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席を譲らない者への報いだと思い込む

 友人から聞いた話です。

 友人は路線バスに乗って帰路についていました。時刻は夕方、徐々に弱くなる日差しは赤く、西の空は既に夜が忍び寄っています。

 疲れていたこともあり、友人はウトウトしてしまったそうです。いかんいかん、乗り過ごしてしまう。そう思って目を覚ました友人は、周囲を見て固まったそうです。前も横も後ろも、席という席に袈裟を着たお坊さんが座っていたんです。車内はそこはかとなく線香の香りが漂っている。最初、友人は「俺、死んだ?」と思ったそうです。

 もちろん、そんなことはありませんで、たまたまお坊さんが集団でどこかに向かうため、バスに乗り込んだだけの話でございます。しかし、同じような人が一気にバスへ乗り込むと、その特殊な光景に驚いてしまう気持ちはよく分かります。

 さて、続いては私の話です。私が路線バスに乗って目的地へ向かっておりますと、とあるバス停でご年配の女性が乗ってきました。それだけならば特に気にならなかったんですが、後から後から次々とご年配の女性が乗ってくるんです。空いていた座席はたちまち埋め尽くされ、通路にもご年配の方でいっぱいになってしまったんです。

 こういう状況ですと、ご年配の方に席を譲ろうと思うものでございますけれども、もうそういう判断をさせる前にバスがご年配の方で満たされてしまいました。運転手もかなり気を遣って発車したくらいです。もうギッチギチなんです。無理に席を譲る方が危ない状況だったんです。

 とは言え、席を譲れなかったという罪悪感がほんのりとございました。たくさん乗ってきた時点で譲れば何とかなったんじゃないかとか、あれこれ考えていたんです。

 そんな申し訳ない気持ちで座っていますと、そばでご年配の方同士の会話が聞こえてきたんです。

「この前、病院に行ったら血圧が――」
「三丁目の山田さんが亡くなられて――」
「夜中に背中が痛くなって救急車を――」
「旦那のお墓参りに行ったんだけど――」

 会話の内容が病気と死の話ばかりなんです。席を譲れなくて小さくなっているところに、淡々と縁起でもない話が聞こえてくる。バスを降りる頃には私、へこみ過ぎてフラフラになっていました。

 何に興味を持ち、どんな話をするかなんて個人の自由です。それに、年を取れば身体が弱りますし、病気だってする。死を意識するのも仕方がないと思います。ただ、自分は何歳になっても、病気と死以外の話をたくさんできるようにしておこうとは思いました。やっぱり、話題は幅広いに越したことはありませんし、席を譲れなくて小さくなっている人たちに変なプレッシャーをかけなくて済むでしょうから。

 あと席を譲れなかっただけでそんなに自己嫌悪にならなくてもいいとも思いました。人間はいいことするタイミングを逃す場合もあるわけですし、善意でやっても失敗することはある。

 自分を責めすぎないように、話題は多彩に。そんな目標を密かに掲げて生きている次第です。

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