見出し画像

コミュニティFMに手を振って 第15話(最終話)

 それから……FMビートは、あっという間に閉局が決まる。ちょうどその頃、帯満亭が倒産し帯城電力は外資系会社に買収され上司は総替わりに。ほかの株主は、もうこれ以上の再起は見込めないと判断し、持ち株を全て放棄した。FMビートの年内閉局が12月1日に発表。閉局することは決まったものの、局は12月25日まで放送を続けることが認められた。12月25日。この日はFMビートの開局20周年。20周年の記念放送を最後に、FMビートはその役割を終えることとなる。

 最後の一ヶ月は、とても楽しく、充実したラジオ生活を過ごした。

「ムシが良すぎるでしょうが、また放送をさせてほしい」

 那波と青年団が我々に申し出た。ムシが良すぎるが、断る気持ちは我々には一切ない。もちろんウエルカムだ。

 最後の一か月間。夜6時10分からのビートニックアワー。月曜日は那波達による「夜でもシャウト」、金曜日には青年団による「帰って来たラジオDEほちら」がスタートした。相変わらず那波のギャハハ笑いは健在で、本当は7時で放送終了なのに「喋り足りないわ」と勝手に延長宣言し、8時過ぎまで放送を続ける。

「いい加減にしろよ」

長内は、そう呟くが、顔は怒っていなかった。

勝手に出て行って勝手に帰ってきたほちら。田崎の話では番組が終わってからも毎週金曜夜にメンバーで会い、祭りの打ち合わせをしていたそうだ。

「それではみなさんに発表します。来年2月14日。ほちらの第一回イベント。バレンタインカーニバルを開催します!!」

 場所は帯広中央公園。アイスキャンドルの展示とかまくら作り、バレンタインカップリングパーティに地元アーティストによる冬の野外ライブ。そしてラストは花火大会と盛りだくさん。野外ライブにはTAIZENも出演するそうだ。

「青年団の奴らが急に俺の店にやってきてさ。ほちらのテーマ曲を作ってくださいだって。ほちらって何だよ?全然曲のイメージが湧かないよ」

 文句を言ってはいるが、それはそれで嬉しそうだ。

 火曜日の「クリエイトカチ」では新コーナー「帯城に新FM局を」が始まった。まだFMビートがあるのにおかしな話だが、SNSや動画サイトで帯城の魅力を伝えアクセス数もフォロワー数も増え続けている。これのおかげでFMビートの閉局を知った人も多く、無くなるラジオ局で新しいラジオ局をという動きが一部で話題になっていた。

「始めは小さな輪だけれど、ブームとか文化や歴史なんてものは、みんな小さなうねりから広がっていくんだ」

 相変わらず喋り方はむかつくけど地域メディアの灯を消したくないという気持ちは伝わる。

 水曜日のハイスクールラジオ組の三人は、高校を卒業したら大金持ちと結婚してFMビートを作ってもらうと言っている。相変わらずのバカで、それはそれで楽しい。

それから私が担当する「ミュージックランチBOX」に新レギュラーとして椎村が加わった。

「CUグループ辞めちゃいました。上司と喧嘩してね」

 失業中でハローワークに通っているので、ボランティアで参加させてほしいと名乗り出たのだ。

長内が言っていた椎村への評価。

「椎村の選曲は良いが、その曲の伝え方が下手。進行役をつけて、選曲と曲の説明だけに徹したら番組はスムーズにいくと思う」

 それを参考に番組は私が仕切り、椎村には選曲と音楽の解説に徹してもらう。そうすることで番組のクオリティも上がった…と私は思っている。

 そんな感じで通常放送を12月24日まで行い、25日は開局20周年&バイバイFMビートスペシャル。出演者全員集合しての最後の放送となる。

もっと感傷的になるかと思っていたが、次々届くメッセージや番組進行に手いっぱいで寂しがる暇もないほど楽しい時間だった。今日でFMビートは閉局する。終わりが決まっているからこそ余計なことを考えたくなかった。

