言葉遣いから見るキングオブコント2023決勝の感想
2023年10月21日にキングオブコントの決勝が放送されましたので、その感想を書いて参ります。大型賞レースの決勝戦に限り「いいネタはいい文章を書く参考になるんじゃないか」という偏見のもと、ネタを書き起こしまして、その文章表現を主に触れて行く形でやってきておりますので、今回もそれを踏襲する所存でございます。
基本的にはご紹介する順番はファーストステージのネタ順ではございますが、ファイナルステージに進出した3組は後に紹介する形で参ります。また、ネタの抜粋部分は読みやすさを重視するため、セリフの細部を変更したり、注釈を加えたりしている箇所がございます。また、出演者の名前はしばしば敬称略となっておりますのでご了承くださいませ。
では、早速参ります。
1.や団 ――リアルな心の変化を出すための無駄のない回りくどい表現
まずは、すぐに灰皿を投げるような、怖い演出家の苛烈な演技指導が重々しい灰皿の登場で緩くなってゆくネタを披露したや団でございます。
抜粋個所はネタの肝であります、重々しい灰皿が出てくる辺りです。
ここで重要なのは、投げたら大変なことになる灰皿が登場してからの、演出家の心の変化をどう表現しているかというところです。いきなり取り乱すなどのリアリティのない展開ではなく、演出家があくまで自分の演技方法を保とうとしつつも、態度を軟化させている様子を出すために、まず自身が使っている難解な単語「タウマゼイン」を解説し、それから相手を気遣う言葉を少し出す。うっすらと「あれ、演出家の様子が変わったな」と観客に充分察してもらったところで、「失敗されたら困る」と指摘することで笑いに繋げる仕組みです。
この演出家の「難解な単語を簡潔に解説したあと、相手を気遣う言葉を投げかける」という、一見すると回りくどい表現にすることで、それまで強気で指導していた演出家の心の変化としてのリアリティが増す効果があるものと考えられます。ただし、表現は回りくどいですが、実は説明的な言葉は可能な限り排除し、無駄がなく、かつ自然な会話として遜色ないようにしてあります。
上記の抜粋個所で「演出家は、実は怪我をさせたくない」というルールが認識されたため、ペットボトルを投げさせたり、再び重々しい灰皿を出したりして笑いが取れるようになっています。
ちなみに、タウマゼインは本当にある言葉で、意味もネタ中に出ているもので間違いないようです。
2.蛙亭 ――強烈な人物を利用した叙述トリック的な仕掛け
蛙亭が披露したのは、急に失恋した女性と、突如として現れた寿司好きの男性のやりとりを描いたコントでした。
抜粋するのは、序盤と終盤の2箇所です。ひとつにまとめてご紹介します。
観客の錯覚を利用した、いわゆる叙述トリック的な手法です。確かに、ひとりで食べるとは誰も言ってません。何なら、誕生日って言っていますから、みんなで食べる予定だったとしても何も不自然ではない。しかし、中野さん扮する寿司好きのキャラクターがあまりにも強烈なため、イワクラさん扮する女性はもちろん、観客もまたひとりで食べるものだと勝手に思い込んでしまう。セリフも演出も、そうなるよう意図されたと考えられます。
そして、寿司好きのキャラクターが一般からかけ離れているからこそ、「そういうとこなんじゃないの、彼氏にフラれたの」が効いてきます。そのセリフの直前で、女性が失礼な勘違いを謝りながらも、誤魔化すように誕生日を祝う発言するという嫌な面を出しているため、余計に寿司好きのセリフが際立つようになっています。
もちろん、フラれた女性の嫌な面は、その前から少しずつ出しており、例えば潰れた寿司を「味は一緒」だから「ちらし寿司だと思って食べたらいいんじゃないですか」と言うところが該当します。
3.ジグザグジギー ――徐々に異様さを明らかにしてゆくツッコミ
ジグザグジギーのコントは、元芸人の市長が芸人の癖が抜けず、いろいろとまずいことをしてしまう話でございました。
抜粋個所は序盤の、マニフェストを発表するところです。
市長の異様さを段階的に出すうまさが際立っている箇所だと思います。もちろん、この場面はフリップの出し方、表情、言い方など、非言語の部分が笑う上で重要な部分を占めてはいます。ただ、セリフでも、徐々に異様さを見せてゆく状況はうかがえまして、それは市長ではなく、ツッコミ側のセリフに見られます。最初はただ声をかけるだけ、マニフェストみっつ目になってようやく大喜利の名前を出し、そこからは大喜利のあるあるをツッコむ形になっています。
