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季節は巡って
こんにちは。
気づけば半年以上更新が滞っていました。
頭のなかは言葉で伝えたい溢れているのですが、なにぶん毎日寝るのが日付を跨いでから。
そして5時おそくても6時に起きる生活をしているため「綴る」より「眠る」を優先してしまっております。
たくさんフォロー頂いているのに申し訳ないです。
もう18年も前になります。
卵巣がん体験者の会スマイリーを作るきっかけになった出来事があります。今日はそれに関連するお話です。
スマイリーの歴史の一部ですが随分前にYoutubeでも配信をしてるのでご覧くださった方もおられるかと思います。
私は2004年に卵巣がんと診断され治療を受けたときに77日間もの間、入院生活を送りました。
その当時から外来化学療法を行っている病院もありましたが、まだまだ少数で、私のように治療中は長期入院をしている患者さんもそれなりにおられました。
(いまではこんな長期入院しての治療はないかと思いますが)
当時はまだまだ「がん」をオープンにできる時代でもなく、とあるレジェンド乳がん患者会の代表の方は「あの頃は、偽名を使って患者会活動をしていたの」なんておっしゃられ、時代だねーってお互い共感することも。
少しでも卵巣がんの情報が欲しくてガラケーからブログを作りました。私も旧姓をもじった「こにたん」という名前で発信をしていました。
そのときにある卵巣がんの女性と親しくなりました。
その女性は卵巣がんが再発しても前向きに治療をされていましたが、2006年に「日本で卵巣がん治療に使える抗がん剤をすべて使い果たしてしまった」「海外にはドキシルという再発卵巣がんの治療薬があるらしい」ということを私たち仲間に伝えました。彼女は個人輸入という道を選びましたが、その場合はこれまで通っていた保険診療の病院では治療を受けられません。全て自費のクリニックで投与するしかなく、大変な苦労をされました。
海外での標準治療薬を日本で使えるようにしよう!
2006年、彼女の話から「米国のガイドラインに掲載されている再発卵巣がんの治療薬の日本での承認を目指そう」とインターネットで有志が集いました。
しかし「船頭多くして船山登る」とはこういうことかと痛感するほど、皆が思い思いのことを言うため、遅々として活動は進まず、一方で彼女の病気は進行していきました。
彼女はそれでも「自主性」が大切であると話していましたが、私が強く組織化を提案して立ち上げたのがスマイリーです。
しかしお盆を過ぎた頃から彼女の病気の進行は勢いを増し、月末にはホスピスへ。9月1日に患者会が立ち上がったものの、残念ながら彼女は2週間後の2006年9月15日にこの世を去りました。44歳でした。
私は彼女の従姉さんからお墓を伺っており、毎年のように命日前後にはお墓参りに通ってました。お墓の前でひとしきり弱音と愚痴を吐き、本来ならばあなたがこの苦労を背負うところだったのだよと恨み言をいい、でも結局は私が組織化しようといったのだから私の責任だよねと気持ちを立て直して帰るというなんとも情けないこと姿を毎年墓前で晒していたなぁ・・・と思うのですが、ある程度、彼女と目指した新薬承認に関する活動に区切りがついた頃を最後にお墓参りは失礼することにしました。
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今回、たまたまではありますがお仕事をいただいた講演先が彼女の眠る墓園の少し先にあるということで仕事前にお参りに行ってきました。
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久しぶりでしたが迷うことなく墓地に到着。
お墓参りの目印だった小さな欅が大きくなってたり、季節が巡ったことを感じました。
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彼女の眠る場所で手を合わせ久しぶりにいっぱいお話ししました。今回は愚痴や恨みごとをいわずに穏やかに彼女のことを忘れたことがないこと。これからもできる限りのことを続けたいことを伝えられました。
彼女が天国に旅立って18年、いまだに笑顔や語り合った思い出を忘れることはありません。
お参りした後は前向きパワーがすごかった彼女に「大丈夫だよ!」と背筋がキュッと支えられたような、気を引き締めてもらったような気持ちになりました。