遠慮していたと気づいた
こんなにも、遠慮していたなんて気づかなかった。
誰に遠慮していたんだろう。
自分の本領が出ないように。
人に嫌な思いをさせないように。
「普通」であることを過剰に意識していたのかもしれない。
ずっと前から、変人・偏人であることはバレていた。
自分でも徐々に自覚できていた。
それでも、無意識のうちに隠そうとしていた。
「変」を隠して、「みんなと一緒だよ」ということにしておきたかった。
コーチとして、いろんな人の奥を見させてもらった。
誰1人として「普通」である人なんていなかった。
ある意味では、みんな「変」で「偏」だった。
コーチとして仕事をさせてもらったことで、私自身のそのままを観ることができるようになった。
それでも、まだまだだった。
また、今日気づいてしまったのだ。
自分の中にあった「遠慮」に。
怖かった。
自分が目醒めてしまうことが。
外に出てしまうことが。
とても怖かった。
誰かわかるだろうか?この感覚を。
自分の人生を「オワマル」にしようとすればするほど。
誰かの「オワマル」の力になりたいと思えば思うほど。
引き出されてしまう。
目醒めさせてしまう。
もう、出てしまう。
出さなくてはいけない。
というところまで、来ている。
すべてを受け入れよう。
「遠慮」
という、実はよくわかっていない概念は手放そう。
自分の中に宿ったものを生み出すということ。
それは、我が子だけではなかった。
感覚、イメージ、世界観、思想、概念。
どう表現していいか分からないけど。
宿ったものすべて。としかまだ表現できない。
「生み出す力」を人は持っている。
宿ったものを育み、その時が来た時に生み出すことができる。
それは女性の持つ力なのだろうか。
1年以上前、私は自分を「魂の助産師」と表現したことがあった。
そのことを少し忘れかけていて、今日、またそこに戻ってきた。
私は、自分に宿った魂レベルの私を目醒めさせて、
誰かの目醒めを手伝う。
それが、先日読んだ「魂占い」で書かれていた、「人類のスピリティアリティを底上げする」ということなのかもしれない。
肉体を持つ私であるうち(生きているうち)に、魂レベルの私を生きること。
そして、震えるほどの幸せを感じること。
そんな深いニーズを持つ人たちが、そのニーズを満たせるように。
「オワマル」が持つ宇宙的な力・意味を、「オワマル」を探求すればするほど、驚かされる。そして、ビビってもいた。
そして、◯が持つパワーに、何か神秘的なものを感じている。
「オワマル」が私の中に降りてきた時から、
そして、◯の力を使い始めた時から、すべては予定通りだったのかもしれない。
「オワマル」が私に宿って、3年目の2022年4月。
魂レベルの自分に目醒める「おわまる學校」を開校させる。
そう決めることができた、2022年3月27日(日)の備忘録として。
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