 そして…終わりがやって来る。

 23時50分。日付が替わると76.1メガヘルツから流れる電波は途絶えてしまう。公共の電波なので延長は許されない。もうお別れだ。

何を喋ろう、何を伝えよう。頭の中がグルグル回る中、一つのアイデアが閃いた。よし、これを喋ろう。

「ええ、今出演者全員がスタジオの中にいますので、私から一つ提案があります」

「なんだよ急に」とか「仕切るなよ」など他のメンバーがガヤガヤと盛り上げる。

「今日でFMビートは閉局しますが、12月25日がFMビートの開局記念日だってことは未来永劫変わりませんよね。だから来年の12月25日。FMビート開局21周年記念をやりましょう」

 私の頭の中で勝手に閃いたアイデア。残り時間も迫っているので考え直す暇もなく発した言葉。

「どこでやるんだよ」、「電波ないだろ」といった不平不満が出るかと思ったが、

「いいねえ」、「やろうやろう」とみんなから前向きな言葉が次々飛び出す。

 前向きラジオだ。あっ、今嫌なこと思い出した(苦笑)。続けて何か話そうと思ったが、もう言葉が続かない。これ以上喋ったら私のすすり泣きをマイクで拾ってしまう。私はメインマイクの前から離れ長内を席に促した。

「では来年の12月25日はFMビート開局21周年記念ということで、どこで?誰が?は、あらためて考えましょう。まだ一年も先の話ですからね。ということで、FMビート開局20周年記念はそろそろフィナーレです。では最後にスタジオにいるみんなでサヨナラと言いましょうか!」

長内が言うと、

「バカヤロー。さよなら言ったらおしまいになっちゃうだろ」

とTAIZEN。

「じゃあ…何て言ったらいいですか、TAIZENさん?」

「来年21周年やるんだろ?だったらまた来年でいいだろ」

 TAIZENが言うと、みんなが頷く。すごい!みんなが一つになった。TAIZENが長内に目配せする。お前がまとめろと。

「それでは、みんなでまた来年と言いましょう、いいですか。FMビート開局20周年はこれにておしまい。次回は開局21周年記念でお会いしましょう。それまでお元気で。せーの」

「また来年!!!!」

 12月25日23時59分。私達の「また来年」コールのあと、局のステーションジングルが流れ、FMビートは20年の幕を閉じた。

 

あれから一年。

「また来年」の12月25日になった。

 私は…東京にいる。無職になった私は入社した頃のように全国各地の放送局や芸能事務所に売り込みの音声データを送りまくった。その中のひとつの芸能事務所から声がかかり、私は所属タレントになった。所属といっても給料は歩合制。社員が3人、所属タレントも7人と小さな事務所で、時にはタレント自らで営業をすることも。CMのナレーションやイベントのMC、スーパーで流れる館内放送や街頭放送のCM。声が出るところに仕事ありという感じ。幼稚園の入園説明会では館内アナウンスだけではなく、参加した子供達にお菓子を配布するのも私の仕事。参加した母親には幼稚園の先生と何度も間違えられた。老人ホームの文化発表会の司会を担当した時は、三年前妻に先立たれたというお爺ちゃんから終演後にプロポーズされたりもした。こんな仕事でもある時は幸せ。時には一ヶ月何も仕事がない時も。ティッシュ配りやチラシ入れ。短期バイトも頑張った。そんな綱渡りの生活だけど、それなりに充実し毎日を何とか生きている。

 あの時…。もしも宮崎にあんなことを言わなかったらどうなっていたのか?もしもはこの世に存在しないし、そんなことを考えても過去は変わらない。だけど考えてしまう時がある。局は存続したと思う。宮崎の思いのままとはいえ、帯城市のラジオの灯は消えない可能性はあった。市民会館のイベント終了後、去り際の宮崎の表情が今も忘れられない。結局私達に一言も謝らなかったけれど、完全な悪人には見えなかった。イベントをぶち壊してしまったのに、宮崎は私達を訴えることは無かった。とはいってもFMビートのクライアントは次の日一斉に契約を打ち切ったわけだから、これが彼にとっての答えだったのだろう。今にして思う。ひょっとしたら話せばわかる人だったかもしれない。名古屋東エフエムの飯塚さんに宮崎が何度も言った「悪いようにしない」。私達が本気で向き合えばひょっとしたら悪いようにならなかったかもしれない。あくまでも「かも」の話。その答えは一生かけてもわからない。

 野本から聞いた話では、宮崎は帯城市内でインターネット放送局を立ち上げたそうだ。局の名前も聞いたし世界中で聞けるらしいが一度もサイトを見たこともないし、聞こうとも思わない。