勘のいい人ならばひとつ目のマニフェストで笑うわけですが、そうでない人でも徐々に出てくる市長の異様さや、それをツッコむセリフで笑える仕組みになっている。このネタのように異様さを徐々に出していくのがいいのか、いきなりフルスロットルで出すのがいいのかは判断がつきづらいとは思いますけれども、徐々に出す方式としては、このネタはかなりうまくやっています。
とは言え、あまりにおかしい市長をやってはリアリティに欠け、コントに入り込めない危険性が出てきます。それに対しては、異様なのは大喜利化させてしまう癖だけにして、他は割とまともな市長にすることで解決をしています。マニフェスト自体はちゃんとしている点などにそれが現れています。
4.ゼンモンキー ――説明的なセリフを笑いどころに加工する
ゼンモンキーが披露したのは、縁結びの神社で幼馴染の恋人を取り合うふたりの間に、恋愛成就のお参りに来た高校生が割って入るコントでした。
抜粋個所は中盤辺り、高校生がふたりへ本格的に絡むところです。
真剣に喧嘩をするふたりとどこか間の抜けた赤の他人の対比が主な笑いどころのコントではございますが、セリフとしては、普通の会話を装ってはいますけれども、実は非常にキッチリと説明しているところが特徴です。例えば、「ずっと目障り」でふたりは気づいているのに、高校生側は「恋は盲目とは本当だぜ」と気づかなかったことを明確に言っている。3人の関係性は割と複雑ながら、見ていてスッと理解できるのは、この「日常会話として不自然じゃないレベルに落とし込んだ説明的なセリフ」のお陰と言えます。
あまり説明的に聞こえないのは、話している人物の心情をキチンと組んだセリフに落とし込んでいるからでしょう。他にも、彼女を争うふたりと突然現れた高校生とは他人同士でございますから、ある程度は説明的な口調にしたほうが会話として自然だという状況も理由のひとつではございます。
ただ、それでも、幼馴染3人の関係性を告白するセリフは日常会話としてはあまりにも説明的です。だからこそ、「韓国ドラマみたいだ」と言ってしまうことで、日常生活の割には不自然に説明的なセリフを暗にいじり、ひとつの笑いどころに昇華させています。
5.隣人 ――効率の良いセリフですぐに場面を理解させる
隣人のネタは、落語家がチンパンジーに落語を教えるコントです。
片方がチンパンジーに扮しているため、言葉に頼る機会は必然的に半減します。よって、笑いどころは動きやチンパンジーの鳴き声など、言語ではないところに多く存在しています。
しかし、「チンパンジーに落語を教える」という、日常生活ではほぼ起こりようがない特殊な状況をコントにしているため、非言語の説明だけに頼るのはかなり無謀な挑戦と言わざるを得ません。どうしても、言語による説明が、特に冒頭で必要になってくるんです。
冒頭のセリフを抜粋します。
「いかに特殊な状況を手短に伝えるか」と「いかに自然なしゃべりに聞こえるか」の両立を目指したセリフだと思われます。今から何をしようとしているのか、なぜそれをするのか、どこで仕事をしているのか、どういう形で落語を教えるのか。コントを観る上で知っておくべき要素が、全て詰まっています。あとはただ、チンパンジーに落語を教えるコントをするだけで観客は話についていける。
「とりあえず、見て覚えてもらって」でセリフを切ってしまうなど、会話または独白として不自然にならないくらい程度にセリフを削っています。それでも、状況を説明しきることに成功している。短いですが、非常に効率の良い、計算されたセリフと言えます。
6.ファイヤーサンダー ――卓越した「それっぽい名前」の出し方
ファイヤーサンダーのネタは、サッカー日本代表に落選した選手のモノマネ芸人が現状に嘆いたり立ち直ったりするコントでした。
サッカー選手の話かと思ったらモノマネ芸人の話だった、という冒頭のどんでん返しがかなり効いているコントではございますけれども、言葉の表現としては、また別の部分に特筆すべき点があると考えられます。
抜粋部分は冒頭から序盤にかけてです。
モノマネ芸人にありそうな名前を非常にうまく活用していることが分かります。最初の「小西田」で観客の首を傾げさせた後に、モノマネ芸人だと告白することで納得させ、笑いに繋げることができます。直後に「そっくり林監督」と、説明なしでもモノマネ芸人と分かるような名前を2番目に持ってくることで、以降のモノマネ芸人っぽい名前がスッと頭に入りやすい仕組みにしています。
