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40年目の反省リスト(3)1986年

来週は更新が難しそうなので、今週のうちに進められるだけ進めとこう。
というわけで、あわてて第3回。上京2年目の1986年編。

【1986年の新規マンガ&イラスト仕事】
・漫画アクション増刊 かりあげクン(双葉社)
・NHK学校放送(NHK出版)
・月刊OUT(みのり書房)
 他

前年に続いて、新規の仕事はさくま氏のコネクションばかりという、巣離れできない状態。双葉社しかり、NHKしかり。あと銀座の某広告代理店。
代理店では名刺の似顔絵を描く仕事などをいただき、郵便預金でなく銀行口座を作るように言われた。その足で近くの某銀行にて口座を開設。キャリアと支店の地名が笑うほど不釣り合いで、「なんでオレこんな一等地に口座持ってんだろ?」と今見ても思う。

「NHKテレビ・ラジオ 学校放送〈中学校〉」(NHK出版)
昭和61年1学期4/7~7/19号 掲載イラスト

前年年末の東京中日スポーツの方はどーだったかとゆーと、時々ドラゴンズのひとコママンガを描いていた…らしい。実はほぼ記憶が無い。
当時東京のトーチュウと名古屋の中スポは紙面組みが異なっており、中スポには掲載されていないと思い込んでいたのだが、ありがたいことに大学時代の友人が中スポに掲載された私のマンガをノートにスクラップして送ってくれた。そのおかげで、辛うじてこの年トーチュウで仕事をしていたことを思い出せた…という具合。この年はまだ収入が全然だったから、掲載もせいぜい週イチ、しかもしょっちゅう没、そんな感じだったんじゃないか。

で、この年の後半だったと思う。月刊OUTの大徳編集長から直々にお声をかけていただけたのは。
月刊OUTは、私が高校時代から上京前まで愛読した、サブカルチャー寄りのアニメ&投稿雑誌。誌面がアニメに特化する前から、投稿ページの多彩なギャグに毎月大笑いし、自分もハガキを送りまくった。のちに自分でOUT読者サークルを作るまで病膏肓に入る。
ただしその後、誌面がアニメ中心になって以降は、一部投稿ページに目を通す程度になっており、OUTを読む時間は徐々に短くなっていた。
大徳氏から「なんでうちに来ないの?」と聞かれたが、アニメ中心のOUTで自分が何をできるか想像できなかった、というのが当時の正直な答え。

そしたらなんと、「OUT編集部が舞台のマンガなら描けるでしょ?」というまさかのサジェスチョン。4コマ連載「湯島ウラ行進曲」はこうして始まった。すいません、バックナンバーが無くて連載期間わかりません。
覚えてるのは、この連載の次に「やにわに同好会」というオリジナル4コマを連載したこと(これも時期不明)と、投稿ページ他のイラストをいっぱい回してもらえたこと。おかげでだいぶ人間らしい生活に近くなった。
(今回のヘッダーは、翌1987年のOUT編集部年賀状用イラスト)

↑ こっちは1988年用年賀状イラスト(だと思う)

大徳編集長、また当時の編集部の皆さん、OUTは素人投稿者以降、物書きとしてもめちゃくちゃお世話になりました。お金をもらいつつ勉強もさせてもらえた雑誌でした。OUTの話はたぶん次回以降も出てきます。
(第3回・了)
※今回は有料ラインありません

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