卵巣明細胞がんに化学療法は効かない?
明細胞がんとは
卵巣がんは卵巣のみならず、卵管や腹膜などに発生するがんの総称です。
卵巣がんの主な組織型は漿液性がん(33.2%)・類内膜がん(16.6%)・明細胞がん(24.4%)・粘液性がん(9.1%)で明細胞がんは日本人の卵巣がんでは2番目に多い組織型です。
欧米では卵巣明細胞がん患者の割合は5-10%程度といわれています。
明細胞がんは腎臓がんや子宮頸がん、子宮体がんにも見られる組織型なのでこの記事では「卵巣明細胞がん」と記載させていただいております。
卵巣がんには化学療法が効かないという噂
2006年9月1日に卵巣がん体験者の会スマイリーを立ち上げてからこれまでに多くの患者さんから相談をいただきましたが、「卵巣明細胞がんには化学療法が効かない」という相談をうけることがたびたびあります。
・化学療法が効かないのにどうして化学療法をするのか?
・副作用で体を弱らせるだけでメリットがないのでは?
・人体実験をされているのではないか?
・製薬企業を儲けさせる材料にされているのではないか?
患者さんの不安は後をたちません。
卵巣がん・卵管癌・腹膜癌治療ガイドラインには
『卵巣がん・卵管癌・腹膜癌治療ガイドライン2020年版』の総説には明細胞がんについて以下のように記載されています。
卵巣明細胞がんに化学療法が効かないと言われるその一端はガイドラインのこの記載にもあるのかもしれません。
ガイドラインの根拠となる論文
『卵巣がん・卵管癌・腹膜癌治療ガイドライン2020年版』の明細胞がんの部分を記載するための参考としてあげられている論文が下記の2つの論文です。
1つ目がThe New England Journal of Medicineという最高峰の医学雑誌 に掲載された
「ARID1A Mutations in Endometriosis-Associated Ovarian Carcinomas」(2010年:カナダ・アメリカ・オーストラリアなどの研究者による論文)
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1008433
2つ目がThe Journal of Pathologyという基礎生物医学と臨床医学の橋渡しをする医学雑誌に掲載された下記の論文になります。
「PIK3CA mutation is an early event in the development of endometriosis-associated ovarian clear cell adenocarcinoma」(2011年:日本の研究者による論文)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21735444/
総説の卵巣明細胞がんについては1つめの論文の以下の部分を参考に書かれているのではないかなと思います。
ではこの論文の上記の文章はなにを参考に書かれたのでしょう。
実は3つの論文が参考文献として示されています。
Lack of effective systemic therapy for recurrent clear cell carcinoma of the ovary(2007年)https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/17292461/
Clear cell carcinoma of the ovary: A distinct histologic type with poor prognosis and resistance to platinum-based chemotherapy in stage III disease(1996年)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/8774649/
Characteristics of clear cell carcinoma of the ovary - A distinct histologic type with poor prognosis and resistance to platinum-based chemotherapy(2000年)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/10861437/
一番上の論文は再発した卵巣明細胞がんに対して化学療法の検討を行ったものです。2007年に発表された論文であり、抗がん剤の種類や維持療法など現在薬剤が増えているので現状とは少し違うという認識が必要です。
真ん中の論文はステージ3の卵巣明細胞がんに対してプラチナ製剤の感受性が低いことがわかったとする論文です。ただこの論文が発表されたのは1996年です。27年前に使われたプラチナベースの化学療法がパクリタキセル+カルボプラチンかどうか定かでありません。また、現在ではステージ3以上の卵巣がんに対して、オラパリブ(±ベバシズマブ)もしくは、ニラパリブもしくは、ベバシズマブの維持化学療法が行われているため、こちらも参考程度だと思います。
一番下の論文は日本のものですが、1988年から1998年に卵巣がんと診断されたステージ1Cおよびステージ3の漿液性がんと明細胞がんの患者を比較しています。こちらもプラチナベースの化学療法がパクリタキセル+カルボプラチンかどうか定かではないこと、手術技術が向上したり維持化学療法が導入されたり今の治療が違うことから参考程度かと思います。
PICO(ピコ)を考えること
論文を読むうえで大切なことの1つがPICO(ピコ)です。
PICOとは下記の頭文字をとったものです。
Patients (患者) : 誰に
Intervention (介入) : 何をすると
Comparison (比較) : 何と比較して
Outcome (結果) : どうなるか?
