ビジネス歳時記 武士のおもてなし 第40話「夏の氷」
平和な夏の涼感を楽しむ、氷のごちそう
「鶯も番をして鳴く氷室かな」(一茶)――暑さも極まる8月上旬までの厳しい気候を、「極暑(ごくしょ)」や「酷暑(こくしょ)」と言いますが、店先に揺れる氷の文字が恋しくなるころでもあります。
今でこそ冷蔵庫や製氷機のおかげで、一年中ふんだんに氷を身近なものとしています。しかし、近代以前は山の洞窟などに設けた氷室)※という“自然の冷蔵庫”に、冬の氷を保存して使っていました。
夏に氷室から運び出した氷を口にできるのは、天皇や公家、武士でも将軍などの特権階級の人たち。日本で初めてかき氷を食べたとされるのが、平安時代の清少納言。小刀で根気よく削った氷に植物からとった甘葛(あまづら)というシロップをかけて優雅に食べていた様子が、『枕草子』に描かれています。そして、江戸時代には食通で知られた家康が、氷を周囲に振る舞ったことが記録されています。今回は、暑さを吹き飛ばす氷のごちそうの話です。
氷室については、奈良時代の歴史書『日本書紀』に面白い話が出てきます。すでに「オンザロック」の氷の話が出てくるのが、4世紀後半の時代あたり。ある日、額田大中彦皇子※が奈良の郊外にある都祁(つげ)村へ狩猟に出かけたときに洞窟を発見。土地の長(おさ)に尋ねると、冬の氷を保存しているとのこと。地面を3メートル近く掘り下げ、その上に茅や芒すすきを敷いて氷を保存すると溶けないので、夏には水や酒に浸して使っているという話でした。
その氷を皇子が天皇に献上したところ、とても喜んだことから慣例になりました。冬に近くの池で切り出した氷を氷室で保存し、夏の間に賜氷(しひょう)として家臣にも分け与えるのが恒例の行事となりました。
驚くことに、昭和61年ごろから奈良市内の百貨店建設予定地で、奈良時代初期の長屋王という時の左大臣の日常が記録された木簡※が発掘されました。万を超す大量の木簡には当時の氷室の数や、氷室に氷を収める作業に従事する人たちの報酬として、米や塩、布などを与えていたこと、6月から8月ころまで馬を使って氷を宮廷まで輸送していたことまで記録されていました。氷は古くから上流階級の人たちに許された、夏の贅沢だったわけです。
室町時代から戦国時代になると、地元の山林の警護にあたる武士たちが氷室付近の樹木を伐採したために、氷が溶けてしまうなどの争い事が始まりました。以後、氷の献上は一時、空白の期間を迎えます。それが、少し形を変えて復活するようになったのは織田信長が勢力を持ったあたり。城内で夏の始まりを告げる六月朔日※には氷を模した氷餅※の献上が始まり、夏場に氷が手に入ることのない庶民の間でも広く食べられるようになりました。
江戸時代には、各地に氷室もできて氷の備蓄をすることも数多く見られるようになりました。残念ながら、徳川家康がオンザロックやかき氷を楽しんだという記録は見当たりませんが、好物の鯛を取り寄せるのに氷を活用していたようです。食通の家康は、すでに食品の鮮度を保つのに氷が役立つことを、知っていたわけです。慶長11年(1606)に3男の秀忠に将軍職を譲った隠居後の家康は、静岡の駿府城に運ばせた富士山の氷を、公家や家臣たちに分け与えることもありました。
加賀藩主の前田利常が、寛永年間(1624~1644)の徳川家光の時代に始めた6月朔日の献上氷は、“江戸の氷道中”として有名でした。通常は江戸まで10日間かかる道のりを、5日間で走破して夏の氷を運びました。しかし、長持ちに入れた氷は、江戸の藩邸につくころには残念なぐらいの小ささになっていたということです。
【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル
※氷室(ひむろ)
夏に氷を使用するため、冬の間に池に張った氷を切り取り貯蔵した室。その氷は4~9月、朝廷に献上され天皇・皇族・貴族に供された。氷室の制度は中世以降にも存続した。
※額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)
第15代の応神天皇の皇子。奈良県都祁村で氷室を発見、氷を仁徳天皇に献じたとされる。
※木簡
文字を書くために古代の中国や日本で使われた、短冊形に削った木や竹の総称。日本では平城京や長岡京址から出土し、9世紀のころから紙と並存して使われた。
※六月朔日(氷の朔日)
陰暦6月1日。昔、宮中で冬にできた氷を氷室から取り出して家臣に賜る儀式がこの日行われた。民間では、正月の餅を凍らせて食した。氷の朔日、氷室の朔日ともいう。
※氷餅
冬に搗いた餅を凍らせて、保存する餅。氷の朔日として正月以外に春や初夏に氷餅を食べるのは、労働で消耗した体力を補う意味もあった。
参考資料
『飲食事典』(本山荻舟著 平凡社)
「若越郷土研究56 巻2 号」(福井県郷土誌懇談会)JE56(2)293-2_sato.pdf
『氷の文化史』(田口哲也著 冷凍食品新聞社)
『図説 俳句大歳時記 夏』(角川書店)
『事物起源辞典(衣食住編)』(朝倉治彦他編 東京堂出版)
『日本風俗史事典』(日本風俗史学会編 弘文堂)
『一個人別冊 戦国武将の謎127』(KK ベストセラーズ)