私は何屋さん?


私の頭の中は、ものすごく多動。注意欠如で、思考もエネルギーも常に分散状態。

だからこそ、「これ!」って決めた時の全集中モードはすごいパワーとなる。

そりゃそうだ。

もともとエネルギーがある。だから、分散できているとも言える。

 


そんな多動で注意分散で起業している私が、時折悩んでしまうのがこの問い。

「私は何屋さんなんだろう?」

起業した当初は「私はライフコーチです」と名乗っていたが、徐々にそこだけでは語り切れなくなってきて、1年前くらいから肩書きを外した。

 

そして、そもそもやってきたこと「終わりにマルと思える生き方をサポートしています。」と自分の仕事を語り始めた。 


今年4月14日には、一般社団法人「終わりにマルと思える生き方研究所」を立ち上げた。

想いが形になった。

それはそれで嬉しいのだけど、やっぱり「私は何屋なんだろう?」を求めてしまう。

 


終わりにマルと思える生き方を研究し、サポートしている人。

でも、いいのだけど、何か足りない。

今はそれだと大きすぎる。

もう少し手で握れるくらいの大きさにしたい。

 


今朝の週1のライブの後、共同代表のさわとんと話していてようやくしっくりいくものが見つかった。(また、変わるかもしれないけど・・・笑) 




私たちが目指したい世界は、

すべて◯である世界=全肯定の世界。

 


「宇宙は全肯定」

と誰かが言っていた。

 


だから、目指すというよりは「戻す」のニュアンスが近いかもしれない。

もともと、全肯定なのだから。


でも、私たちの人間のエゴ、日本人の価値観を持つようになって、✖︎をつけるようになった。


・病気になるのはダメなこと

・障害があるのはダメなこと

・学校に行けないのはダメなこと

・勉強ができないのはダメなこと

究極、死ぬのはダメなこと・・・と。


そもそも、人間なんだもの。

いつか死ぬ。

それにいい悪いなんてない。

死に方は選べないのだから、いい悪いもない。


あるのは、「今生きている」ということだけ。

どう生きていいのか決めていいという自由な裁量権を与えられているのに、使わっていない方を問題視したい。


私は、せっかく生まれてきたのだから与えられた時間を遠慮なく使おうよ。

そんな気持ちでいる。

だから、やったことにいいも悪いも。失敗も成功もない。

 


私にとって、成功があるとしたら、

・やりたいと思ったことをやれたこと。

・たくさん感じられたこと。

・生きたな〜という実感を持てたこと。

それが得れたら大成功。



だから、今私が、私たちがやりたいことは、

これまでの人生で手に入れてきた「✖︎」を1つ1つ手放していくこと。

全てを受け入れる意識の器を大きくしていくこと。 


戻るのだ。

手にしたものを手放すのだ。

大人になったのに子供になるのだ。 

できるようになったのにできなくなるのだ。


そりゃ怖いよね。

全肯定って怖いからできない。

賢くなったようにしていたいから。

できることが多くなったとアピールしていたいから。

そうじゃないと、生きていけないと思っているから。


でも、大丈夫。

手にしたものは見えなくなっても体験したことは体に残る。

だから、見えなくなっただけで何も無くなっていない。


この人生をたくさん感じるために学んできたはずなのに、重くなって、身動き取れなくなってはいないか?


私たちが目指すのは全肯定の世界。


それを見たいのだ。

それを感じたいのだ。


どれだけ愛の世界かを。

どれだけ気持ちいいのかを。


天国に行かなくても天国って感じちゃうかもしれないな〜。



自分のやることに意味など見出そうとしたら、迷いまくる。

意味などなくていい。

したいからする。

見たいからする。



私は、全肯定の世界をもっと感じてみたい。

だから、やる。


ただそれだけでいいじゃないか。

 


すべて◯。

全部の存在が肯定される世界を見るために、進もう。



そうそう、「私は何屋さん?」の結論。


 

私は、自分への◯つけを伝えることで、この世界を全肯定の世界に戻す◯つけ屋さんです。


以上。笑





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