コレ嫌いすぎて1本書いてしまうわ。 まぁなんというか、私は頭が良い人が好きなので、敵を作らないためにも多方面に気を使っている人の方が好き、というのがまずあるんだけど。 そういうことは置いておいても、忖度とは要するに他人の気持ちを推し量ることであって、 人間社会で生きている上でそれをそもそもやろうとしないというのは、どちらかというと非人道的だと思う。 正直だから良いなんて、クソッタレじゃないか。 私は正直にしか生きられないけれど、他人の気持ちを推しはかりすぎて雁字搦めにな
ええ。 タイトルが言いたい事の八割。 本日インライと共に「ここにいる」のMVがYouTubeで解禁されましたが、良すぎ。 歌詞大好きすぎたので全文。 この曲、木村拓哉すぎるだろ。 元々そのようにイメージして書かれた曲らしいですが、もうあまりにも木村拓哉。出だしから木村拓哉。 数年前までハマっていて、ここしばらくは目まぐるしい環境の変化のなかで追う時間が取れず目を離していたのだけど、戻って来たら途端に「相変わらず僕は僕でいる」と言われてしまった。知ってたけど。好き。
無気力人間だ。 みんな当然のように夢や目標があって絶望する。夢がないという人は多いが、それでも何かを始めてしまえば目標は生まれるだろうといつかのラジオでイザワタクシ氏が言っていたが、今現在働き始めて3ヶ月、なんの目標もない。 先輩が「どんな風になりたいのか」とかいう話を時折してくるが、別にどうにもなりたくない。強いて言うなら対価を得ている分の責任を果たしたいが、それ以外の感情は無い。 責任に関しては「果たしたい」というよりは「果たさなければならない」という感覚に近い。目
「日本語の間違いを指摘する」という行為について、賛否の声が上がる場面を何度か目にしたことがある。 「なしくずし」だとか「役不足」だとか「話のさわり」だとか、誤用が広まりそのまま定着した日本語というのは多くあり、これについて「もう広まっているから誤りとは言えない」ということを言う人がいる。 かくいう私もそう思う。 言語とはコミュニケーションツールであり、相手に的確に伝わるかどうかということが最も重要で、正しさとはそこに準じるように思う。 それから「言語は生き物」など
『Highway』/Ghost like girlfriend 好きな人というか、大切な人?に送りたくなる曲。個人的にはほぼ同義なのでアレですが、まぁ大切な友人とかも含め。 良い! 何もかも忘れたふりをして、携帯という現実との繋がりも絶って、一時的に車でどこかへ行ってしまう二人の、現実逃避の権化みたいな楽曲ですが、どの部分も車を走らせている側の人物が乗せている「君」をとても大事に思っているということがよくよくわかる歌詞になっているな〜と思います。 この歌詞はその最たる
インタビュー記事などに顕著に見られるこの文章を、「甘えを纏った」だの「社会的責任を回避している」だのと言い、あまり良くないものとして受け取っている人の意見がネット上で散見されていて、怖くなった。 そもそも単なる口語表現であって、話の上で使われる場合は自然なものである。 かつ、最初から文章で書くのであれば「〜だと思っています」という語尾が使われることになる。意味は特段変わらない。 つまるところ、これを批判するというのは「言い切り型でない語尾がまるで意見までふんわりさせようと
現在個人的ブームの推しが無価値感とコンプレックスにまみれまくり人間で、 そのおかげか最近自己卑下や無価値感について考えることが増えた。 自分のことが大っ嫌いだ、好きだった試しがないと話すのも、褒め言葉を全て否定で返してしまうのも、気持ちはめちゃくちゃよく分かる。 ただ推しは努力しているし、普通の人は絶対できないようなことを文句も言わずやり遂げるし、客観的に見てマジすごいというところが私と違う点で、なぜそんなに向上心があるのに自己肯定感低いのかが謎でならない。 私が自己卑
うっせぇ!!!!!!(cv.バカリズム) 「昔っぽくていいですね!」「手作業で一生懸命やるのが原点ですよね!」「親近感あっていいですよね!」 うっせぇ!!!!!! 売れてめちゃくちゃ金使ってると「変わっちゃった」みたいな目で見てくる奴らがいますが、人の本質はそんなところにはないし、単なる妬み嫉み以外の何物でもないですよね、と思う。 むしろ売れてくると変わるのは当人側と言うよりファン層です。推しを過剰に守ろうとするあまりその相方を傷付け通り過ぎてなんの罪悪感も覚えていな
