
3から6マスは心電図!? 「はいよろこんで」の歌詞考察
こっちのけんとさんの「はいよろこんで」を紅白きっかけに聞いてみました。
自分にも躁鬱の気があり、どんな曲なのか聞いてみたところ、
「あんな楽しげな曲ではない」という印象を受けました。
まあ、「ギリギリダンス」のところがバズっているからだと思うのですが、、、
そんなわけで、この曲の本質が知りたくなって考察してみます。
というのも、携帯の設定を英語にしているので、
「ギリギリダンス」→「get it get it done」になっていて、
?と思ったからです。
ではでは、
『はい喜んで』
『あなた方のため』
『はい謹んで』
『あなた方のために』
差し伸びてきた手さながら正義仕立て
嫌嫌で生き延びてわからずやに盾
『はい喜んであなた方のために』
『出来ることなら出来るとこまで』
後一歩を踏み出して嫌なこと思い出して
奈落音頭奏でろ「・・・」
もう一歩を踏み出して 嫌なこと思い出して
鳴らせ君の3~6マス「・・・ーーー・・・」
前半部分では、
「あなた方のために、喜んでします」というタイトルの通りの一文。
視点は自分自身と言っていいと考えます、「差し伸びてきた」なので。
後半のSOSとカッコが違うので、
これは本心ではない、というか盾だと思います。つまり、、、
「自分を理解してくれないわからずやの正義を気取った歩み寄りに対して、
喜んでしますという自分を守る盾の態度で、機嫌を取ることで生き延びる。」
これは、自己犠牲的で、相手を立てることでその場を収める。
ただし、私の思うところではない、行為だということ。
「出来るとこまで」は、限界ギリギリまでという意味にも取れます。
考えるべきは、置かれた状況だと思います。
「差し伸びてきた」というのが何なのか。
一見すると、ココロの病への助力なのか?
あるいは、単純化して気分の落ちていた人へということでしょうか?
そう解釈すれば、
「差し伸べられた手は、私のことは考えてくれていない」となる。
続いて、後半部分、
「あと一歩を踏み出して、そこでSOSを鳴らせ」と言っています。
モールス信号ですよね。
では「3から6マス」とは何なのか。
このことに関して、本人曰く「心電図」らしいというのをみました。
私は、医療関係者で「本当かよ」と最初思っていました。
心拍数の正常値は「毎分50〜100回」です。
そして、心電図はマス目があり、経過時間を表します。
その脈と脈の間のマス目から心拍数を逆算します。一拍の時間がわかるので。
上記の心拍数の正常値に対応するのが、
何と「3から6マス」なのです。MVの心臓がそれです。
「鳴らせ君の3から6マス」とは、心臓であり、ハートのことで。
そして、SOSは頻脈でも徐脈でもない正常値。だとも言っています。
そして、このSOSを鳴らすと同時に、
ギリギリダンスの振り付けが、足を踏み止まる様子に見えました。
続きます。
ギリギリダンスギリギリダンス(踊れ)
ギリギリダンスギリギリダンス(もっと鳴らせ)
ギリギリダンスギリギリダンス(踊れ)
ギリギリダンスギリギリダンス(もっと鳴らせ)
慣らせ君の病の町を隠せ笑える他人のオピニオン
うっちゃれ正義の超人たちを鳴らせ君の3〜6マス「・・・ー ー・・・」
先に、後半の歌詞を触れます。
「隠せ笑える他人のオピニオン」は、
自分の理解者でもない意見は、隠してしまえ、目を瞑れ。
「うっちゃれ正義の超人たち」は、
正義の面を被った人たち、口だけならどうとでも言えますからね。
ただ、「慣らせ君の病の町を」が難しいです。
MVでは、とんがった三角の上を軽やかに飛ぶという描写でした。
躁鬱の浮き沈みの表現だとしたら、それに慣れるという意味?
自分の生きている状況の異常性も慣れようという前向きな表現でしょうか?
あるいは、そんな異常すら、世界に向けて慣れさせようということかもしれない
そして本題の「ギリギリダンス」と「get it done」
なのですが、当初は後者だったというのも見た上で、、、
「get it done」だとすると、成し遂げるやこなすという意味になって、
「SOS」を掲げることを、推進するような意味合いにも取れます。
または、SOSを発したいと同時に「為すべきことを為せ」という、2面性。
一歩を踏み出すか、あるいは、SOSで踏みとどまるか。
そんなギリギリな状況と頭からの指令のジレンマの歌とも取れて、
どちらかというとこっちのニュアンスが近いかなと思います。
まとめ
ここまで自分のSOSを抑えて、
あなた方のために喜んで、努力してきた。
だが、それも限界ギリギリとなってきて。
あと一歩が踏み出せない。
そのせめぎ合いの果てに。
ギリギリで踏み止まって、
私たちの正常の反応であったSOSを掲げて鳴らそう。
という解釈でしょうか?
最後に
いかがでしたでしょうか♪
鬱気味の人には、よくわかるような歌詞だとおもいます。
自責思考や優しさから、自分を下げて偽ってまで他者のために頑張る。
ただ、限界ギリギリがきてしまうから。その時はSOSをあげようという。
そんなSOSを気軽に、モールス信号でなくて掲げる時代が来るといいですね
最後に残りを軽く触れますね。
「怒りを感じても優しさが勝つあなたの欠点が希望」
これは、世界や他者に対する怒りの前に、
怒りの対象にも慮って優しさを向けて
自分のせいではないかと考えてしまう欠点が、あなたの希望だと。
また、「分かれ道思うがまま Go to Earth」は、
分かれ道でも、その選択を無視してもいいという意味かも。
英語の意味的に。
「任せたきりワガママな言葉」は、
聞いている人に最後は任せるような言葉で。申し訳ない。
まで、入っている優しい言葉な気がします。