中略後の、様々なモノマネ芸人の名前が出てくるところになると、同じ選手にそれぞれ異なる名前のモノマネ芸人が複数いることを示して笑いどころにし、広川のところでは三段落ちみたいなこともしています。また、意図的か偶然かは分かりませんが、冒頭の代表選手発表の場面では、後に名前が出てくる上野は一番最後に発表され、榎田の前では崎山さんが「西田」と言わないなど、敢えてちょっと目立たせるようになっています。
7.ラブレターズ ――狂気の一端を示す疑問形
ラブレターズのネタは、男性が彼女の家に行ったところ、留守番をしていたお母様が隣人と騒音を発端としたバトルを始めるコントでございました。
このコントは、叫び声や効果音、行動など言葉以外の笑いどころが多いです。セリフ自体は多いのですが、全体的にドタバタすることもあって、シンプルで分かりやすい表現が多く、言い回しで笑いを取る手法はほとんど用いられていません。ひねった表現にせず、直接的な表現に終始することで言い争いにリアリティを出すと共に、ドタバタの笑いに観客の興味を集中させる効果があると考えられます。
例えば、この辺りです。
ただ、話の冒頭だけは例外で、状況説明の役割を果しているセリフの部分には奇妙な言い回しが見られます。
この会話での役割は二点ございます。まずシベリアンハスキーの存在を観客に示す、すなわち舞台上に置かれている犬の人形は本物という体で話を進めるという意思表示をしたことが一点。もう一点は、彼女の母親がヤバいやつだと観客に察してもらう役割です。
もちろん、母親のヤバさはアパートでシベリアンハスキーを放し飼いしているところでもあるんですが、それよりもポイントなのは放し飼いしている事実を「どうかしてると思った?」と尋ねるところでございまして、狂気の一端を示すには充分な効果を出しています。
8.ニッポンの社長 ――笑いを邪魔する緊迫感を徹底して取り除く
ここからはトップ3です。ニッポンの社長の1本目はドラマでよくあるタイプの喧嘩に凶器を用いるコント、2本目はどう考えても臓器を取りすぎている手術のコントでした。
まずは1本目からの抜粋です。冒頭部分から。
外国に行ってしまう彼女を追いかけさせようと、煮え切らない彼氏を友人が殴るという、いわゆる「よくある場面」に刃物や銃器を持ち込んでいるにもかかわらず、「よくある場面」のまま話が進む。そのギャップで笑う形になっているため、会話は徹底して「よくある場面」のものだけ、つまり平易な表現になっています。変な言い回しをしないほうが笑えるコントゆえの措置です。
以降も、異常なものが「よくある場面」の一部として扱われたまま話が進み、「今のはちょっと効いたぜ」みたいな、よくあるセリフだからかえって笑える流れになっていきます。
続いて2本目からの抜粋です。腸と思われる臓器を引っ張っていったら、家電のコードみたいなテープが巻かれていたところです。
緊張感のある場面で非常に緊張感のない言い回しをしています。これは全体にわたって共通しており、このギャップが笑いに繋がっていると考えられます。手術本来の緊迫感を消し去るため、医学用語や手術を連想させる難解な単語、内臓を意味するような不快感を与える危険のある言葉も徹底して排除しています。それでも、何が起きているのか、登場人物が何を言いたいのか分かるようになっています。
それは、最後のオチも同様です。
非常に簡潔な表現でまとめています。誰でも理解できるし、笑いを邪魔するような不快な表現もありません。
9.カゲヤマ ――肝心なことを言わずとも伝わる表現
カゲヤマの1本目はなぜか全裸で謝罪する先輩のコント、2本目は会社で起きた事件について上司が部下を問い詰めるコントです。
まずは1本目です。抜粋個所は中盤、謝罪してとりあえず許してもらえたところです。
全般を通じて登場人物はあまり余計なことを言わないんですが、この部分は特に無駄のない表現となっています。散々全裸で謝っておきながらそこには一切触れず、次の場面に必要な情報、つまり「より一層、謝罪の必要が出てきた」ところを示し、あとは再び松屋に触れ、笑いどころをひとつ作ったくらいで済ませています。メインはお尻ですから、合間のそれだけで充分との判断でしょうし、事実そうだと思われます。
2本目のネタでも、肝心なところに触れない表現がございます。
番組中ではコントの内容とは裏腹に一度しか「うんち」と言っていない点を指摘されていましたが、この会話では益田さんのDNAが何のDNAと一致したのか語られていません。それでも意味は充分に伝わるような表現になっています。あまりうんちと言わない理由は、推測になってしまいますけれども、「トラウマ」とまで言っている上司がうんちうんち言うのはリアリティに欠けますし、そんな上司の前で部下がうんちうんち言うのもまた同様だからだと考えられます。優秀な部下ならば余計言わなそうですし。