「沢村局長がインターネット放送局の局長なんだって。つまり宮崎の部下」

 野本から聞いた時は驚いたけど、それも局長らしい。「かっちゃん」と「しげちゃん」だもんね。夏に野本が偶然局長と同じ店で会ったそうだ。笑顔で話していたが相変わらず目は笑っていなかったって。

 野本は帯城市内のイベント会社に就職した。イベントの企画運営のほか、営業、それからイベントMCもしている。オールマイティだ

「FMビートと同じようなもんね」

 確かに。

TAIZENは素人からプロまでが参加するカラオケスーパーバトルというテレビ番組にオーディションから参加し、全国大会に進出。テレビでその模様がオンエアされた。グランプリこそ取れなかったが、VTRで紹介された彼の生きざまが注目され、審査員特別賞を受賞。ライブの引き合いも増え、TAIZEN目当てにBARを訪れる人も増えたそう。野本の会社のイベントにも出演することも多いらしい。

 長内は同じ十勝にあるFM池内に誘われ契約社員からスタート。9月から正社員になったらしい。

「制作部長って肩書はあるけど、番組作りに営業に部下の管理、それから週2本出演番組があるから毎日大変。もともといるスタッフが使えない奴ばっかりで。よくこれまでラジオ局運営できていたなって呆れるほど。結局俺がやらなきゃ何もまとまらないんだ」

 長内節、相変わらず。2本持っている番組のうち1本のアシスタントはハイスクル―ルラジオ組の愛華だって…。

那波は「商店街活性化協議会会長」と「十勝温泉自然会代表」と2つの肩書きが増えた。噂では来年の市議会議員選挙に立候補するらしい。

椎村は旭川市の文化芸術の活動をとりまとめる旭川文化事業財団に就職した。市内のライブハウスと音楽スタジオ、ギャラリーと芸術ホールの運営管轄を任されている。

「旭川の音楽レベルもなかなかだよ。いつか帯城の時みたいに独自性の高いライブイベントをやりたいって思っている」

 青年団は2月に開催されたバレンタインほちらが本人達曰く大成功。8月に夏のほちら、そして来年2月には二度目のバレンタインほちらも決定したそうだ。

私の彼・京平は、入社2年目の6月。念願叶って制作部に配属された。

「いつか番組担当して、みちると仕事がしたいよ」と張り切っている。

 あれから1年。みんな自分の道を歩いている。私も歩いているけど、あの時私がみんなの前で言ったこと。

「来年12月25日にFMビート開局21周年記念をやりたい」

 これは実現しなかった。12月25日。私の仕事先は東京ドーム。「全国大逸品フェスティバル」という全国各地の名産が一堂に集結するイベント。この中で私は、クライアントの携帯電話会社ブースから、新商品の体験レクチャーのMCを担当する。この仕事が決まったのは10月末。いつもならどんな仕事でも迷わず即答するのに、この依頼だけは迷った。12月25日だったから。もしみんながこの日のために準備をしていたら、スケジュールを空けていたら…。そう思って長内と野本にだけは、この仕事のことを伝えた。すると長内からは、

「そんなのみんな忘れているよ」

野本からは

「21周年やろうって盛り上がったの安原さんだけだよ」

だって。そうだよね。安心はしたけど、ちょっとガッカリしたのも本音だ。

 12月25日のイベント当日の朝。野本からLINEが届く。

「時間あったらほかのブースも見に行くといいよ。帯城市のブースもあるらしいよ」

 へぇ、そうなんだ。でもなんで野本が知っているんだろう?帯城ブースってことは地元のお菓子やパン、ケーキなんかが並ぶのかな。せっかくだから立ち寄ろう。東京ドームに到着し、担当者と軽く打ち合わせ。私の出番は午後からなので午前中、各地のブースを見学することにする。東京ドーム全体を日本地図に見立てたレイアウトでライト側に北海道のブース。そこから東北関東と続き、バックネット側に九州、沖縄のブース。空いているスペースには私が担当する携帯電話会社を始めクライアントのブースがひしめき並んでいる。私が最初に向かうのは、もちろん北海道。

