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アッシャー家マジ崩壊
1冊の本が自分に合わなかったからと言って、その著者の本が全部合わないとは限らない。そう思い知らされたのは、エドガー・アラン・ポーによってでございます。江戸川乱歩の名前の元になった、アメリカの小説家でございますね。更に、江戸川乱歩の名前を一部取ったのが江戸川コナンでございまして、そういう意味ではコナンはポーの孫弟子であり、ポーはコナンの大師匠と言えます。
そんなコナンの大師匠ことポーには有名な著作がいくつもございますが、中でも私は最初に「アッシャー家の崩壊」を読んでみたんです。図書館にたまたまあったから借りただけなんですけれども、まあ読んでも内容が理解できないんです。翻訳が悪いのか原文が悪いのか私の頭が悪いのか、とにかくロクに情景が浮かばない。そんなに長くないのが救いと言えば救いですが、結局「何らかの日本語を読んだ」以上の収穫がない、あんまりな読書となりました。
私の中で最も読書家の友人、ここでは木崎君としておきますけれども、「ポーは俺に合わん」とグダグダ言う私に彼はこう言いました。
「他の読んでみなよ。印象変わるかもよ」
別に木崎君のアドバイスをスルーしてポーを放り投げてもよかったんですが、試しにもうひと踏ん張りしてみました。次に読んだのは「黄金虫」でございます。暗号を解くことでストーリーが展開してゆく「暗号小説」の草分け的存在とされている作品です。
確かに木崎君の言う通りでした。暗号なんてややこしいものを扱っているにもかかわらず、とても読みやすい。読むとすぐに情景が浮かぶんです。同じ人間が書いているとは思えない。
私は文学なんて全然分かりませんけれども、そんな私でもポーは作品によって異なる文体を扱っていたんだろうと想像できました。調べたところ「アッシャー家の崩壊」はいわゆる「幻想文学」に分類される作品でございまして、つまり科学では説明がつかないような超自然を描いている。だから、せっかく読んでも幻想すぎて私の頭に内容が入ってこなかったんだと思います。
とにかく「黄金虫」を堪能した私、早速、木崎君に報告したんですが。
「『黄金虫』は『アッシャー家の崩壊』に比べて全然読みやすかった」
「よかったな。でもな、『アッシャー家の崩壊』もなかなか面白いんだぞ」
「本当かよ」
「マジだって。『アッシャー家の崩壊』って聞くと、普通は何かの比喩だと思うだろ? 例えば、アッシャー家の人間が離散するとか、お家が断絶するとか」
「え、違うの?」
「違う違う。マジでアッシャーさんの家が崩壊するんだよ。だから『アッシャー家の崩壊』なんだ」
そんなに真っ直ぐな題名だとは知りませんでした。てっきり比喩的な崩壊だとばかり思っていたんです。アッシャー家で親族間のいざこざがあり、一家離散するのだとばかり。
そう言われると不思議なもので、本当にアッシャーさんちが物理的に崩壊しているのか確認したくなってしまうんです。しかし、あのビックリするくらい読みづらい文章をひたすら読まなければいけないかと考えると、崩壊を確認する気が失せるんです。脳に変な負荷を与えるよりは、木崎君のアッシャー漫談がマジだと思いこんだ方が楽でいいだろうとすら考えています。
アッシャーさんちがマジでどうなったのか気になって夜も眠れなくなったら、また読むと思います。