21世紀の賞レースを振り返る①

2001年にM-1グランプリが開催されてから早20年。
このnoteでは、M-1・R-1・KOC・THE MANZAI・TheWの5大賞レースを振り返る。今回は、2001年~2005年までの賞レース。

※すべての賞レースに自分が考えたサブタイトルが書かれています。

2001年 M-1

「伝説の始まり」

優勝 中川家
2位 ハリガネロック

M-1の始まりの2001年。トップバッターの中川家が優勝した。トップバッターの優勝は、M-1では中川家のみ。ちなみにこの年、後のチャンピオンとなる、ますだおかだ・フットボールアワー・チュートリアルや後の人気芸人となる、おぎやはぎ・麒麟・キングコングなどが決勝進出していた。

2002年 M-1

「道場破りと大会の進化」

優勝 ますだおかだ
2位 フットボールアワー
3位 笑い飯

2002年は松竹芸能所属のますだおかだが優勝。吉本興業主催の大会で吉本以外の芸人が優勝した始めての事例となった。また、この年から決勝のルールが現在のルールに変更され、大会として進化した。敗者復活戦もこの年から開始。スピードワゴンが勝ち上がった。この年は他にも、テツandトモが出場。

2002年 R-1

「1人芸で得た唯一の称号」

優勝 だいたひかる

2002年、1人芸NO1決定戦、R-1ぐらんぷりがスタート。初代王者はだいたひかるであった。ちなみに、TheW以外で女性芸人が賞レースを制したのは、だいたひかるのみ。この年は、陣内智則・ケンドーコバヤシ・友近等が出場している。 なお、この年のみ、座布団の上に座ってのネタ披露だった。

2003年 M-1

「三者三様の最終決戦」

優勝 フットボールアワー
2位 笑い飯
3位 アンタッチャブル

3年目のM-1は、優勝候補筆頭のフットボールアワー・Wボケで革命をもたらした笑い飯・敗者復活戦を勝ち上がったアンタッチャブルという三者三様の最終決戦が行われた。優勝したのはフットボールアワー。この年は、千鳥・麒麟が決勝進出したものの、それぞれ9位・8位に沈んだ。

2004年 R-1

「ザ・プラン9時代の幕開け」

優勝 浅越ゴエ
2位 ネゴシックス

2004年のR-1は浅越ゴエがトップバッターで優勝した。また、この年は同じプラン9のヤナギブソンも決勝進出していた。この年は他にも、後のチャンピオンとなるあべこうじも決勝進出していた。

2004年 M-1

「東の漫才師が見せた
673点の衝撃」

優勝 アンタッチャブル
2位 南海キャンディーズ
3位 麒麟

2004年のM-1は、アンタッチャブルが673点という超高得点を叩き出す。この記録は2019年のミルクボーイが更新するまでずっと歴代最高得点であった。この年はベスト3の他に、タカアンドトシ・トータルテンボスなどが決勝進出。また、千鳥は2年連続決勝9位に沈んだ。

2005年 R-1

「成熟化した1人芸」

優勝 ほっしゃん。
2位 井上マー
3位 あべこうじ

2005年のR-1は、関東地方でも放送を開始。優勝はほっしゃん。大会の全体的なレベルもどんどん上昇していた。この年は他にも、後のチャンピオンとなる中山功太が決勝進出した。

2005年 M-1

「伝説の2005年」

優勝 ブラックマヨネーズ
2位 笑い飯
3位 麒麟

ブラックマヨネーズ吉田が言うには、伝説の2005年。確かに、ブラックマヨネーズの漫才は伝説と呼ぶにふさわしい。ちなみにこの年は、翌年の王者となるチュートリアルや、意外にも、タイムマシーン3号が決勝進出している。また、この年から決勝のセットが現在のようなきらびやかな感じに。

次回は2006年以降。

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