40年目の反省リスト(17)2000年
西暦2000年というと、仕事探しの営業活動とサイトの更新活動で、日々わらわら慌ただしく動いていた頃。
前年1999年から、あることを機に、某落語ファン交流サイトに出入りするようになっていた。周囲の常連には、パソコン通信時代も熟知するコンピューター第一世代なんかがごろごろいて、私はその中のネット新参者。人見知りには緊張する環境であった。この年の初旬、そのサイトの管理人さんがお手伝いをする地域落語会に足を運び始めたことで、頻繁にナマ落語通いをする生活がこのあと始まった。この生活は東京を離れる少し前、2010年あたりまで続く。
これがのちのち、反省材料になるのか、それとも新規の仕事の広がりに繋がるのか、この時点ではまだ見えてない。
ミレニアムイヤーのこの年は、仕事上でいくつかの動きがあった。
(1)前年の中日のリーグ優勝を受けて、東京中日スポーツのマンガ連載がヒトコマから再び4コマに変更。『竜党あっぱれ計画』のタイトルで、私が月~金、たかみね駆先生(タイトル文字も担当)が土日を受け持った。こちらも例によって時々ボツになりつつも、2007年8月まで続いた。
(2)実話週刊誌『週刊実話』(日本ジャーナル出版)にて4コマ連載が開始。毎回1ページ(2本)の、やっぱり野球マンガ。『四球四振』という、4コマにひっかけたこのタイトルは割と気に入っている。以前の『週刊大衆』よりずっと長く、2年9ヵ月ほど続いた。
(3)以前中日4コマ連載をさせてもらった『ぴあ中部版』から、名古屋ネタ考察の連載記事(イラスト付き)を、とのオファー。『なかむら治彦の21世紀名古屋イズム』などという大上段なタイトルで、毎回違った名古屋ネタを題材に、こだわり盛り沢山でアカデミックなふりをしながら名古屋イジリをし続けた。
連載は中日4コマより短い全29回。取材目的で名古屋に3泊4日したり、短命だったが毎回自分なりに全力で取り組んだ、力の入った仕事だった。
今回もイラスト多めに掲載しておく。
ところで、イラストの女の子のフォルムについてひとこと。
今までの絵柄と全然違うフォルムをしているのは、当時ケーブルテレビの「カートゥーンネットワーク」でバカハマリしていた米アニメ『デクスターズ・ラボ』のキャラ、ディーディーを真似たくなったせい。
今ふと思ったんだけど、この気まぐれで絵柄を変えたことが、連載を縮めた要因ってことはないよね…?いや、まさかね…。買い被りすぎ。
以上3つ以外では、前年「ばんざい!ドラゴンズ」でお世話になった東洋経済新報社が出した名古屋本「知ってトクする!名古屋の事典」で表紙イラストをちらっと担当させてもらったり、「名古屋学」の文庫版(新潮文庫)が出るにあたってイラストを追加+修正したりしてた。名古屋めしは数えきれないほど描いてきたけど、この文庫版のイラストは我ながらまあまあよく描けてる。どこかで見かけたら確認してやってちょ。
まあ、最初の頃より仕事が減って、一枚絵に時間をかけられるようになったというのが一番の理由なんだけど。
(第17回・了)