お笑い界で変わる「革新」と「保守」
最近思うことのメモ。近年のお笑い界において「とがっている(革新)」と「守りに入っている(保守)」の価値観が逆転しているのではないかと思うことがある。
たとえば、粗品さん、くるまさん、サーヤさんみたいな最近の生きのいい若手芸人が、上の世代に対して強気な感じの、ちょっと生意気に聞こえるようなことを言ったりすることがあるとして。
もともとは、そういう若手芸人側の立場が「革新」であり、そういう人たちに聞く耳を持たない上の世代の人が「保守」であるとされていたはず。
でも、今の時代、若者を否定して怒られたりダサいと思われたりするのをみんなが恐れているので、そもそもあんまり真っ向から粗品さん、くるまさん、サーヤさん的な人に歯向かう人がいない。みんながみんな、ものわかりが良いか、ものわかりが良いふりをして、きついことを言わなくなっている。
その結果、生きのいい若者の言うことを否定せずに受け入れることが「保守」になっていて、そういう人にあえて立ち向かうような人がいたなら、その人の方が「革新」という感じがする。
たとえば、今どき「粗品は失礼だ。くるまは生意気だ。サーヤはいけすかない」などと言う人はほとんどいない。もし、これを言う人がいたら、その人こそが今の世の中で一番「攻めている」と思う。
本当の意味での「革新派」は、いつも世の中の流れと正反対のところから出てくる。悪態をつく永野さんの髪の毛をつかんで引きずり回した陣内智則さんや、オズワルド伊藤さんの遅刻癖について真正面から説教したほんこんさんのような人が、今の時代には一番の革新なのかもしれない。