自然とか不自然とか関係なくなってしまうこともあって、相方が「スッとやれや」とツッコめばコントに入れる準備は整ったも同然です。しかも、それだけの効果がありながら、「断らぬ」はたった5文字なんです。コンパクトで高性能なマシンみたいな言葉で、一種の発明と言ってもいい。
調べたら別バージョンもありました。
「拒否権を拒否」も理屈としては「断らぬ」と同じです。ただ、文字数は増えてますし、表現も難しくなってますし、言い回しもほんの少しだけ不自然になっています。「断らぬ」のすごさを改めて痛感させられます。
コント漫才の歴史はコントインにおける不自然さとの闘いの歴史なのかもしれませんね。それでは、今回はこの辺で。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。