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見返りを求めるからしんどいだけで、求めなければノーダメージ


 それができればなんの苦労もないのは九九の答えが不変であるぐらいの話ではあるものの、実際問題解決までとなればそうもいかないのはもはや常識ではないかと思うレベルだがコミュニケーションと同じように万人に当てはまる解答などこの世に存在せずあるとすれば汎用性の高いありきたりなパーソナライズぐらいなものである。
 好きで1人でいるわけでもなく、強制されているわけでもない人間が1人でいる理由は様々であると推測されるものの元を辿り意味を還元していけば本質的には大した差はないのでは?と思うようになったわけであるが、心を燃やすような精神力はそれこそ個人によって差がありできるやつはとうの昔に次のステップに進んでいることは言うまでもない。

 大した理由なんてない、最終的には仕方がないからぐらいのものだろう。そう言う選択をしたのも、そこまでに至る過程で何もしなかった、あるいは足掻き方を間違えたのも自分であり最終的には必殺自己責任が発動してしまうのだが、人間とは非常に弱く脆く浅ましいもので環境に何かしらの因果を結びつけたくなるのである。外見とか。イケメンは何をしても許されるんだろうと言う被害妄想と、街ゆくカップルへの憎悪を掻き立てたところで無為であり何も生まないことは百どころか億も承知であるはずなのたが。

 自身の怠慢であると言わざるを得ず、努力不足ならびに方向性が単純に間違っていることも認識はしている。問題は修正の仕方がわからんということだ。
 人に恵まれるというのは様々なシーンで有利に働くことはあれど、自身の劣等感をキャパシタやアンプの如く増幅させる諸刃の剣であるという事実に薄々気が付いていたのは10年ほど前。上位互換が多すぎるとこういうことになる。自分のアイデンティティは、何かしら絶対的なものが一つでもなければならないという固定概念の下、増幅された間違った認識に苦しんでいるだけなのだ。
-アホちゃうか?
幾度となく、この問いかけを自身に課してきた。

 周囲の明るさ、特に明るい部分だけを切り取って見てしまったがためにこんなことになったんだろう。光は影と共にあり、影を消すことは光を消すことに他ならない。全方位を光で照らすことなど不可能だから。煉獄さんでも無理だろ、いや微レ存?
 兎にも角にも、柱でもなければ煉獄さんでもないし日輪刀もないからどうにもならんけど自分自身に呪いをかけ続けた末路がこれだとするなら。

 -やめておけ、光は時に毒になる。
 -双眼鏡越しに太陽見て目がやられたから訴訟って言ってるのと大差ない。

何がよくて何が悪いのか、判断力は養ってきたつもりだが充分ではないらしい。本質というか、諸悪の根源たるものは「孤独」であり孤高ではない。しかもそのしょーもない「孤独」も実態を得ず都合の良い部分を切り取っただけでしかない。
 つくづく自分というのは、誰かと共にすることを不得手としているのだろう。マクロで撮った写真のように、それだけに焦点を当てることで恐ろしくも美しい引き立った、独善的で偏向的な一瞬を手にすることができる。

 誰も望んでいない、好きでやってるわけじゃない閉塞感と孤独感をどこかで満たそうとしていても結果的には何をやっても満たされないだろう。仮に望むべく「幸せ」というのが手に入ったとしても、だ。どこかで劣等感は残り続けるしそれを払拭しようとするもこびり付いた30年物の汚れは簡単に取れるものではない。と言うか取り方がわからない。
 どうせ、上位互換だらけなので別に取る必要あるか?とも思うし自分に一つでいいから絶対的な何かを得られるのであればそこに縋ることもできるだろうが、結果的にそれすら上位互換でてくれば崩壊する。

 「一番簡単なのは、とっとと棺桶に入って重油で焼かれることなんだろう。そうすればこんな思いをせずに済む。」

 別に守るものも守るべき尊厳もないし、明日死んだとしても誰にも迷惑かけないし誰一人としてこの世から自分という存在がいなくなったところで損失はないのに何故かまだこの世に未練タラタラなのは、明日はいいことがあるかもしれないなんて根拠のない妄想以下、リサイクルもできないゴミ以下の希望をどこかに持ち続けているからなんだろう。

 自分でもよくわかってる、面倒だと。
 何故だろう、皆んなもっと簡単に生きてるように見えてしまう。器用なんだな、自分は生きるの下手なんだろうなと。それを不幸だとは思わないが、羨ましいと思うぐらいの権利は残ってるだろうと。それもまた、何かに縋っているだけなのかもしれないが。

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一年で一番過ごしやすい時期と聞かれたら秋と答える。
一年で一番嫌いな季節と聞かれたら、間違いなく秋と答える。

それだけ。

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