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ビジネス歳時記 武士のおもてなし 「遊山弁当」第32話

野山で英気を養いつつ、季節を味わう春の弁当

「清和月(せいわづき)」とは、晴天の日が続き気候も安定してくる4月の異称。子どもたちの遠足や、家族や友人たちと行楽地へと向かう、野外で春を満喫する季節が訪れます。

日本には、古くから「野遊び」「山遊び」という、今のピクニックのような習慣がありました。これから始まる田植えなどの農作業を前に、豊作を祈願して田の神様をお迎えに行くという意味があったそうです。野山でご馳走を詰めた遊山弁当(ゆさんべんとう)を広げ、神様と飲食をともにしました。

武士たちも、家族や仲間たちとの親睦を深めて集う場での遊山弁当は、楽しみのひとつでした。今回は、現代人より季節を楽しみ、アウトドアの春を味わっていた弁当事情をご紹介いたします。
 
享保13年(1728)4月16日、春の日光社参※で弁当を味わったのが江戸幕府第八代将軍の徳川吉宗※。享保の改革で財政立て直しのために倹約を奨励するなど “野暮将軍”のあだ名を持つ吉宗の春は、徳川家康の17日の命日に合わせた3泊4日の墓参りから始まりました。

途中、埼玉県川口市の錫杖寺(しゃくじょうじ)で昼休憩をしたときに食べた弁当の献立が『享保日光御参記』に残っています。現在、川口市や幸手(さって)市など日光御成道(にっこうおなりみち)※沿いの料亭などが昔の献立を再現して、観光客をもてなすための町おこしメニューにしているようです。

焼豆腐、広かんぴょう、山のいも、切とうがらし紙包、梅煮ふし、生干かます、蒸貝、干しょうが、御香物、塩山椒、酒ねりひしお、御食(ご飯)、御汁、砂糖こしょう紙包など。栄養学の専門家によると魚の干物や高級品のアワビを煮含めた蒸貝、焼豆腐など良質なたんぱく質を取り入れた健康的な品々が詰まった、将軍もてなしの弁当という献立になっていたようです。

しかし、吉宗の弁当には、通常は別の重箱で添えられる菓子などが見当たらず、紙包みに入れた刻んだ唐辛子や塩山椒や砂糖などの調味料が別添えされていたのは、自らの好みに調える味覚の持ち主だったのか、左党だったかと推測するのも一興かもしれません。

その当時、遊山弁当の人気メニューとされていた華やかな「かすてら卵」※やアワビの肝を加えた「わたかまぼこ」などが入っていなくとも、質素を常としていた吉宗好みの栄養バランスや保存性に優れた献立だったと言えましょう。

弁当箱の始まりは、戦国時代あたり。安土桃山時代に生まれ、加藤清正に仕えて百歳まで生きた医者の江村専斎の聞き書き『老人雑話』には、小芋ほどの大きさに収まる携帯用の弁当箱を見て驚いた話が出てきます。慶長8年(1603)に出版されたポルトガル語の『日葡辞書』に、BENTOの項があり、当時は携行食を収める便利なものという意味に使われていたようです。

それが旅や行楽など、日本独自の弁当文化として花開いたのは、江戸時代中期に入ってから。長い泰平の時代に入り、寺社参りや花見、芝居見物などの行楽に弁当が工夫され、数多くの豪華な仕様の弁当箱も作られました。

なかでも蒔絵や螺鈿が施され、日本の伝統工芸の粋を尽くして作られた「提重(さげじゅう)」※は、重箱の他に酒器や料理をとりわける銘々皿までセットされた豪華さで、大名や豪商たちが競い合うように作らせました。そのなかには簡単な野立て用の湯沸し道具の銅壺と弁当箱が組み込まれた「茶弁当」などもあり、この湯沸しは酒のお燗に使うなど重宝がられました。

弁当箱に託した武士の思い。それは、慶長20年(1615)の春、大坂夏の陣に出陣する決意をした徳川家忠の家臣、山口小平次重克が妻に宛てた遺書の中にありました。倹しい武士の暮らしぶりがうかがえる文面には、布団や1両のお金とともに、10人前の弁当箱を妻に形見分けとして残すと書かれてありました。そこには、家族で食べた弁当の味を思い出しながら、妻への感謝の気持ちを伝えるメッセージが込められていたのかもしれません。

【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


※日光社参
江戸時代、徳川家康の命日の4月17日に行われた日光東照宮の大祭に、将軍みずから参詣したこと。

※徳川吉宗[1684- 1751]
紀伊家徳川光貞の4男。兄たちの相次ぐ死去により紀州藩主を相続。その後、7代将軍家継の死去で老中らに推されて、紀州家5代藩主から享保元年(1716)将軍となる。倹約励行や学問を奨励し、財政面では新田開発、年貢の増収をはかるなど「享保の改革」を進めた。

※日光御成道
江戸時代に将軍が、日光社参した専用道。徳川家康が祀られている日光東照宮へ向かう、江戸から日光の幸手までのおよそ12里30町(約48km)。寛永9年(1632)以降に整備された脇街道で、川口と幸手が昼食の場にあてられるのが通例となった。
「川口宿 鳩ヶ谷宿 日光御成道まつり」
http://www.onarimichi-matsuri.jp/

※かすてら卵
卵が貴重品だった江戸時代、バターの代わりに油を使い、卵とうどん粉(小麦粉)、砂糖をたっぷり使い、鍋と皿を器用に使ってつくるカステラのような料理で、ハレの日の弁当の一品だった。
提供:ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター
http://codh.rois.ac.jp/edo-cooking/tamago-hyakuchin/recipe/030.html.ja

※提重
提重箱の略。容器の中央に金属などの突起があり、手や棒に通し提げて携行できる重箱。


参考資料
『道具が証言する江戸の暮らし』(前川久太郎著 小学館文庫)
『別冊歴史 REAL 江戸の食と暮らし』(有澤真理他著 洋泉社)
『図説江戸時代食生活事典』(日本風俗史学会編 雄山閣出版)
『江戸の食文化』(原田信男著 小学館)
『浮世絵で読む、江戸の四季とならわし』(赤坂治績著 NHK 出版)
『週刊朝日百科115 世界の食べ物日本編 弁当・外食』(朝日新聞社)
『アスカヤマ・遊山弁当箱プロジェクト 伝えたい日本の美 図録』
(北区飛鳥山博物館編、北区飛鳥山博物館)
『見る・読む・調べる 江戸時代年表』(山本博文監修、小学館)

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