※読まなくていいです。 死にたい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 「!」を多用するのは自信のなさの表れらしいですね。 推しが「自分のこと大っ嫌い」っていつも言うんですわ。そして「まぁでもそういう人って多いでしょ?」とさらに自分を薄めてくるというか、嫌いと言いつつも自分が辛いアピをしてこないところがもうさらにぴえんすぎて私は毎日泣いてるわけなんですわ。 「私も自分のこと嫌い、好きになれないっていう人もいるでしょうけど、そうい
戦闘機が買えるぐらいの、 はした金ならいらない! この歌詞、小学校の頃から知っていて、当時からマジで衝撃的な歌詞だと思ってた。 言わずと知れたブルーハーツの超名曲の一節ですが、今どきの子は結構知らないのよね(「今どきの子は〜」っての、今どきの子が言われたくない言葉No.1よな)。 戦争に使う兵器を買うための莫大な軍事資金を「はした金」と呼んでみたり、戦争に使う爆弾より人間関係を重んじてみたり、そういうところから戦争をくだらない、意味がないと痛烈に批判した反戦歌なのは分か
ゲーマーが増えた。 そもそも、ゲームが登場してからの歴史はそれほど長くない。生まれた時からプレステがありDSがあった今の世代にはその感覚があまりないものの、現在 四、五十代の人達が、子供の頃にやっと源流的なゲームが登場したくらいのもので、実際のところ、その歴史は半世紀程度でもその変遷を賄えてしまうぐらいの長さしかない。 だから、所謂オタクの増加とサブカルが消失した更に最近の文化的側面がその加速を後押ししてはいるものの、ゲーマーの増加はゲームの登場に伴って自然なことと
無理である。 一時期、木村拓哉のライブ映像をこれでもかと言うほど見まくっていた。 彼はいつでもばかみたいに前向きで、ネガティブなことを言わない。もし言ったとしても、その後には必ず「でも、」と逆説が続く。 そんなワンシーンを一度見ただけの人は、それを「ヒーローらしい、主人公っぽい綺麗事言ってるな」くらいにしか思わない。人はスーパースターが悲観的なことを言った時にこそ心を動かされるもので、明るそうな人が明るいことを言っていても当たり前のように感じてしまう。 だけど
わかる人にはわかるやつ。これらは全て星野源(敬称略)の楽曲の歌詞の一部を引用したものです。 すべて共通点があって引用しているのだけど、星野源の歌詞全体に共通しているという意味で大量に引用しているので、これ以上やると終わりがないということで一旦我慢して。 とにかく、マイナス表現とプラス表現が交互に出てくる詞が、過去から現在に至るまで非常〜〜〜に多い。 そして星野源の歌詞というのは、それを単に羅列している訳では無いというか。 並列に表しているわけではないと思う。
結構前だけど。 2016年末くらいかな。 元V6で俳優の岡田准一が、「ボクらの時代」の対談中に、ものすごくふつ〜〜〜のトーンで、こぼした言葉。 「でも なんか、上手く…こう、いった時って、結局 ひとのおかげじゃないですか。」 まぁそれを見ていた私は、ビビり散らかしたわけで。 何の気なしに、ただその通りだと思った上で、それを言えるその人格に。 「上手くいったら他人のおかげ、失敗したら自分のせいだと思いなさい」的な思考法は近年ネット上で言葉にされるようなことも増え
星野源(敬称略)の記事を書く息抜きに星野源の話でもしようかな。キモ。オタクすぎん?というやつです。 いやいや待って、ドン引かないで。 まあひとつ聞いていってくださいよ。 心はひとつにならないし、似ているようで重なり合っているだけだし、人はどれだけ経ってどんなに願ってなにをしても、ずーっと孤独で、独りでしかない。 ……というメッセージが、星野源を追いかけていると一生出てくる。 星野源が書く詞は、「ひとつにはなれないから」とか、「僕らずっと独りだと諦め進もう」
もう私は「結婚悲報扱いオタク」を一生非難して生きていくんだろうかっていうぐらいずっとそれを引き摺っていて大変申し訳ないんだが、でもマジで多分一年以上前に個人ブログか何かで見たこの表現が、未だに頭に残って離れない。 ライトなオタク。 ライトなオタクという表現は別にdisりではないと思う。別にライトでもいい、というか推される側からすればライトなファンの方が関わりの上では楽だろうとも思う。いい金づるにはならないかもしれないが、激重で家に押しかけてくるとか、そういう重症オタク