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とんち医師の駐車場看板

 近所に小さな診療所があったんです。お年を召した男性医師が奥さんとふたりで経営していたようです。施設の名前は医師の名字に医院をくっつけた王道パターンで、仮にここでは山田医院としておきましょう。山田医院は住居も兼ねていたようで、診療所の前にある小さな駐車スペースには山田医師の車が止まっていました。たまに山田医師が奥さんと一緒に車に乗ってどこかへ行くのを見たことがあります。

 じゃあ、車で来た患者はどうするかと言いますと、徒歩1分のところにある駐車場を1区画借りて、そこを使ってもらうことになっていました。その区画には「山田医院専用駐車場」という看板が設置され、山田医院に一度も足を踏み入れた経験のない私でも「車で山田医院に来た人が止める場所なんだな」としっかりと分かるようになっていました。

 山田医院にはそれなりに患者がやってきていたようなのですが、山田医師に体力の限界が来たのか、ある日、入口のドアに閉院する旨の紙が貼られていました。山田医師は診療所を40年近く経営されていたようで、全く利用していなかった私でさえ、一抹の淋しさを感じました。

 さて、閉院宣言をしたとは言え、山田医院は医師の住居も兼ねていた場所です。ですから、山田医師らは診療所だった場所にしばらく住んでいたようで、閉院以降もちょこちょこ姿を見ていました。ただ、粛々と閉院作業は進行していたようです。

 私が山田医院のそばの貸し駐車場を通った時のことです。そう言えば、ここは山田医院が借りている駐車スペースがあったはずだと思い、何気なく看板に目をやったんです。すると、看板が一部分外されていて「山田医院専用駐車場」が「山田  専用駐車場」となっていたんです。

 なるほどと思いました。山田医院は閉院してしまいましたが、山田医師はまだ診療所だった場所に住んでいる。当然、駐車スペースもまだ借りたままでしょう。だが、閉院してしまった手前、看板をそのままにしておくわけにはいかない。そこで「医院」の部分の看板だけ外したんでしょう。余計な手間もいらず、でも看板として間違ってない。

 なんてとんちのきいた解決法でしょう。医者ってすごいんだな。診療以外で初めてそう思いました。現在は診療所もなくなり、跡地には全然違う方の家が建っています。山田医師はどこか別の場所で余生を送っているのだと思います。ただ、私は山田医師のとんちだけは向こう数十年は覚えていると思います。医師としての能力は知らずじまいですが、実にとんちのきいた医師だったと。

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