40年目の反省リスト(13)1996年
1996年に入り、まだまだ不安定期が続く。
この年最大のトピックスは、まだ当時東京在住だったにもかかわらず「名古屋マンガ家」の看板を掲げる決定的出来事となった著書「完全『名古屋人』マニュアル」(KKベストセラーズ)の刊行。愛知在住者アンケートをメインにした、おもいっきり名古屋本ブームへの便乗だった。当時やたらと出回ってた「完全○○マニュアル」というタイトルの、これまた便乗。
この本の発売がゴールデンウイーク前に決まって喜んでた頃、すれ違いみたいなタイミングで、「週刊少年ジャンプ」の「ジャンポスト」終了を宣告されたんだっけ。それで、情緒の不安定さにも拍車がかかったのを、今書いてて思い出した。
ちなみにアンケートに協力を賜った愛知在住者(実は岐阜も数人いたが)には、私が自腹で作ったテレホンカードを進呈した。こんな絵柄。
幸い、地元のメディアには好意的にご紹介いただけて、ほんの僅かだったが再版もしてもらえた。ネットは今ほど一般的ではなかった時期だけに、ありがたい話。今読み返すと文章がゴテゴテしてて読みづらいことこの上ないが、とにかく情報量だけは盛り込んだという、そんな内容だった。
こちらも「二次展開」的なお仕事はいくつか頂けた。その中で、個人的に気に入っていたのが、実業之日本社が出版していた食べ物情報月刊誌「ハラペ~ニョ」のスガキヤカップ麺レビュー。
このレビュー記事を担当してくださった編集者さんが、1989年の回でも登場したAさん。池袋への転居ハガキに地図を描いたら、わざわざ掲載誌を自分で持って我が家の玄関先に現れ、私に本を手渡した後、
「『ハラペ~ニョ』、今号で休刊になりました!」
そう告げて颯爽と帰っていった。フシギな方だ。こういうタイプの人とはぜひまた会いたい。
この年「完全『名古屋人』マニュアル」以外では、「週刊大衆」(双葉社)で数週間だけ時事ネタ4コマを連載したり、初のプロレス4コマ誌「プロレスくらぶ」(リイド社)で天龍源一郎の4コマ連載を開始したら2号で終わったりと、マンガ連載の方は引き続き不安定。
気がついたら、あれだけあったマンガ雑誌の連載が「まんがパロ野球ニュース」1誌だけになっていた。
一方では、今は無きメディアレモラスというレーベルで、初めて声優ドラマCDの脚本を執筆させてもらえたのも、この年だった。
野球4コマの依頼は途絶え、安定を目指すために路線変更するか、それともマンガ以外に活路を見出すべきか、本気で迷い始めた頃だったと思う。
(第13回・了)
※今回も有料ゾーンありません