10.サルゴリラ ――理解されやすいよう計算された理解しづらい言い回し
ご存じの通りサルゴリラの1本目はマジシャン、2本目は高校野球の監督が、いらんことばかりゴチャゴチャやるコントでございました。
1本目で抜粋するのは冒頭です。
入りとしてはすごく変わっています。なぜか話している途中でいきなり自己紹介をする形になっているんです。
考えられる理由としては、どういうネタであるかを観客に冒頭で認識してもらう点がまずございます。何の説明がないと観客は「どういう場面だろう」と考えてしまってネタに集中できなくなる危険性があるため、敢えて冒頭で「今度マジックの特番がありまして」と言ってしまう選択をしたというわけです。
それから、マジックで戸惑うというネタの性質上、ディレクターは初見でなければならず、初めまして感を出さなければならない。そのための方法はたくさんありますけれども、コント内で自己紹介を交わせば一発で済む話です。ただし、そこから仕事の話に入るとなると、実際のビジネスではともかく、コント内では「では早速、仕事の話に移りますけれども」とか「急いでるんで本題に入りますね」とか、説明的なセリフをひとつ加える必要が出てくる。このコントはマジックでゴチャゴチャなるところをなるべく見てほしいわけですから、説明的なセリフが削れるに越したことはない。そのため、説明の合間に自己紹介を挟むという、特殊な会話からスタートしたものと考えられます。
1本目からもうひとつ抜粋します。3つ目のゴチャゴチャマジックを終えた時の、マジシャンの決め台詞です。
非常に下手な決め台詞となっております。セリフ自体もさることながら、言い方も相まって、本当にグダグダしているように見える。笑いどころである点はもちろんですけれども、このグダグダした言い方を笑ってもらう点は2本目のネタにも通じるものがあり、後のコントの伏線的な役割を果しています。
また、マジシャンの決め台詞はマジックを終えるたび、段階的にグダっています。最初のマジックでは「ルールは覆されるものである」と比較的普通だったのが、ふたつ目のマジックでは「ルールはルールブックに載っている」とグダり始めており、ディレクターから「それもやめろ、ごちゃごちゃ喋んの」とツッコまれています。つまり、序盤から2本目のための布石を打っている可能性があるわけです。
2本目はせっかくなので魚に例えまくった励ましの言葉をみっつとも抜粋してみます。まずひとつ目。
既にグダグダしているわけですが、主なダメなところは魚という例えの下手さ、そして、その下手な例えを多用するところです。何回「青春という魚」って言うんだ、って話ですね。1本目のコントが効いているためか、何度か魚を言うだけでクスクス笑う人も出ていました。
続いて、ふたつ目の励ましです。
ふたつ目になり、「魚」という単語を複数の例えで使い始めています。魚を人生に例えたかと思えば、夢に例えたり、時間に例えたり、後悔に例えたりと、悪い文章の典型みたいなことをやっています。なぜ悪い文章なのか。訳が分からなくなるからですね。「この魚は何の例えだ?」と混乱させてしまう。
ただし、魚の例えをする際には全て「〇〇という魚」で表現が統一されており、グダグダなセリフにしつつも、どこがおかしいかはしっかりと分かるように配慮されています。
そして、最後の励ましです。
魚の用法が多岐にわたっており、より混沌具合が増しているのがお分かりいただけるかと存じます。何でもかんでも魚に例えて、本当にグチャグチャな文章です。結果として「何の話だよ」は観客の気持ちを代弁する以外の何もでもなくなっています。つまり、コントとして成功しています。
意外とポイントなのが「ご家族の『お』魚」という部分だと思われます。このコントの肝は「言ってることは滅茶苦茶なんだけれども、真剣に励まそうとしている感じをいかに出すか」だと考えられます。選手の家族に言及すると表現が丁寧になることで、監督の「ちゃんとした人」感が出ている。ちゃんと細部まで考えた結果だと思われます。
今回の感想は以上となります。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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