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漫才人間とコント人間
一つ前の回ですが『ゴッドタン』の「キャラおろしワークショップ」というロバート秋山さんの企画が面白かったです。秋山さんがキャラになりきる方法を芸人たちに伝授していました。
その中で秋山さんが「キャラは自分じゃないから恥ずかしくない」という趣旨のことを話していたのが印象的でした。コントをやる芸人は、コントで役柄を演じるのは自分じゃないから恥ずかしくないが、漫才は自分としてしゃべらないといけないのが恥ずかしい、と言ったりします。
一方、漫才を専門にする芸人は、漫才は自分としてしゃべればいいから恥ずかしくないけど、コントは別の役柄を演じないといけないのが恥ずかしい、と言ったりします。
一般に思われているよりも、この区別ははっきりあって、漫才師はコントが苦手で、コント芸人は漫才が苦手、ということが多いようです。
どちらもやるタイプの人もいますが、そういう人は大抵の場合、どちらかに偏っています。漫才寄りの人は漫才っぽい自分に近い役柄のコントをやるし、コント寄りの人はコント的な役柄に入り込むタイプの漫才をやります。
おそらく、芸人ではない人の中にも、漫才タイプとコントタイプがいるのではないかと思います。
私自身はたぶん漫才タイプです。自分じゃないものを演じるのは恥ずかしいどころか、理解を超えていて想像もできません。小学生のときの学芸会も、とにかく何らかの役柄を演じるのが嫌だったのでナレーターをやって乗り切りました。
もっと言うと、一般社会ではわざわざ本来の自分じゃなくて「人間」を演じないといけないのがめんどくさいなあ、と思っています。できれば人間も演じたくない。自分は自分なので。