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ビジネス歳時記 武士のおもてなし 「貯古齢糖」 第29話
西洋の新しい文明とともに味わった、異国の甘い嗜好品
2月に入ると、女性の間ではバレンタインチョコ※談義で盛り上がります。このチョコレートですが、日本で初めて飲み物として口にした男性は支倉常長(はせくらつねなが)※、そして初めて菓子としてのチョコレートを食べ、工場も視察したのが岩倉具視(いわくらともみ)※と言われています。今回は250年の時をはさんで江戸初期、明治初期に海外へ使節団として渡り、西洋の新しい文明を感じながら、ともに次の日本を模索しつつ奮闘した2人にスポットをあてます。
チョコレートはカカオ※から作られますが、16世紀初めごろにメキシコがスペインの植民地となって、カカオがヨーロッパに伝来しました。やがてスペインの王族や聖職者たちを中心に飲み物として普及し、1600年代初めにはベルギーやオランダに伝わります。
特にカトリックの聖職者たちが“生命の飲料”として愛飲していたのは、キリストの復活祭までの断食期間でも、このチョコレートだけは栄養補給に必要な飲み物として特別に公認されていたからでした。
慶長18年(1613)の西欧のまさにそういう時代に、伊達政宗の家臣である支倉常長が遣欧使節団として帆船で宮城県の月浦港を出発。目的は日本へ宣教師を招き、その布教活動を通して、通商貿易を仙台の港から広げたいという政宗の思惑を実現するためでした。
北米につくまで3カ月、そこからメキシコ、スペインへと貿易風の風次第という長旅を続けました。スペインでは本格的な晩餐などの歓迎を受け、セビーリャを離れる時には市長から馬車2両、騾馬31頭、会計人、警史、料理人、菓子職人各1人に路銀まで贈られ、次の訪問地マドリードへと送り出されます。
そして元和1年(1615)2月、常長はマドリードでスペイン国王やフランス王妃臨席の下に洗礼を受けます。しかし、日本でキリスト教排除の動きが始まっていたことは、彼の耳にも入っていたことでしょうが、それでもなお、政宗との約束を果たすために旅を続けなくてはならなかった常長。旅先で味わったとされる温かいチョコレートは、甘さよりもほろ苦さが沁みたのではないでしょうか。
そして、チョコレートを味わったもうひとりの岩倉具視は、約250年後の明治4年(1871)の12月に特命全権大使として使節団を率いて蒸気船の客船で欧米へと向かいます。新しい時代の到来を感じ、海外との通商条約を結ぶ前に、広く世界を知らなくてはならないと使節団の団長となった岩倉でしたが、ただひとり和装に靴を履き、丁髷姿(ちょんまげ)というスタイルには、日本人としてのプライドを捨てきれなかったようです。
その岩倉が断髪したのは1872年1月のサンフランシスコ滞在中。使節団の中には、のちの津田塾大学を興した津田梅子らの留学生も含まれ、岩倉の2人の息子も加わっていました。岩倉の断髪に対しては、「サンフランシスコの人たちの熱狂的な歓迎ぶりには、貴方の見慣れない姿を面白がっているという一面もあるのです」と息子たちに諭されたという話も伝わっています。西洋風に身なりを整えた岩倉は、その後は精力的に約2年間にわたる10カ国の視察旅行に取り組みます。
その後フランスに入り、約2カ月の滞在中にはパリの観光名所を訪れるとともに、1873年1月には香水工場やリヨンのチョコレート工場などを視察しています。その様子は、書記として同行していた久米邦武※の事細かな日誌に150人が働く工場に驚いたことなどが記録されています。
おそらく工場では、出来立てのチョコレートを皿が段々にセットされたティースタンドに並べて、お茶でもてなしたのでしょう。銀紙に包まれた美しい包装に目を見張り、ティースタンドを日本の正月飾りを盛る「蓬莱台 (ほうらいだい)」のようなものと解説するなど、一行の興奮が伝わってきます。
それから明治11年(1878)には、日本国内でも凮月堂(ふうげつどう)が新聞広告で「貯古齢糖 (ちょこれいとう)」「猪古令糖」「知古辣」として紹介し、大正7年(1918)からはカカオ豆からチョコレートが製造・販売されるようになったのでした。
【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル
※バレンタインチョコ
昭和30年代から国内の菓子メーカーがはじめたとされる、2月14日バレンタインデーのチョコレート催事。令和2の年間1人当たりのチョコレート消費量は2キロほど。そして2月はチョコレートの支出額が多く、平成27年12月から28年 11月までの1年間からみると、28年2月の支出は1,376円と最も多く、通常月の2.8倍となっています。(「家計調査通信第516号(平成29年2月15日発行)」より)
http://www.chocolate-cocoa.com/statistics/pdf/index_003.pdf
https://www.stat.go.jp/data/kakei/tsushin/pdf/29_2.pdf
※カカオ
中南米原産のアオギリ科の植物。果実から取り出した種子がチョコレートの原料となるカカオ豆。メキシコ先住民は、この豆を「神からの賜物」とよび、薬効のある飲み物、また貨幣としても利用していた。1502年ヨーロッパにコロンブスが持ち帰ったときには、その価値が伝わらなかった。
※支倉常長[1571 - 1622]
伊達政宗の家臣で六右衛門常長、長経の名前もある。「朝鮮の役」で政宗とともに朝鮮に渡り功績をあげる。政宗の命を受け、遣欧使節の正使として中南米、スペインに派遣された。その間に幕府のキリスト教弾圧などの急変もあり、政宗の要請はスペイン政府に受け入れられず、元和6年(1620)に帰国。
※岩倉具視[1825 - 1883]
幕末から明治時代前期の公家出身の政治家。幕末に公武合体を説いて和宮と徳川家茂の結婚などを推進し、王政復古の実現に参画。明治維新後、特命全権大使として欧米の文化・制度を視察し、帰国後は明治憲法の制定に尽力。日本鉄道設立にかかわったことでも知られる。
※久米邦武[1839 - 1931]
歴史学者。佐賀藩出身。岩倉具視に従って欧米を視察。『米欧回覧実記』などの著作を残した。古代史の科学的研究に努めた。
参考資料
『事物起源辞典(衣食住編)』(朝倉治彦他編 東京堂出版)
『特命全権大使米欧回覧実記第3 編 欧羅巴大洲ノ部 上』
(久米邦武編 博聞社 国立国会図書館デジタルコレクション)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/761504
『チョコレートの本』(ティータイム・ブックス編集部編 晶文社)
『チョコレート語辞典』(香川理馨子著 誠文堂新光社)
『伊達政宗 謎解き散歩』(佐藤憲一著 新人物文庫)
『岩倉使節団という冒険』(泉三郎著 文春新書)
『支倉常長』(五野井隆史著 吉川弘文館)
『支倉六右衛門と西欧使節』(田中英道著 丸善ライブラリー)