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40年目の反省リスト(22)2005~06年

以前予告したとおり、今回と次回は少々ハショる。
1年分の情報がうっすいので。

先が見えず模索続きの2005~06年頃、新たに2つのキーワードがマンガ家生活に加わった。「グループ展」「SNS」だ。

グループ展の方は、間接的には少し前から始まっていた。
先輩4コママンガ家の田代しんたろう先生から、「日韓ユーモア漫画家年賀状交流展」という、日本・韓国両国のマンガ家が描くイラスト年賀状の合同展示企画への参加を募るご連絡を1996年頃から頂いており、私も不定期ながら参加していたのだ。

これは2005年度(酉年)の拙作

日本と韓国の両方で毎回ギャラリー展示が催され、特設サイトも毎年更新された(サイトは今も検索すると出る)。運営等の詳細は、原画を郵送していただけの私には分からないが、たしか2009年度頃まで続いてたはず。

2006年5月には、新宿ゴールデン街の「クラクラ」というお店で、落語メーリングリスト(ML)の知人・ちばけいすけさんとの似顔絵二人展「なかむら治彦・ちばけいすけ寄席芸人似顔絵展」が催された。同じMLの知人によるマッチング。ちばさんは早くから自サイトで芸人さんの似顔絵を公開しておられた、知る人ぞ知る似顔の達人。店内に15点ずつ計30点の展示で、有名無名、現役故人取り混ぜ、好きな芸人さんだけ楽しく描いた。

夢路いとし・喜味こいし
寒空はだか
波多野榮一

他にも、2000年代中盤以降、交流ある同業の方々からのお導きでグループ展に足を運ぶ機会が増えた。紙媒体で4コマや文字ばっかり描いてた自分にとっては、まるっきり未知の世界だったが、徐々に馴染んだ。
さらに、どういう経緯だったか忘れたが、「われらマスコミドラゴンズ会(マスドラ会)」に入会して、会の新聞広告のイラストやら中日スポーツのコラムやら担当したこともあった。こちらは訳あってじきに抜けたが。

「SNS」の方は、言わずと知れたミクシィ(2005年1月参加)である。私が入った当時は会員制でクローズドだったので、ここでは基本日記のみ。そのうちミクシィが「ここで公開された文章の著作権はミクシィのもの」などとふざけた発表をしたので心が離れ、他のSNSに移った。


ここまで、仕事の話が一つも出てこない。
ここから先は僅かながら、2005~06年の仕事の話を。

2005年7月、東京新聞出版局から「でらうまドラめし」という単行本が刊行。私にとってはフランチャイズの会社。

表紙のマジックは落書きではなく、鈴木孝政氏のサイン

名古屋めしレシピ本で、2004年の回で名前が出た名古屋料理居酒屋「ごはち亭」のマスター、山本俊夫氏との共著。本が出た時にお店で発売記念サイン会があって、その時いらした元中日ドラゴンズの鈴木孝政氏のサインが表紙に入ってる。翌年秋には「ごはち芸術祭」というイベント企画も催されたりした。
本が出たのがちょうど「愛・地球博」の真っ最中で、第何次だかの名古屋本ブームに乗れればと思ったが、そんなには乗れなかった。

1年後の2006年7月、小学校児童向けダジャレ本「げらげらぶっく」シリーズから「ダジャレの宝島」刊行。発行元は学校図書。当時子供に人気のあったマギー審司さんがナビゲーターを務める。

このシリーズでは他に、よゐことキャイ~ンが登場

編集プロダクションからの発注で、大まかなレイアウトは全部指定されており、私はラフに従って絵を描くだけの簡単なお仕事。

こんな感じのを100点近く描いた

本が出た後に奥付で知ったのだけど、このシリーズのダジャレ作成協力者の中に三遊亭楽花生さん(のちの楽生師匠)三遊亭好二郎さん(のちの兼好師匠)他の落語家さんの名前があった。特に楽生師匠は4年後「なぞかけQ」という本でご一緒するのだけど、この本のことはいまだに話してない。

絵の仕事はたまにもらうものの、4コママンガ家としての仕事の発注は無くなって、次のステージを真剣に考え始めた。そのためには何をするか、また何をやめるか。先が見えないなりに検討しだした時期だった。
(第22回・了)

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