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キッズ・リターン。

キッズ・リターン。

北野武監督の、代表作の一つですね。

僕も大好きです。

映画もさる事ながら、曲に心踊ろされた。

久石譲さん、作曲。

ただ、僕がこの映画を知る前に、曲が大好きだった。

2000年当時は、K-1ブーム。

魔裟斗さんが、煌めくスターに駆け登って行く時。

関係ない!と、打倒 ムエタイに挑んだ男。

『野良犬』小林聡さんである。

当時は、僕が淡路島に引っ越して、病気して、家に引きこもっていた。

妻に「家の近くに格闘技のジムあるから練習したら?」と言ってくれて夢中になった。

練習行くのが、本当に楽しかった。

外出するのが怖いのに、ジムには行けた。

何度も通った。

寝技も、もちろんおもしろかった。

だが、キックも一生懸命に練習した。

空手出身の代表には、左ミドルの極意を教えてもらった。

踵の軸足。

ミット蹴ると、ムエタイ選手ばりのかけ声をしていた。

新日本キックでは、武田幸三さんが人気だった。

新日本キックと言えば、伊原会長。

小川のオーちゃんのセコンドついたりしていた。

伊原ジムには、永田裕志選手も練習に来ていたはずだ。

でも僕は小野寺力さんのコンビネーションが大好きだった。

ビデオが擦れるくらいに何度も見て、勉強した。

そのコンビネーションが、スパーリングで決まれば快感だった。

昭和の時代。

プロレスを好きになれば、格闘技も勉強していく。

当然だ。

『プロレスも格闘技』なのだから。

極真空手を勉強していくと、鬼の黒崎にたどり着く。

打倒 ムエタイに賭けた人。

その弟子の藤原敏男さん。

ムエタイ初の、外国人王者。

アントニオ猪木さんvsウィリー・ウイリアムスさんの異種格闘技戦。

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実はこの試合は、セミファイナルで、メインを務めたのが藤原敏男さんであったりする。

キックが好きなると同時に格闘技も好きになる。

当時は、大道塾に憧れた。

元祖 打・倒・極だ。

長田さんが、打倒ムエタイを果たしてくれると信じてた。

『THE WARS 7・7』は、ビデオを購入した。

加藤さん、市原さん、飯村さんの試合に興奮した。

K-1が大きく飛躍していく中、僕には打倒ムエタイに注ぐ選手の皆さんが輝かしく見えた。

だから、アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップに挑戦する市原さんを応援したし、負けて涙する平さんにも感情移入した。

そして、当時 僕の心を躍らせてくれるキックボクサーが現れる。

立嶋篤史さんである。

90年代のキックボクシング界のヒーロー。

サダハルンバ谷川さんの猛プッシュで、何度も格通の表紙になっていた。

『ざまぁみろ!』

ライバルの前田憲作さんとのストーリーは最高だった。

NKホールを超満員にしたんだから。

でも、僕が大好きな試合は山崎道明さんだったりする。

『和製ベニー・ユキーデ』

MAキックも好きだった。

士道館、添野館長イズム。

辿っていけば、梶原一騎さんだから。

ずっと見てきた、全日本キックボクシング。

宮田充さんの、リングアナが好きだった。

そして、現れたのが 藤原敏男さんの弟子。

小林聡さんだ。

小林聡さんの入場曲が、キッズ・リターンだった。

小林さんが、ノンタイトルながら、ラジャ現役王者に勝利する試合は燃えた。

確か、格通などの情報が先だったと思うが、GAORAで見た時は雄叫びを上げて喜んだ。

今も、ビデオテープがあるはずだ。

「遠回りした俺だから・・・」の言葉には泣いた。

負けたが、サムゴーの試合も燃えた。

脅威の左ミドルに、立ち向かう。

(今は、YouTubeで見れるんだから良い時代です)

小林さんは違うと言うかも知れないが。

僕には『プロレスラー』だった。

小林さんの試合には『闘い』があった。

勝っても負けても、人生に影響を与える選手だったからこそ。

今は、道場を開きながら、落語もされてるんだから最高だ。

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見てみぃ、この絵面!

ちなみに、河崎実監督の『いかレスラー』は僕の大好物だったりする。

いか・いか・いか・いか・いかレスラー!と歌うと妻は(また始まった・・・)と思うらしい。

日高選手に教えたりと、絶対に小林さんは『プロレス』が大好きなはずだから。

小林さとしさんは『小林さとし』として今を生きてるんだ。

僕も今、生きなきゃと思っています。

だからこそ、この曲が頭の中をリフレインしています。

思い出すんです、小林さんの入場を。

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僕も、もう51歳である。

思う。

「俺たちもう終わっちゃったのかな?」

小林さんは、言うのだろうか?

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「バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ」と。






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