見出し画像

40年目の反省リスト(20)2003年

2003年は「奇跡」が起きた年だった。
プロ野球で阪神タイガースが1985年以来18年ぶりのセ・リーグを果たしたのだが、そっちが「奇跡」だったのではなく、この年どうしたわけか、野球4コマが一時的に大復活したのだ。
よく考えたら、芳文社の「まんがスポーツ」が創刊したのが1985年。野球4コマという尺度(とても狭い)から見れば、こちらも18年ぶりの歓喜であった。

私は前年2002年秋から、オークラ出版の野球ムック「野球批評」でイラストやら4コマやらもろもろの仕事をもらっていた。「野球批評」は同年夏創刊の季刊誌で、創刊号を見て、スタジオHEGEのメンバーと共に編集部へ御用聞きに伺ったのが最初。当時は東京中日スポーツの4コマ連載が安定期に入っていたこともあり、気持ち再びが野球の方に戻っていた時期だ。

Vol.3(2002年)記事イラスト
「野球カルト倶楽部」イラストを応用したタッチ
Vol.7(2003年)記事イラスト
当時は気に入ってたけど、今見ると文字が残念な仕上がり
まだPhotoshopが使えてなかったんだよねー
Vol.6(2003年)記事イラスト
こちらは普段のタッチで、テキストも担当

そんな折、就任2年目の星野監督率いる阪神が夏場までぶっちぎりの強さを見せ、ちまたでは「阪神Vあるかも?」の空気が満ちてきた。
この機に乗じて、編集部に「阪神ネタ4コマ本」の企画書をダメモトで提出。するとこれが受け入れてもらえた。オークラ出版は他のジャンルでコミックアンソロジーの実績もある会社だったのを、会社のサイトで調べておいた成果である。

本の企画が通るのは、マンガの持ち込みが通るのと同規模の嬉しさがあるが、こちらの方が何倍も規模がでかい。
さっそく、これまで培ってきたコネクションの総動員。フリーの編集者さん(他社の元担当さん)に本のタイトルと中身の編集をすべてお願いし、これまで交流のあったマンガ家さんから電話連絡できる方限定でメンバーを選択した。
本のタイトルは「プロ野球ギャグコミック2003 無敵!猛虎タイガース大咆哮編」に決定。内容は「阪神編」と「2003年ペナントレース編」に分けて、それ以外にも亀山つとむ氏インタビューや執筆者放談など盛り沢山。
執筆陣は下記の面々(掲載順、敬称略)。
中山ラマダ、いわみせいじ、たかみね駆、佐々木さいこ、ちば・ぢろう、小坂俊史、河合じゅんじ、大平かずお、まるはま、庄司おさむ、緑川ヒロユキ、なかむら治彦、真田寿庵、大賀一五(以上阪神編)
みずしな孝之、荒木ひとし、田代哲也、市森晴絵、工藤あきら、たかみね駆、なかむら治彦
(以上2003年ペナントレース編)
 ※ペナントレース編のたかみね・なかむらは再録原稿

表紙は中山ラマダ先生、中扉はみずしな孝之先生の担当

緑川ヒロユキ先生はたしか企画の段階で面識が無かったが、当時デイリースポーツ(阪神贔屓で関東ではおなじみスポーツ紙)で連載をされていたということで、緑川先生が参加されるグループ展で知り合いの漫画家さんに無理を言って紹介してもらった記憶がある。また、同人作家さんもぜひ入れたいと思い、たかみね先生の知人の真田・大賀両先生にも執筆をお願いした。
奥付に「10月12日初版第1刷発行」とあるのでこのあたりの発売だと思うが、9月前半には原稿が戻り、9月10日に執筆者の打ち上げをした記録があった。なんであやふやかは後述。

同誌掲載の拙作「2003年センちゃんのツボ」より

表紙イラストの中山先生始め、かつての「パロ野球」作家の皆さんの力のこもった仕事ぶりで、往年の野球4コマ黄金時代を想起させるのに十分な内容になったと思う。20年経った今、改めて最大限の謝意を表したい。

そして、これ1冊だけでは「奇跡」にはならない。
「まんがパロ野球ニュース」の竹書房が、「まんがパロ野球ニュース号外・まるごと阪神Vスペシャル」と銘打った増刊本を発売した。こちらの奥付は「11月14日」なので、1ヵ月前の10月14日あたりか。
こちらの表紙は、メインがやくみつる先生、カットでいしいひさいち御大とみずしな孝之先生、あと写真が数点。
内容は見事にかつての「パロ野球ニュース」の再現で、私はこちらにも執筆させてもらえた。しかも通常の4コマ4P、蘊蓄マンガ6P、エッセイマンガ1Pの3本立て。5年ぶりの竹書房雑誌、昔のよしみというのはありがたい。たった5年のブランクながら懐かしい誌面であった。
あと他社からも、阪神優勝がテーマのコミックアンソロジーが出ていたと思うが、不詳。たぶん雑誌にもあったはず。そもそも阪神を扱った出版点数が尋常でなく多かったから、全部確認しきれなかった。当時の「阪神が表紙だと、阪神ファンが買ってくれる」というファン頼りの流れがあったのが要因の一つだが、この流れは出版不振の今も、ジャンルを越えて連綿と続いているようだ。

私事だが、実はこの2つの仕事を同時進行していた7~8月頃、ちょうど引っ越し作業のど真ん中だった。いつもはどうにかスケジュールを工面していたけど、この頃はまったく大変なんてもんじゃなかった。
しかもこのチョイ前、学習研究社「笑説大名古屋語辞典」の担当編集者さんから続編「やっとかめ!大名古屋語辞典」刊行の連絡があり、マンガの追加執筆の依頼を頂いていて、初めて「物理的に無理です」という返事をした覚えがある。それでも結局、描き直し含めて30余点ほど送ったと思う。
9月12日発売(奥付より)だったが、思い入れの深かった前作「笑説~」と比較すると、ビックリするほど記憶が無い。

これをピークに、似顔絵4コマが雑誌の主役を張ることは無くなった。
諸事情ある中、21世紀によくぞ「奇跡」を起こしてくれたものだという思いで、ちょっと胸が熱くなる。
野球4コマ誌にとっての最後の檜舞台が、2003年だったと思う。ふと気づいたが、これは自分にも置き換えられそうだ。
(第20回・了)

いいなと思ったら応援しよう!