アート的な保存活動
ちょっと古いと流行遅れなどと馬鹿にされがちですが、古さが極端になってくると価値が出始めたりします。少しでも長く後世に残そうと、保存活動が始まることもある。
保存されるものの典型としては重要文化財とか国宝とかございますけれども、身近な場所に何となく目を向けてみますと、保存活動がおこなわれているものは意外にあると知るんです。「なんか看板が立ってんな」と思って軽く目を通してみると、「この建物は大正5年に完成したものなんすよ」みたいな説明と共に、「後世に残したほうがいいっすよね」みたいな訴えが書かれているんです。
そんなある日も、道端を歩いていますと看板がございました。明治期に建てられたレンガ造りの建物でございまして、現在も保存のためにあれこれ活動していることが書かれていました。確かに、看板のそばにはいかにも歴史を重ねたと言わんばかりの外観の建物がある。
とりあえず、歴史を重ねた建物の外観を眺めていたんです。そして、すぐに妙な点に気づきました。壁が微妙に崩壊しかかっているんです。レンガがズレているどころではない。壁から完全に外れて穴が開いているところも確認できます。保存活動されているはずなのに、この状態は何なのでしょうか。資金不足により満足な保存活動ができていない可能性も考えられますが、看板を立てる資金があるわけですから、ちょっと考えづらい。
そこで思ったんです。これは崩壊の過程も込みで保存しているのではないかと。噂では一部の芸術作品では崩壊も含めてアートと見なすとか。何なら自らが崩壊のきっかけを作ったり、一旦作ったものを作者自らがハンマーを手に破壊することもあるとかないとか。
出典不明の噂ではございますが、私は「これだ」と思いました。保存しているのは建物ではなく、アートだったんです。歴史的建造物が壊れ行く様子を、なるべく自然な状態で維持していく。文化財の新しい保存スタイルです。
当然、すぐに疑問は浮かびます。「それは保存と言うのか?」。ただただ崩れる様を見守るのは、積極的な保存とはどうしても思えないんです。また、「いつまで保存していればいいのか?」という疑問も出てきます。建物が崩壊して瓦礫の山になれば終了なのか、もっと平らになった時点で保存完了なのか。それとも、レンガが劣化して粉末状となり、我々の前から建物の形跡が完全になくなった時点でアート完結なのか。
また自分が生み出したくだらない謎のせいでよく分からなくなってしまったので、早速家に帰って調べました。そうしたら、一応は修復の予定があるよう、徐々に計画を進めているとのこと。
私が考えているより、実際の保護活動はもっと地に足がついていました。何ですか、アート的な保存活動って。典型的な「下手な考え休むに似たり」を繰り出してしまいました。私はこういう頭の悪い休憩を繰り返し、現在に至っております。以後お見知りおきを。