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自分の意志と裏腹キック

 人は自分の身体を自在に操れているわけではありません。例えば、心臓です。「ちょっと止めて死んでみるか」なんてことはできないようになっている。自分の意志通りに動かせない筋肉、いわゆる「不随意筋ふずいいきん」の典型例でございます。

 自分の意志で動かせる「随意筋」だって常に意志通りやれるとは限りません。例えば、沸騰した鍋に手をウッカリ突っ込んだ時、「おお、これはお湯だ。しかもすごく熱い。このまま手を突っ込んだままにしては危険だから、すぐ手を抜くことにしよう」なんて考えていたら重いヤケドと負ってしまう。だから、普通は瞬時に手を引っこ抜き、致命的なヤケドを防ごうとするはず。いわゆる「反射」という現象です。

 そんな感じで、人間は意外と自分の身体を自在に操れていなかったりします。そして、それが思わぬ事態を引き起こすこともございます。

 母と一緒に寝ていた頃の記憶ですから、幼稚園か、小学校低学年の時だったと思います。私は母からこんなクレームを受けました。「夜中に何度も蹴ってくる」。

 こちらとしては全く身に覚えがございません。母が言うには、どうも寝ながら蹴りをかましてくるようなんです。せっかくグッスリと眠れていたのに、私のキックで最悪の目覚めを余儀なくされた母は、怒りに任せて蹴り返したそうなんです。すると、私は更に強いキックで対抗してきたと言うんです。

 私が覚えてないということは、熟睡しながら母を足蹴あしげにしていたことになります。しかも、母の反撃に再反撃している。10歳に満たないうちから随分な親不孝です。

 しかし、もうひとつの可能性がございます。母が嘘をついている。そんな嘘をつく理由が見当たりませんけれども、何しろ私には身に覚えが全然ありませんので、可能性を否定できないんです。

 私は釈然としないまま、母の怒りを受け流していました。その日も私は母の横で寝ていたんですが、夜中にふと眠りが浅くなったんです。足元に何かがぶつかり、その衝撃で身体が揺れていると分かるくらいには浅くなった。恐らく、目覚める直前くらいの浅さだったのだと思います。だから、私は目をつぶったままでも察しがつきました。「ああ、また母が私に蹴りを入れているのだな」と。

 眠りを邪魔された母の本気な蹴りが足にガンガンきているにも関わらず、半分寝ている私はのん気なもんです。もう完全に他人事です。その時でした。私の足は勝手に母を蹴り返していたんです。もちろん、私は思いました。「なるほど、確かに蹴り返してるわ。自分の意志じゃないけど、確かに鋭いキックだ」。納得した私はそのまま再びの眠りに落ちました。

 母の言っていたことは本当でした。私はしっかり蹴っていた。自分の意志とは裏腹に、かなりマジのキックでした。

 どうして私が母を蹴っていたのか、今となっては分かりません。寝相が壊滅的に悪かっただけかもしれないし、最初に蹴ってきたのは母の方で、私はそれに対抗していただけかもしれない。いずれにしろ、人は自分の意志とは関係なしに、肉親を結構な本気度で蹴ることがあると知りました。

 そのせいか、誰かの隣で寝る時は未だに「またマジのキックをかましてしまわないか」と不安になります。

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