人助けをしたら救われた
先日、乗り換えの駅のホームで、中学生か高校生の男の子に、ペットボトルの水とビニール袋を渡してきた。
だいぶ慣れてきた片道二時間の通学。電車を降りて、進むべき方向が右か左かも怪しかった頃を、懐かしいと思い始めている。
その日も、乗り換えで降りる地下鉄のホームを、迷わずに歩きだした。
すると視界の端に、同級生の男子よりいくらか華奢な男の子が、ベンチに寄り掛かってしゃがみこんでいるのが映った。反射神経の鈍い私は、何メートルも通り過ぎた後にその姿をやっと頭で認識し、走って戻って声をかけた。
予想通り、乗り物酔いだった。
水に加えて、辛くなったとき用にビニール袋も渡した。これはあの時の彼に本当に必要だったのかは分からないけれど、自分がしゃがみ込むほど乗り物酔いしたとき、絶対に欲しいと思うアイテムだ。
私は小さいころから乗り物酔いが酷かった。中学で運動部に入り、いくらか体が丈夫になったけれど、中二の冬、友達とディズニーへの移動途中に酔ってしまったことで、電車やバスに長時間乗ることがトラウマになった。高速バスの中で、下車することができなかった。友達の前で、派手に戻してしまった。入園を断念し、父に車で迎えに来てもらった。友達は全然私を責めなかったし、私を気遣って残念な素振りも見せなかった。それが余計に申し訳なかった。
今思えば、そんなこともあるだろうと受け入れられる。早朝の長距離移動は慣れていなかったし、もともとは酔いやすい体質だったのだから。
でも当時の私にとって、一番楽しみな予定と言っても良い”友達とディズニー”が、そんな形で終わったのはインパクト大だった。
乗り物酔いは私のコンプレックスのひとつになった。楽しい遊びの予定も、日々の通学も、不安と緊張の色に染まってしまう。改善しつつある今でも、500mlの水と酔い止めとミントのお菓子を携帯して外出している。
「それでも、」
と、落ち着いてきた少年をホームに置いて、乗り換える線の改札へ歩き始めたときに思った。
それでも、私のトラウマのおかげで、私は彼に共感することができて、私の鈍すぎる反射神経に負けず、振り返って声をかけることができた。あの高速バスの中で、ビニール袋を差し出してくれた夫婦に、恩返しできたように思えた。
少年は私服で、小さめの黒い鞄を斜めがけにしていた。遊びの予定だったのかな、と思う。彼が回復して、元気に友達と合流できていたらいいな。