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ビジネス歳時記 武士のおもてなし 第13話「嘉祥食」

菓子で人事も治めた、家康の甘い振る舞い

京都では、旧暦6月の名がついた菓子「水無月」※が和菓子屋に並ぶと、季節は梅雨から夏へと向かいます。季節の変わり目のこの時期は体調を崩しがちになることから、疫払いの行事として茅輪くぐり※も行われます。こうした行事のひとつに、6月16日に行われていた「嘉祥食(かじょうぐい)」があります。

現在では「和菓子の日」とされていますが、神様に供えた16個の餅や菓子を食べて疫払いをしたことから始まりました。
そのなかでも徳川家康が、年中行事のひとつとした「御嘉祥祝い」は武士だけではなく、一般の民衆にも広く知られるようになりました。
 
その由来は、1572年(元亀3)、武田信玄と戦った三方ヶ原合戦で敗戦に追い込まれた家康が、浜松へ撤退する途中の神社で勝利を祈願したことに始まります。そこで拾った嘉定通宝※という十六文銭が運をもたらしたのか、それまでの苦しい戦が好転しました。さらに、かつての家臣の大久保藤五郎※が陣中見舞いに6種類の菓子を献上したことが、家康を励ますことになったのです。
 
この、大久保藤五郎が献上したお菓子を、戦場で長持ちの蓋などに載せて部下に配ったのが「嘉祥食」の始まりです。そして、江戸後期には一大行事となり、城の500畳もある大広間を使って「御嘉祥祝い」が行われるようになります。それは、横26列、縦62列に饅頭、羊羹、あこや※など8種類の菓子を載せた折敷盆を並べて家臣たちに分け与える規模だったそうです。菓子の総数は約2万個を超えたということですから、準備だけでも相当な時間を要したことだったでしょう。
 
また、その行事は大奥でも同様に行われました。大奥の女性たちも嘉定通宝が女房言葉で「嘉通」は「勝つ」に通じると縁起をかつぎ、この日は将軍に直接会うことができる「お目見得」以上の女中たちが、行事に参加しました。女性たちにとっても、何よりの楽しい行事だったことでしょう。
 
ところで、家臣が武将や大名の口にするものを予め毒見することは通例でしたが、家康にとって大久保藤五郎が作る菓子だけは特別なものだったそうです。というのも、藤五郎は家康に従軍した戦の鉄砲傷が原因で足が不自由になり、武士をあきらめて菓子作りを始めた、信頼できる“元武士のパティシエ”という異色の存在。家康は元部下の作る菓子だけは安心して食べることができたので、うれしかったのでしょう。後に江戸城に異動する時には、藤五郎を上水(水道)の担当として任命しています。
 
当時、武士の教養でもあった茶の湯の流行で、良質な水を得ることは重要であり、またお茶に欠かせない菓子を作るにも水が大切だったことから、水をよく知る藤五郎に白羽の矢が立ったようです。後に彼は、家康から主水という名前をもらい、大久保主水という幕府御用菓子屋として、外国の使節団が驚くような美しい菓子を作ったことが記録されています。
 
また菓子作りに欠かせない砂糖は、各藩が砂糖会所※を置いて統制・管理していたことからも、貴重な嗜好品だったことがわかります。その砂糖を大量に使う「嘉祥食」の菓子作りは、いかに大変だったかも察することができます。
 
主君から家臣へ、そして奥女中の女性たちへと配られた「嘉祥食」の菓子。そこには、組織としての主従関係や人事をまとめていく、リーダーである家康のもてなしの気持ちが込められていました。

【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


※水無月
6月に出まわる京都の名物菓子。氷に見立てた白いういろう生地に小豆をのせ、三角形に切り分けた和菓子。

※茅の輪くぐり
6月晦日に神社で行われる夏越しの行事。チガヤやワラを束ねてつくった大きな輪を参詣者がくぐると、災いを避けられるといわれている。

※大久保藤五郎[不詳-1617]
戦国時代から江戸時代初期の武士、治水家(江戸水道の開設者)、後に菓子司。徳川家康の家臣。三河(愛知県)出身。地元の三河の戦で負傷し、歩行が不自由となり、得意としていた菓子作りを始める。江戸小石川上水(後の神田上水)を完成させ、家康より大久保主水の名をもらう。

※嘉定通宝
中国の南宋の寧宗(ねいそう)の頃、嘉定年間(1208〜24)に発行した銭貨。渡来銭の一つとして日本にも大量に入り、江戸初期まで流通した。

※あこや (阿古屋)
真珠を生み出す阿古屋貝(アコヤガイ)に見立てた餅菓子。

※砂糖会所
砂糖の生産や流通を統制するために、藩によって設置された役所。


参考資料
『ピクトリアル江戸1 江戸城と大奥』(学習研究社)
『日本ビジュアル生活史 江戸の料理と食生活』(原田信男編 小学館)
『江戸時代の和菓子デザイン』(中山圭子著 ポプラ社)
『淡交ムック 茶の湯入門シリーズ 和菓子の四季』(淡交社)
『砂糖の文化誌 ─ 日本人と砂糖 ―』(伊藤汎監修 八坂書房)
『虎屋 和菓子と歩んだ五百年』(黒川光博著 新潮新書)

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