挨拶にはスランプがないどころか
どういう過程で出来上がったのかは知りませんが、挨拶を発明した人はすごいと思います。あんまり知らない人でも挨拶を交わすと、少しは心が通い合ったような気がして、その後のやりとりがやりやすくなる。いや、挨拶によって本当に心が少し通い合っているんでしょうし、その「少し」が意外とデカいんです。必要なのはほんのわずかな勇気と時間。全ての挨拶がうまくいくとは限りませんが、費やすものに対してのリターンはきっと大きいでしょう。
とは言え、昔の私はわずかな勇気と時間も費やせませんでした。「挨拶をちゃんとしろ」と言われて「は?」となった時期もあります。もちろん、成長するにしたがって挨拶のすごさを思い知るんですが、挨拶について印象深い言葉を聞いた点もまた、挨拶を重視するようになった今の私を形作っているに違いない。
印象深かった言葉はふたつあります。ひとつ目は松村邦洋さんがたびたびおっしゃっている言葉「挨拶にスランプなし」です。松村さんは次の動画でも語られております。
仕事ではいい日も悪い日もある。でも、挨拶は調子に左右されづらい。やろうと思えば誰にでもできるものであり、その割には馬鹿にできないレベルでいい効果がある。だからやったほうがいいじゃないという話です。
もうひとつの言葉は私の友人です。友人は特に真面目ではないと申しますか、むしろいかに真面目な状況でふざけた言動をするかに命を懸ける、「逆にどうして芸人をやってないんだ君は」というタイプの人間ですけれども、挨拶だけは昔から本当にちゃんとやっていました。
友人がどうして挨拶を欠かさない人になったのか、そう言えば聞いたことがありません。「今更そんなこと聞いてもな」という照れもありますし、人格形成の根底部分に関わってくる話ですから本人も覚えていない可能性があります。ただ、一度だけその友人とたまたま挨拶の話になったんです。
「挨拶しない人って俺、信じらんねえ。絶対にした方がいいに決まってるし」
友人はそう断言します。別に否定する要素もございませんので、私もうんうんとうなずいていました。友人は更に続けます。
「ニュース見て何も思わないのかね。悪いことして捕まる人っているじゃん。その時に容疑者の近所に住む人の話とか出るじゃん。『普通ですよ、挨拶したら返してくれますし』とか『ちゃんと挨拶してくれるいい子だったんですけどね』とか結構言ってんだよね」
思い返してみると、確かにそんな話をニュースでよく見聞きします。
「捕まるようなことをする人でも挨拶するだけで『普通の子』とか『いい人』とかいう感想になる事実がどういうことか、挨拶しない人は考えたほうがいいと思うわ」
もちろん、友人の主観がバリバリ入った意見ですから、必ずしも正しいとは限らないかもしれません。例として挙げている話もダークな方面ですから、眉をひそめる方もいらっしゃるでしょう。ただ、一理ある話だとは思いました。人間、相手が何を考えているかなんてなかなか正確に分かりませんし、挨拶をするかどうかが人を見る判断基準のひとつにしてしまう心理は理解できます。
さすがに万能ではありませんけれども、全然やらないよりはやっておいたほうがいい。そんな感じで私もウッカリ忘れない限りは、なるべくやるようにしています。
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