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それしか話せないのにはわけがある

 中学生の時、海外へホームステイをしたことがあるんです。以来、海外へ行ったことのない私には、貴重な経験でございます。私にしては珍しく、特に大きなやらかしをせず、人としては及第点、お笑い的には0点のホームステイでございました。

 学校と地元自治体が主宰していたホームステイなので、同じ時期に同じ学校から何人かホームステイに参加していました。当然、帰りの飛行機ではこんな話になります。「ホームステイ先はどうだった?」。

 日本から来た子供を1週間も泊めてくれるような人たちですから、誰もが人並み以上に世話好きでいい人だったようですが、とある子がこんなことを言いました。「うちの人は知ってる日本語が『尿毒症』だけだった」。

 もちろん、人間は思わぬところで思わぬ外国語に出会うものですから、簡単な外国語から順番に知るなんてことは学校の授業でもなければありえません。そうは言っても異国の言語が「尿毒症」しか知らない状態に、人はどうすればなれるのでしょうか。

 母にその話をしたら「親族に医者がいるんじゃないの」と言われました。しかし、それだと親族が尿毒症しか教えなかった理由が分かりません。風邪とか痔とか盲腸とか、もっと汎用性のある病名を教えてもよかったのに、それらを飛び越えていきなりの尿毒症は特殊ルートすぎます。

 結局、これらの謎を解決できないまま、ワードのインパクトだけが今でも残っています。ただ、先ほども書きました通り、どこでどんな外国語に出会うかは分かりません。それゆえ、尿毒症のように、極めて限られた単語しか知らない外国語ができてしまう可能性は誰にでもあるんです。

 例えば、私が大学生時代に所属していた研究室には韓国人留学生がいらっしゃいました。出会ったばかりの頃は日本語が話せず、こちらは韓国語が話せない。よって英語でのコミュニケーションを余儀なくされていました。

 「相手の言語」は話題としては手軽ですから、「これは○○語でなんて読む?」みたいに互いの言葉を教え合う流れなるわけです。とは言え、こちらはただの大学生、向こうは現地の言葉がまだ分からない留学生、外国語を覚えることの必要性が段違いなんです。当然の帰結として、私が韓国語を覚えるよりも、相手が日本語を覚えるほうが圧倒的に早い。たちまち日本語での意志疎通ができるようになり、話すことも相手の母国語についてから、昨日見たテレビについてとか近所の美味しいラーメン屋についてとか、ただの同僚みたいになっていきました。つまり、互いに相手の言語について聞かなくなった。

 その結果、私が留学生から教わった韓国語は、「それ(値段が)高いですね」と「豆腐」のふたつだけという有り様になってしまいました。なんでそのふたつなのかは、今となっては思い出せませんし、思い出したところで大して役に立たない記憶のはずです。

 とにかく大学生活によって私は韓国で豆腐を値切ることしかできない身体になってしまいました。つまり、尿毒症しか知らない外国人をいじる権利など私にはなかったわけです。大変失礼いたしました。

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