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映画『風が吹くとき』を観て思う~戦争の影に覆われた老夫婦の純粋な希望


あまりにも静かで、あまりにも残酷な核戦争映画

「戦争」をテーマにした映画は多く存在するが、『風が吹くとき』(原題:When the Wind Blows, 1986年)は他の作品とは一線を画す。ジミー・T・ムラカミ監督が手掛けた本作は、レイモンド・ブリッグズの同名グラフィックノベルを原作とするアニメーション映画である。戦場の生々しい描写も、派手な爆発音もなく、登場するのは穏やかな老夫婦。兵士も銃弾も登場しない。しかし、本作は静かな恐怖と深い悲しみをもって、戦争がもたらす現実を容赦なく突きつけてくる。


 

牧歌的な老夫婦を襲う不穏な

物語の主人公は、イギリスの田舎に住む老夫婦、ジムとヒルダ。第二次世界大戦を経験した彼らは、政府の指示に従い、核戦争への備えを始める。彼らの生活は牧歌的で、日常の些細な会話にはユーモアが満ちている。しかし、その中には無邪気さと同時に、あまりにも楽観的で危機感の薄い姿勢が見え隠れする。

例えば、ジムは政府が配布したパンフレットを忠実に読みながら、「ドアを立てかけて放射線シェルターを作ろう」と試みる。しかし、どうみてもハリボテだ。野良犬の侵入も防げないだろう。ヒルダもまた、「戦争が始まったら、すぐ終わるわよね? 前みたいに」と、第二次世界大戦と同じような感覚で捉えている。彼らは政府を信じ、核戦争の恐怖を理解していない。これが本作の最も痛烈な皮肉の一つだ。

この前半の呑気なやりとりは、核爆発後の展開と強烈な対比をなす。観客は「いや、無理だろ!」という突っ込みを全鑑賞者が共有することとなる。


核爆発はきた

本作のクライマックスの一つは、核爆発の描写である。しかし、ここでも『風が吹くとき』は他の戦争映画とは異なるアプローチを取る。爆発の瞬間、爆風が街を吹き飛ばし、風景が焼け爛れるが、音はほとんどない。代わりに流れるのは、美しくも不穏なデヴィッド・ボウイの主題歌「When the Wind Blows」だ。

この静けさは、爆発の恐ろしさをより際立たせる。観客は、老夫婦の家が微かに揺れ、まるで嵐が過ぎ去ったかのように見えるのを目の当たりにする。しかし、それが終わりではない。むしろ、彼らの苦しみはここから始まる。


ゆっくりと死に向かう日常の恐怖

爆発の後、彼らの生活は急激に崩れていく。水も食料も不足し、体調は悪化する。それでも二人は「助けが来る」と信じて耐え続ける。無邪気だ。ジムは「戦争にはルールがある」「きっと政府が何とかしてくれる」と言うが、そんな希望は日に日に色褪せていく。浅はかだ。

老夫婦の身体には明らかに放射線障害の症状が出始める。髪が抜け、肌はただれ、意識は混濁していく。それでも彼らは、相手を思いやり、冗談を交わしながら、日常を続けようとする。この姿は痛ましくもあり、同時に人間の無知がもたらす絶望を象徴している。

「戦争が終わったら・・・」 終わるのは命そして、希望だった

静かに流れる映画空間のなかで、ついに私の涙腺が切れた場面が、ここだった。
「戦争が終わったら、お茶を飲みましょうね」と言うヒルダ。彼女にとって、戦争の終わりとは、再び日常が戻ることを意味している。しかし、われわれはすでに知っている——彼らが無邪気に望む未来、お茶を飲む日常はこない。


老夫婦の純粋さが突きつける「戦争の現実」

『風が吹くとき』の最大の恐怖は、戦争そのものの暴力ではなく、「善良な人々」が無知のまま滅びていくことにある。ジムとヒルダは決して愚かではない。彼らはただ、「信じていたもの」が間違っていたのだ。

彼らの姿を見ていると、我々は現代社会にも通じる問いを突きつけられる。もし戦争が起きたら、自分たちは正しく対応できるのか? 政府やメディアの情報を盲目的に信じていないか? 彼らの純粋さは、美しいと同時に、私たちが抱える「無関心」の危険性を浮き彫りにしている。


5. 『風が吹くとき』が現代に問いかけるもの

冷戦時代に作られた本作だが、そのメッセージは2025年(再公開は2024年だった)の今もなお重い意味を持つ。ウクライナ戦争や中東情勢の緊迫化、核の脅威が現実味を帯びる中で、私たちは『風が吹くとき』を単なる「過去の物語」として片付けることはできない。

戦争は、突然やってくる。いや、突然やってくるかのように見える。しかし実際は、じわじわと歩み寄ってきている。
じわじわと歩み寄ってくる戦争の脅威。
昭和初期の日本では、ごく一部の人たちが「軍靴の足音」に警鐘をならし、その多くは、当局に捉えられ、反逆者とされ、苛烈な拷問の後に、果てた。
その後、日本は、原爆を落とされ、町を焼かれ、300万人以上が殺された。
見える人には見えており、見えない人には全く見えていない現実だ。
本作は観客に「どうするべきか」を説く映画ではない。ただ、老夫婦の姿を通じて、「私たちは何をみているのか」と静かに突き付けてくるのだ。


風が吹くとき、何を思うのか

『風が吹くとき』は派手なアクションも凄惨なシーンもなく、淡々と進む映画だ。しかし、だからこそ、観る者を選ぶ作品となっている。戦争の悲劇を描く多くの作品が「過去の戦争の教訓」を提示する中で、本作は「未来の戦争への警鐘」を鳴らしている。

風が吹くとき、私は何を思うだろうか?


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