見出し画像

ビジネス歳時記 武士のおもてなし「蘭奢待」第35話

武将たちを虜にした、南蛮由来の “香りの宝石”

6月は衣替えの季節。梅雨などで湿度も高くなり、汗とニオイ対策にドラッグストアに立ち寄る男性も多いのでは?最近は機能性の高い制汗剤や、逆に汗が香りに変わる洗濯用の柔軟剤などの商品もあり、メンズボディケアといわれる分野も右肩上がりの市場になっているようです。

そんな便利なケア商品がなかった時代は、匂い袋を袂に忍ばせたり、香炉から立ち昇る香りを着物に焚きしめるなど、さまざまな工夫をしていました。と書くと『源氏物語』に見られるような、平安時代の貴族を思い浮かべますが、戦国時代の武将も客人のもてなしに香を室内で焚いたり、出陣の前に兜や鎧に身だしなみの消臭※として、また気持ちを整えるために使う習慣がありました。今回は、彼らも夢中になった香りの世界へご案内いたします。
                      
奈良時代、お香は仏教とともに日本に伝わり、勤ごんぎょう行などの儀式の演出に使われました。平安時代には、公家や貴族たちが焚かれた香りを当ててゲームのように競い楽しむ雅なものとして広がり、その後は茶道とともに武士たちの礼法として香道の世界を開花させました。

香木というと白檀(びゃくだん)、伽羅(きゃら)、沈香(じんこう)などの名前が思い浮かびますが、いずれも東南アジア原産の貴重な植物の化石※。なかでも宮中に代々伝わり、その香りの良さから死者もよみがえる“反魂香(はんごんこう)”の異名を持つのが、東大寺の正倉院の宝物として現存する「蘭奢待(らんじゃたい)」※です。

平安時代末の武将の源頼政が、当時の宮中を悩ましていた鵺(ぬえ)を退治※した手柄で、この蘭奢待を褒美に賜ったということから、垂涎の “香りの宝石”として有名になりました。
                      
以来、室町、安土桃山、江戸時代と、3人の武将が権力にものをいわせ、宮中から蘭奢待の香木の表面の一部を切り取って拝領する「截香(せつこう)」に躍起になりました。寛正2年(1461)9月24日、約2寸(6センチ)の小片を切り取り、截香のトップバッターとなったのは、80種もの銘香を所蔵していたとされる足利義政。室町幕府8代将軍として、銀閣寺建立や東山文化の祖としても知られますが、政治よりも趣味に傾倒していた武将でした。

2人目の織田信長は、天正2年(1574)の4月3日に京都の相国寺で行われた信長主催の茶会で、茶人の津田宗及や千利休に蘭奢待の小片を扇にのせて贈答するという粋な演出をしています。これは、当時、堺衆と呼ばれて勢力を誇っていた宗及ら豪商たちを味方にするための秘策でもありました。

この茶会の前にも信長は茶会を主催していますが、この時点では截香が間に合わなかった経緯があり、しびれを切らした信長自身が交渉に動いたようです。宮中の許可が取れて、3月28日にようやく1寸8分(約5.5センチ)を截香し、2度目の茶会を開催したわけで、そこには香りに託して権力を引き寄せようとしていた信長の野望が透けて見えます。

そして3人目の徳川家康が截香したのは、慶長7年(1602)6月11日、量は信長と同じ1寸8分。それ以外も、家康は良質な香木を取得するために、長崎奉行を通して東南アジアの諸国から伽羅を100斤(約60キロ)、白銀(しろがね)20貫目(約2500万円)も爆買いして、さすがに側近の部下からたしなめられた経緯があります。
 
こうして蘭奢待に夢中になった武将のなかに唯一名前がない豊臣秀吉は、香木にはあまり興味がなかったといわれています。ただ、名物と評価された茶碗や香炉などの蒐集には熱心だったとされています。

かつて信長が蘭奢待を截香したときにも使っていた青磁の香炉「千鳥」も所蔵しており、夜中に盗賊が京都の伏見城の寝所に入ったときには、香炉の蓋についていた千鳥が鳴き、寝ていた秀吉を起こしたという伝説が残っています。

“死者もよみがえる”香木を焚いた香炉の持ち主であった信長が救ったのか、それとも秀吉の寝所に所狭しと並べられていた銘品が賊の足に当たっただけなのか、香りだけが知っているのかもしれません。

【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


※身だしなみの消臭
安土桃山時代の武将の木村重成は豊臣秀頼に仕え、大坂夏の陣では死を覚悟して兜に名香を焚き込んで出陣し、勇敢に討ち死に。その香りは銘香だったとされ、首実検をした家康を感嘆させたという話が伝わっている。
 
※貴重な植物の化石
香木とは、何百年という経年変化で樹脂などが変化して芳香を持つもので、現在はワシントン条約などで、輸出入には申請書が必要な制限がかかる資源。ちなみにタイやベトナム、インドネシアなどから2014年に日本が輸入した香木の量は345トン、金額にして6億2千万円。
 
※蘭奢待
中国から渡来し、聖武天皇によって命名され、正倉院御物として伝わった名香木。「蘭奢待」の3文字のなかに「東大寺」の字を含むので東大寺ともいう。素材は極上の伽羅材で、長さ約1.5メートル、重さ11.6キロで現在も東大寺の正倉院宝物館に所蔵。近年では20111年に一般公開されている。
 
※鵺を退治
鵺は、平安時代後期の武将、歌人でもある源頼政が、紫宸殿の上から射落としたという怪鳥。頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎に似て、声は虎つぐみという鳥に似ている怨霊とされる。弓の名手とされた頼政がこの怪鳥を退治し、天皇の病が治癒したということで、最初に蘭奢待の褒美をもらった侍といわれている。


参考資料
『ビギナーズクラッシックス 日本の古典 太平記』
(武田友宏編 角川文庫)
『現代語訳 信長公記』(太田牛一著 中川太古訳 新人物文庫)
『香 清話 香に聞く、香を聞く』(畑正高著 淡交社)
『香と香道』(香道文化研究会編 雄山閣)
『香道の歴史事典』(神保博行著 柏書房)
『NHK 美の壺 香道具』(NHK 出版)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?