【落語好きの諸般の事情】#23 落語家がかつて声優を兼業した問題
「立川談志師と三遊亭円歌師は、かつて同じアニメで声優をしていた」というトリビア、今の落語ファンには信じてもらえるのだろうか?
落語家と声優。どちらも声を武器とする職業ではあるが、この頃は意外と接点が少なく、兼業する人はごく一部に限られる。
現役では六代目三遊亭円楽師のご子息・三遊亭一太郎さんが「会一太郎」として大手声優プロダクションに所属し、落語と声優の両方で活動中だが、彼は特例。他にも落語家ではないが講談師の一龍斎貞友先生と一龍斎春水先生が現役の声優である。
同じ声を使った仕事でいうと、ラジオパーソナリティーは各キー局に一人は落語家さんがいるし、ナレーターというお仕事もある。声+演技ということならば声優を副業にする人がもっといてもよさそうな気もするがそうでもない。むしろ逆に落語に挑戦する若手声優やパーソナリティーは増加の一途だから、無縁ではないのだろう。
TV草創期は芸能プロダクションがほとんど存在せず、「TVタレント」という職種も売り込みも無かった。従って寄席芸人が現在の「TVタレント」枠で放送プログラムに駆り出された。その一環が、1960年代に山のように放送されたアメリカ制作のコメディドラマやギャグアニメで、何人かの寄席演芸人が日本語版吹き替えの声優として出演した。
現在の三遊亭金馬師はその代表で、前名・小金馬時代に『ミスター・エド』(1962年)という馬がしゃべるドラマでは主役に抜擢された。当時から特徴のあるしわがれ声だったが、やはり小金馬という名前からの連想なのだろうか。金馬師はその後も『トムとジェリー』や『少年シンドバット』などで吹き替えに参加し、金馬師の声は当時の子供たちの間でおなじみとなった。
さらに声優として名を馳せた芸人さんが、浪曲師の二代目相模太郎先生。1963年に日本最初のTVアニメ『鉄腕アトム』に参加以降、『ビッグX』『ハクション大魔王』『科学忍者隊ガッチャマン』など名だたる有名アニメに名脇役として参加、さらに人形劇、映画吹き替え等にも数多く携わった。1981年『怪物くん』のフランケン役を担当中に50歳の若さで急逝したのが惜しまれる。当時私は訃報を読むまで、この方の本職は声優だと信じて疑わず、浪曲師と聞いて驚いた覚えがある。
一方、一作限りではあったが、前述の談志師と円歌師もアメリカアニメで共演した。1963年のハンナ・バーベラ・プロダクション制作『ドラ猫大将』である。
当時ハンナ・バーベラを始めいくつものアメリカアニメを担当したプロデューサーが盛んに人気芸人や喜劇役者を日本語版吹き替え声優に登用しており、関敬六さんの名フレーズ「ムッシュムラムラ」はこの流れから誕生した。さらに1970年代に放送された『行け行けバンバン恐竜天国』に声優で参加したのが、先日亡くなった古今亭志ん駒師だった。ただしこのあたりが寄席芸人さんの声優業参加履歴の最末期で、以降はTVの現場同様、大手プロダクション勢力に対抗する術なくシェアを手放すことになる。
その後は、九代目林家正蔵師が前名・こぶ平時代に『タッチ』などで声優活動をしたものの、業界全体の流れとしての落語家声優兼業時代は終焉を迎えたといえる。
そんな中で唯一、1994年のジブリアニメ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』では、五代目柳家小さん・桂米朝・五代目桂文枝・古今亭志ん朝(語り)といった錚々たる師匠連が声優を務めていて、正蔵(こぶ平)師も参加している。しかもチョイ役でなく、全員れっきとしたメインキャラなのが特筆すべき点だ。
こういう映画はもっとあってもよいと思うのだけど、今後製作されないのだろうか。落語のファン層が拡大した現在、落語家さんがわざわざ副業することを求めるのもおかしな視点だが。
(参考・『ケンケンと愉快な仲間たち』高桑慎一郎氏著、イーハト―ヴ出版、1995年)
さて、ここから先は今回のオマケです。
過去に拙サイト「落語別館」の日記やブログで書いた、東京時代に足を運んだ寄席と落語会の観覧記。それにちらっと説明を加えてのリサイクル公開(一部本邦初公開もアリ)。23回目は、2004~2006年の記録その13。今回は寄席多め。真打昇進の御披露目もあります。
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