名前が形見になった日『命日』
ほのぼの暮らし日記
2024年7月19日 晴れ
あなたは大切な人の命日は覚えていますか?
『命日』は命絶えた日。亡くなったらここで終わりと感じる人もいるかもしれませんが、実は終わりははじまりでもあるのです。
ここからは私の実体験をもとに思いを綴ります。
実は今日、7月19日は父方の祖父の命日。
ずっと一緒に生活をしていた大好きなおじいちゃん。
昭和55年1月2日
おせちを作り終えた母。そして突然の陣痛。
正月そうそう、助産院に向かう。そして、1月2日に私は産声をあげた。
名前は『直行』
実はこの名前は祖父がすでに決めていた。
3人兄弟のうち、私の名前のみ祖父が命名したのだ。
ここで注目!
名前を付けることを『命名』という。
今世を生きるために、大切な人から贈られる最初のプレゼントが『名前』。
小学生の時、『名前の由来を家族に聞いてくる』という宿題が出た。
私 『ねえねえ、俺の名前の由来って何』
母 『由来? 実はねあなたの名前はおじいちゃんが付けたの。生まれてくる時点でおじいちゃんがすでに決めてたの』
ここで初めて、おじいちゃんが名づけ親であることを知った。
母 『名前のように、素直に真っすぐ生きてほしい』という願いを込めてつけてくれたのよ』
私 『そうなんだ~』
私は名前自体はとても好きで満足していた。
しかし、自分のことが成長するにつれて嫌いに感じていた。
勉強ができない。運動の苦手。何をやってもダメ。
まわりからは『お前の姉ちゃん、お前の弟はすごいな。でもおまえは…』
どんどん、自分を愛でることができなくなった。
祖父母の影響で介護の道を進み、広島では最年少の18歳男性初で介護福祉士合格。そして、21歳で初就職。高齢者施設で働きながらおじいちゃん孝行をしようと思っていた矢先、3月には母方の祖父、そしてこの日に祖父は息を引き取った。病院から自宅に戻り、僧侶の方に枕経をお唱えしてもらい、通夜、葬儀告別式。暑い暑い真夏日の葬儀。通夜も葬儀も参列者は沢山の方がお別れに。出棺され、火葬場に向かうマイクロバス。車窓から見えるのは参列者の長蛇の列。じいちゃんの人柄や人徳を感じる想い。この時点ではまだ悲しみが強く涙がとまらない。日が経ち、四十九日の法要で納骨に向かう。この時、実は車を始めて買った。
親父からは『この車はおじいちゃんからのプレゼント。だから大事に使えよ』と言われた。
そして、その車に祖父の遺骨を乗せて墓地のある寺院へと向かった。
その時、『俺の名前はじいちゃんの形見なんだ。俺もじいちゃんみたいに
人に親しまれる人間になろう』と心に誓った。
人を思いやることを意識しながら20年の介護生活。
ことだま師として名前の意味を知り、それなりの生き方をしていたことに気づいた。そのことにより、より名前が好きになり、自分を愛でてこなかった自分を愛で始めるようになった。
名前はあなたそのものなのです。
あなたにしか果たせない使命が名前の中に秘められている。
そして、この命を命がけで繋いでくれたご先祖さまの存在なのです。
あなたの幸せを祈り、授けてくれたこの名前を大切にしませんか?
そして、大切な命を繋いでくれたご先祖さまの命日を意識してみませんか?
誕生日は沢山お祝いされる人は多いとすが、
命日も同じくらい大切な日なのだ。
この日は故人を偲び、自分と故人を結ぶ日。
大切な家族と共に故人との思い出話をするのも大切な先祖供養の一環。
最後のこと言葉で締めくくる。
あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。
あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい。
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