たとえば先に紹介した一番下の論文になると
P:1988年から1998年に日本にある特定の医療機関で卵巣明細胞がん1C期と診断された女性
I:プラチナベースの化学療法を行う
C:同じ時期に同じ医療機関で卵巣漿液性がん1C期と診断されプラチナベースの化学療法を行った女性と比べて
O:予後が良くなかった
ことがわかったということです。
ではこれが2023年に卵巣明細胞がんの治療を受けている女性に対して同じ結果になるのでしょうか?
答えは「わからない」です。
論文の研究機関と同じ医療機関・同じ卵巣明細胞がんの患者さんでも論文で示されていないステージ1Aやステージ1B、ステージ2、ステージ4の患者さんにとっても同じことが当てはまるのかというと「わからない」です。
確かにその論文からはその期間に複数の医療機関で卵巣がんの治療を受けた女性の経過から、ステージ1Cの卵巣明細胞がんの女性の予後が同じくステージ1Cの漿液性がんの女性の予後に比べて良くなかったということがわかっただけで、それがステージ1Bやステージ2でも同じかと言われると断定はできず「結果からそうであろうと予測する」形になります。
過去の論文から予測されること
何が言いたいかというと、2023年の世の中になっても「明細胞がんに対して抗がん剤の感受性が低い」とされている根拠となる論文はこのような古い論文であることをまずはみなさんに知っていただきたいと思いました。
2023年とは手術の技術も、維持化学療法も違っています。もしかしたら治療に用いた抗がん剤が違う可能性もあります。
確かに過去の論文からは卵巣明細胞がんの薬剤感受性は、同じく卵巣に発生する卵巣漿液性がんに比べて低いということは理解できます。
しかし、いずれの論文にも卵巣明細胞がんに対して「抗がん剤は意味がない」「抗がん剤をするべきではない」などとは書いていません。
他に代替手段がないために、明細胞がんの特徴を理解しつつもプラチナベースの化学療法を行うしかないこと。いずれは卵巣明細胞がんにターゲットを当てた医薬品開発が望ましい、卵巣明細胞がんによい抗がん剤を見つけてほしいという「これからの研究者へのバトンを託すような論文」になっているように個人的には感じます。
卵巣明細胞がんのいま
卵巣明細胞がんにはJGOG3014という研究で「イリノテカン+シスプラチン(CPT-P療法)」が有用ではないかという可能性が示されました。
その後、JGOG3017という研究で667名の患者さんに協力いただき「パクリタキセル+カルボプラチン(TC療法)」とCPT-P療法の無増悪生存期間(PFS)の延長を評価する比較試験が行われました。
その結果は以下のとおりなのですがCPT-P療法の有意が認められませんでした。
https://jgog.gr.jp/pdf/20140616_3017_ASCO.pdf
これらの研究に取り組んだチームはCPT-P療法はTC療法を行うことが難しい卵巣明細胞がん患者にとって代替手段になるとしています。
その後の研究でARID1AやPIC3CAといった変異が卵巣明細胞がん患者の4割程度に見られることがわかってきました。
まだ臨床(みなさまの治療)には至っていませんが2019年にはARID1Aに関してこのような期待の持てる研究の発表がありました。
https://www.amed.go.jp/news/release_20190125.html
また卵巣明細胞がんは子宮内膜症から発症するというメカニズムがわかっていても良性と悪性との鑑別が非常に難しい特徴がありました。しかし卵巣明細胞がんはTFPI2というタンパク質を作りやすいという発見があり、それをマーカーとして使うことで子宮内膜症と卵巣明細胞がんの判断ができるようになりました。
https://www.yokohama-cu.ac.jp/amedrc/news/202107miyagi_ijco.html