函館イカッタ連合、札幌うまいっしょ俱楽部、旭川大雪グルメ隊、様々なブースが並ぶ中、帯城市のブースを見つけた。ブース名は「チーム青空」

 青空か…。私は帯城の青い空を思い出す。

 今の事務所への所属が決まり、帯城を離れたのが1月20日。空港まで父と母が送ってくれた。母は「いつでも帰って来ていいのよ」と何度も言ったが、父は何も言わなかった。帯満亭が倒産した後、父は地元の建設会社に誘われ再就職した。肩書きは総務部長。帯満亭の頃より給料は減ったそうだが、「人から必要とされているうちが華だよ」と言っていた。私が東京に戻ると言った時、母は反対したが「みちるを必要としてくれている所に行きなさい」と父は後押ししてくれた。空港に到着し、母は搭乗口まで見送るつもり満々だったようだが、私はここでいい、と母を制した。永遠の別れじゃないし、私はもうお子様じゃない。

「じゃあ行くね」

 私が言うと、母は名残惜しそうに手を振り、父は何も言わず左手を挙げ、車は発車した。しばらく2人が乗っていた車を見送ったあと、私は空を見上げる。

「空…青いな」

 ホントに青い。青い空だ。今度この空を見るのはいつになるのかな?私は忘れないように、青い空を目に焼き付けた。

 

チーム青空。

帯城や十勝の名産物や観光商品が並ぶブースに近づく。スタッフが忙しそうに準備をしている…。あれ?クリエイトカチの玉木や青年団の田崎達、それからハイスク―ルラジオ組の3人。なんで?

「あっ、みちるさん」

 ラジオ組の美瑠が私に気づいて近づいてくる。私に驚いているという感じじゃない。私が来ることも知っていたような、そんな表情。

「えっ、何で」

 私が驚いていると、「おっ、芸能人の安原みちるさんだ」と田崎が茶化す。チーム青空は青年団をメインに、元FMビートのボランティアメンバー達を中心に構成されていた。

「野本さんから帯城市のブースあるよと教えてもらっていたけど、まさかみんながいるとは」

「みちるさんをびっくりさせようと思ってね」

 那波も来る予定だったが、「帯城市の景観を考える会」のトークセッションへのゲストが決まり来られなくなったらしい。TAIZENは帯城市内のライブハウスでワンマンライブ。

「手伝ってほしいってお願いしたら、よりにもよって12月25日に単独ライブって酷いですよね」

 もちろん野本は観客席にいるのであろう。チーム青空のメンバー達は、開店準備に大忙し。みんなが忙しなく動く姿を見ると、「私も手伝うよ」と言いたくなるが、私はチーム青空じゃないから。みんなの邪魔にならないよう自分のブースに戻ろう。背中を向けると玉木が言う。

「安原さん、俺達諦めてないからね」

「?」

「開局21周年記念はできなかったけど、いつかFMビートを復活させようってみんなでプロジェクト作っているんだ」

田崎も言う。

「ほちらの超ビッグプロジェクトのひとつが、祭りのようなラジオ局。これを帯城市に作るんだ!」

 美瑠が言う。

「私4月から帯城大学に行くんです。大学では放送サークルに入ります。みちるさんみたいなDJになれるよう、サークル活動頑張ります」

チーム青空のメンバーは、全員FMビート復活のために準備をしている。

 そして…田崎が言う。

「FMビートが復活した暁には、長内さんも野本さんももちろんみちるも誘うから。それまで開局記念はお預けな」

なんだこの臭いセリフ。ダサいじゃないか。なに夢見ているんだ。でも誰一人照れてない。照れ隠しの笑いじゃなく、本気の笑顔だ。局長と違って目もちゃんと笑っている。私は…笑いたいけど笑えない。泣きそうだ。ヤバイ。私は背中を向ける。去年の今日の最後の放送の時みたいに。涙をこぼしたくないから私は天を見る。ここは東京ドームだから空は白い。そしてこの屋根の向こうはきっと青空だ。でも青空が見えなくて逆に良かったよ。だって東京の青空じゃ物足りない。帯城の青空は世界一なんだから。

いつかまたあの青空の下、私はマイクを持って喋りたい。だからその時までマイクは絶対離さない。そうさ、何があっても離すものか!

(終)

#創作大賞2024 #お仕事小説部門

いいなと思ったら応援しよう!