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40年目の反省リスト(6)1989年

さて、時代は平成に突入する。時流でいうとバブルの絶頂期…とはいえ、リアルタイムでは「バブル」とは言わなかった。1992年頃「バブル景気が崩壊」と言われだし、そこから翻る形で、1990年前後の好景気を「バブル」とマスコミが表現しだした…と、先日読んだ泉麻人氏の本「黄金の1980年代コラム」(三賢社)に書かれていたので丸々のっかる。
かくいう自分も、当時の出版流通界のバブル景気の恩恵に大いに預かった側の人間である。単純に媒体数もだけど、この時代は「面白そうな企画はすぐ通る」という柔軟さがあって、一言で表現すると「やりやすかった」。逆に言えば、90年代中盤以降は出版社も失敗が許されなくなったから、冒険的な企画には慎重になり、2000年代に入るとそれが一層顕著になった。つまり「やりにくくなった」。このあたりの表現は今後もたびたび出てくるはず。

マクラが長くなったけど、ここから本題。
前年までの仕事はほぼすべて継続で、この年新たに2社が加わった。
【1989年の主な新規マンガ仕事】
・漫画サンデー
(実業之日本社)
問題実話(桃園書房)

この2誌には共通点がある。これまでの仕事が基本、私自身が出版社に原稿持ち込みに足を運んで仕事を獲得したもの、あるいはコネからの紹介という流れで始まった仕事。それが、まったく面識の無い所から1本の電話によって仕事が始まった、という点である。
その一番最初が桃園書房で、「問題実話」といういわゆるゴシップ月刊誌だったのだけど、この「私を4コマ漫画家として一番最初に『一人前』と見てくれた雑誌」という恩義が忘れられず、倒産による休刊までの18年間一度も休まず執筆させて頂いた。この会社も水道橋駅近くにあって、同じ水道橋の「まんがスポーツ」(芳文社)と〆切が近かったのもあって、よく2社を掛け持ちで原稿の受け渡しをして回ってた記憶がある。編集さんもたびたび代わったけど、皆さん気の良い方ばかりだったなぁ。初代担当だった同い年のKさん、お元気かなぁ。

「漫画サンデー」は銀座の実業之日本社という老舗出版社から出ていた、これまた老舗の大人向け漫画雑誌(2013年休刊)。平成初期の「岩谷テンホーブーム」に乗って、2年後の1991年に「スーパーはまぐり」という4コマ誌を発行、そちらでも連載でお世話になるが、この時は「漫サン」本誌に3ページ単発。確か「テレビネタ」という発注だった気がする。
これはそのうちの1本。(1989/9/26号掲載)

4コマ目の欄外のキャプションは私でなく担当編集者さんです

この4コマ目を内心気に入ってたら、この本が出て少し後、私が当時好きだった笑芸タレントさんが何かの番組で「オチはあなたの心の中にあります」と言ってくれたのを見て、すげー感激した。(マンガの内容は35年後の2024年現在をオチとするとビックリですけどね)
実業之日本社で担当をしてくださった初代編集さんも、すごく良い方だった。頭が良くて、クセが強くて、ある日突然スキンヘッドにしたりする、そんな方。Aさんお元気かしら。今後もこの連載コラムでお名前出るかも。

あ、ヘッダーの星野監督のイラストに触れてなかった。
この年発売の「まんがスポーツ増刊 まんがMVP」(芳文社)に載った、初めての描き下ろし表紙イラスト。「まんスポ」はこの時期絶好調で、私の野球4コマの仕事もこの後さらに増加していく。

考えてみると、このころあたりからかもしれない。いろんなタイプの編集さんとお会いして、それぞれの人となりに陰で一喜一憂しだしたのは。
ここでは好きな編集さんの思い出以外、触れたくもありませんがね。
(第6回・了)

※今回は有料ゾーンありません。ホントは上の「漫サン」の4コマ画像を有料にしよかと思ったけど、これでお金とっちゃマズいと思って。

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