国立がん研究センター東病院ではiCAR-ILC-N101(注射剤:iPS 細胞由来の細胞製剤)の医師主導治験(第1相試験)がおこなわれています。https://www.ncc.go.jp/jp/ncce/division/clinical_trial/ctas/patient/list/ovarian/006.html
治験にはさまざまな段階があり患者様によっては治験に協力するよりも標準治療を受けている方が益がある場合も多くございますので、参加を検討するにあたっては慎重にお願いします。
卵巣明細胞がんについては研究者の尽力と患者さんたちの協力により少しずつではありますが実態解明が進みつつあります。
卵巣明細胞がんと診断され不安な患者さんへ
卵巣明細胞がんで治療をしている患者さんたちにとってガイドラインにも「薬剤感受性が低い」と書かれていることは、とても不安なことだと思います。
何に対してどれくらいか参考文献となっている論文を正しく読み取るなどは不可能に近いのではないかなと思います。
また患者さんに抗がん剤治療を提案する医師も、今回ご紹介したガイドラインに示す根拠となる論文を全部読み、さらにそれらの論文の示されたあとの医学の技術向上なども踏まえて説明される医師はどれだけいるでしょうか。
残念ながら「卵巣明細胞がんには抗がん剤が効かない」という質問を主治医にしたけれども論文を示されたという患者さんと出会ったことがありません。
このnoteに示したようにどの論文も簡単に検索・閲覧できるんですけどね・・・。
最近も主治医から「明細胞がんは抗がん剤が奏功しづらいんだよね、でも抗がん剤が必要だから」といわれ効かないのにどうして抗がん剤するのか理解できずにパニックになった患者さんや、奏功しないのになんで抗がん剤をするのか疑問に感じた支援者から相談をうけました。
その際に、奏功しづらいといわれたときにどれくらい効くという意味に感じましたか?と尋ねると、「0%」「10%」というかなり低い数字が返ってきました。
2022年7月14日から16日まで福岡県久留米市で開催された日本婦人科腫瘍学会学術講演会2日目に『OS023 進行卵巣明細胞癌の予後 当院治療例の解析』として国立がん研究センター中央病院婦人腫瘍科の石川光也先生の発表を聴講しました。
1998年から2020年のあいだに国立がん研究センター中央病院で初回卵巣がん治療を受けた患者さんのうち、明細胞がんかつステージ3・4の進行期だった患者さんが48名の治療と予後を解析されたものでしたが、患者さんがいうような「0%」「10%」なんていう数字ではない、明細胞がんの患者さんにとって抗がん剤も意味があるものではないかなと思う数字が示されていました。
あくまでも手元にメモがあるだけで、この発表に関しての石川先生の論文がまだ見つけられていないのでぼんやりした書き方でごめんなさい。
卵巣明細胞がんを調べると抗がん剤が効きづらいという話があちらこちらに書かれていて不安だと思います。
だからこそ患者さんには以下のことを主治医と話し合うことをご提案させていただきます。
・なぜ私に抗がん剤治療をすすめるのですか?(治療目的)
・抗がん剤治療をすることでどういう状態が望めますか?(治療の目標)
・治療で予測される副作用やその対応を教えてください。
主治医の説明が理解できない場合はセカンドオピニオンを求めても良いかとおもいます。
その際にはいたずらに手術から時間が経過するのも良くないので速やかにセカンドオピニオンを求められることをおすすめします。
卵巣明細胞がんについてガイドラインで参考となっている論文を掘り下げていき、その根拠を示しましたが、1回読むだけではなかなか理解できないと思います。
ただ抗がん剤を提案するには患者さんの予後にメリットがあると考えるから提案するのであり、主治医と話し合ったうえであなたにとってどうすることが最善か考えて意思決定してもらえればと思います。
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