見出し画像

真剣は天然を呼ぶ、だから笑われる

 誰かを笑わせる時にやってはいけない行為として「『これ面白いから笑ってよ』という感じを出す」というものがあります。略して「笑えよ感」と申しましょうか。なぜかはよく分かりませんが、笑えよ感が出ると冷めてしまって笑いづらくなる。だから、ちゃんとしたお笑い芸人は「今から面白い話をします」なんて前置きはまずしません。

 しかし、お笑い芸人は自分が面白いと思っているものを披露するわけで、それが「笑えよ感」となって無意識のうちに表へ出てしまう場合が結構あります。声が大きくなったり、表情が不自然になったり、違和感のある言葉遣いだったり。そして、恐ろしいことに、そんな「笑えよ感」は、お笑いに詳しくない人でも察知できる。だから、あまりに「笑えよ感」が出てるとウケないんです。そして、やはりビギナーな芸人ほど「笑えよ感」が出てしまっている。きっとそこから試行錯誤を繰り返し、「笑えよ感」の出る量を少しずつ減らしていって、初めて芸人は一線で活躍できるのだと思います。お笑い芸人の成長とは「笑えよ感」を減らす作業なのかもしれない。

 ただし、最初から「笑えよ感」のないパターンもございます。本人が意図しない笑い、いわゆる「天然」というやつですね。もともとは天然ボケと呼ばれ、一説には萩本欽一さんがジミー大西さんを称して言ったのが由来とされています。

 繰り返しになりますが、天然は何しろ本人が意図していない笑いですから、「笑えよ感」がありません。そして、意図していないため、予想外の状況をアッサリと作り出します。人間、予想できるボケは基本的に笑いづらい。つまり、天然は「笑えよ感」がないし、予想しづらいという、ふたつの意味で極めて笑いやすい形になっているんです。

 天然は誰かを笑わせるには最強の武器です。ただ、意図していないため、自在に発動できないというデメリットがあります。どれだけ天然を待っていても出ない時は全然出ない。ですから、現実的な妥協案として、いざ天然が出た際、お笑い芸人はその笑いを最大限に活用できるよう立ち振る舞っているように見えます。天然にツッコんでみたり、乗ってみたり、たまたま起きた笑いを増幅できるよう頑張るわけですね。

 とは言うものの、それが簡単にできればお笑い芸人は誰も苦労しないわけです。スベって顔面蒼白で帰路につくなんて悲劇は起きない。

 例えば、「設問」という言葉があります。この「設問」という文字、何となく「股間」に似ているんです。

 「設問」の文字を考えた人と「股間」の文字を考えた人は、恐らく互いに「似せてやろう」と思わなかったでしょう。股間側が「『設問』に擬態して世の中を混乱させてやろう」と企んだとは考えにくい。世の中を混乱に陥れたいんだったら、文字の擬態より便利な方法がいくらでもあるんです。つまり、「設問」と「股間」が似ているのは天然と言える。

 ですが、難しいことにこの天然をいじろうとすると、途端に「笑えよ感」が出てくるわけです。試しに「設問 股間」で検索をかけてみたところ、案の定、ふたつの文字が似ていることを言及しているブログやSNSがいくつもヒットしました。「設問と股間が似ている」だけでなく、ふたつを見間違えたことで「疲れているのかもしれない」などと自身の体調不良に触れている方も複数人いらっしゃいました。この発言が面白いかどうかは、もちろん見る人によるわけですけれども、文章を通じて無意識のうちに「笑えよ感」が出ているのは確かです。そして、それが笑いを減らしている可能性がある。そもそも「設問」と「股間」を並べるだけで「笑えよ感」が微かに出てきてしまいますから、「笑えよ感」ゼロを達成するのは大変です。

 「やっぱり設問股間に気づく人はいるよなあ」と思いながら画面をスクロールさせていますと、一味違うページが見つかりました。

「股間を蹴られた子供が来室した時、股間を見ていますか?」
2年目の養護教諭です。300人の小学校に勤務しています。
2年生の男子が、股間を蹴られた、痛くて歩けないと言って来室しました。
私は「私がてもいい? おうちの人にみてもらう?」と聞いて本人の意思を確認しみています。
みなさんは股間(患部)をみていますか?

 「股間」ばかり何度も出てきて「設問」が見当たりませんけれども、どうも「股間を蹴られた子供が来室した時、股間を見ていますか?」の部分が「設問」になっているため検索で引っかかったようです。文章の内容は真剣そのもので、意図的に「設問」と「股間」と組み合わせたとは考えづらい。

 真剣ということは、笑わせようとしていないということです。つまり、天然を生み出す条件はそろっている。

 そう考えると、先ほどの引用文にも天然があっちこっちに潜んでいるんです。まず「股間を蹴られた子供が来室した時、股間を見ていますか?」という設問がジワジワきます。「股間を見ていますか?」なんて質問、一生しない人のほうが多いでしょう。タイトルに「教えて達人」と併記されているのもなかなか強烈です。この流れだと、股間を見る達人に教えを乞うているようにも読める。世の中、いろんな達人がいると感心しそうになります。

 股間が痛くて歩けないと言いながら来室している男子に対しては「歩いてんじゃん」とのツッコミを禁じ得ません。車椅子で来ている可能性も考えられますが、もしそうなら「車椅子で来た」と書いているはずです。また、何の偶然か「私がてもいい?」や「確認しみています」という脱字がございます。前者は「み」が、後者は「、」が抜けています。正しくは「私がみてもいい?」であり、「確認し、みています」でございますね。誤字脱字もいわゆる天然の一種であり、笑いを生み出す余地があります。

 「真剣な人を笑ってはいけない」としばしば言われます。それはそうでしょう。笑われた人は傷つきます。私も嫌な思い何度もしてきました。

 しかし、真剣な場面で天然を出してしまうのは防ぎようがありません。誰も笑いを意図していないため、阻止しようがないんです。真剣にやっていれば、いつかは起きてしまう。つまり、誰もバカにするつもりがなくても、真剣な人を笑ってしまう可能性は常にある。

 逆を言えば、真剣さを笑われても気にしなくていいとも言えます。何をやったって天然が起きる時は起きる。天然がどういうものかを知ることで、真剣さを笑われてもそこまで落ち込まなくなったのは、お笑いの大きな成果だと私は勝手に思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?