アメリカPhD留学(CS/Engineering)ふりかえり1

留学準備のことは以前別のブログでも記載していたり、米国学生会のイベントなどでも話した+結構前のことで情報が古くなっているので、この場では省きます。TOEFL、GRE、アプリケーション、奨学金への応募などなど。TOEFLもGREも対策本を使いました。GREのVerbalのセクションのための携帯アプリを使った対策をしたものの、点数があがらずむしろ下がるという悲しい思いをしました。しかし一番行きたかった大学から結局はオファーがもらえたのでよしとします。

5年強の博士課程はあっという間に過ぎていきました。

最初は授業、宿題+研究で忙殺され、授業のRequirementが終わってからは、研究をこつこつと。プロジェクトの締め切りや、学会、論文誌への投稿など、常に何らかのことでいつも忙しかった気がします。が同時に非常に楽しく、あっという間に過ぎていきました。

夏には企業でのインターンシップに数か月行って、卒業した後の進路について考えたり。

日本食を食べないと生きていけないため、アジアスーパーやアメリカスーパーでいろいろ手に入る食材、調味料を使って、日本にいるときとそこまで変わらない食生活をしていました。お昼も大学の食堂は値段のわりにおいしいものがなかったので、ランチを家から基本持参。幸運なことにアメリカに来てからも体型、体重は変わっていません。

学会に行くこともたびたびあって、北米のいろいろな都市、南米、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、などいろいろなところに行きました。このころは出張や旅行を楽しみにしていた時期(教員になってからは度重なる出張をむしろ減らしたいと思うようになりました)で、休みのたびに、旅行をしたり、日本にも一年に一度は帰る機会がありました。

大学院、ポスドク時代のメンター、友人、コラボレーターなどなどはその後、みんな散り散りになりましたが、今になってもつながっているとても大切な存在です。ルームメート、ラボ、違う学科の友人、ボストンに留学に来ていた日本人の友人、インターンの同期など。大学の日本人会で日本食を大量に作ったのも懐かしいです。ボーゲル塾にも2回ほど参加しました。

博士課程の最後に、今までやってきた研究をまとめて、thesisを書いて、Defenseをして、Dr. になりました。研究者の卵としての一歩を踏み出したのでした。博士課程で学ぶとよくいわれるのは問題解決能力、問題を見つける力とかですが、博士をとる前ととった後で自分の中でこれらがどのように変化したのか特に実感することはありません。自分の場合は、5年強でいろいろな人と出会って、研究でも日常生活でも様々な体験ができたことが大きかったように思います。


5年くらいの長い博士課程の生活を振り返ると、どこかで一度くらいはトラブルがあったり、精神的にダウンしたり、自分や周りを見ていると誰しもあるように思いました。アドバイザーとうまくいかない、ラボを移ることになる、研究の結果がでない、彼氏彼女とうまくいかない、別れる等々。いつも友達と話すと、誰かの問題を解決するためのことを話していた記憶があります。

自分がPhDをやっていた時にも思っていた、教員になってからの今も思っていることで、学生にもオープンに話していますが、博士課程はすべての人向きではないと思います。研究、授業、海外での生活いろいろとストレスがかかることが予想されます。博士をとらなくても面白い仕事をしている人はたくさんいますし、ものすごく高いスキルを持っている人もごろごろいます。博士課程がたとえ合わなくて最後までコンプリート出来なくても、修士で卒業、途中でExitしてアメリカ、日本、他の国で就職等いろいろなオプションがあると思うので、自分に合う道を進んでほしいです。



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