ビジネス歳時記 武士のおもてなし 第58話「江戸散歩」
嘉陵が歩いた、江戸人情に触れる旅
10月の神無月(かんなづき)には、各地の神様が出雲大社に一堂に集まり留守がちになることから、この異称がついたといわれています。神々も色づき始めた紅葉を愛でながら、日本の秋を旅したのかもしれません。
江戸時代、長い戦乱から泰平の世に入ると、人々は旅をする楽しみを見つけました。物見遊山で名所旧跡を訪ねたり、「講(こう)」というツアーを組んで「伊勢参り」※など信仰の旅に出たり、余暇を堪能しました。
しかし、人気の「伊勢参り」などに出掛けたのは町人や農民などが大半で、残念ながら武士たちは公用以外で長期にわたる旅を楽しむことはできませんでした。
そんな中で、ささやかに江戸近郊の旅を楽しんでいたのが、『江戸近郊道しるべ』の著者の村尾嘉陵(むらお かりょう)※です。今回は、嘉陵の“江戸散歩”の様子をご紹介します。
江戸市中には、全国から約300もの諸藩の大名たちが江戸屋敷を構えており、その人口は幕末には武家が52~53万人、町人を入れると百万人※の巨大都市を構成していたといわれています。
寛永12年(1635)からは一年置きに参勤交代制度が行われ、家臣たちは藩主である大名に仕える「江戸勤番」となりました。多くは単身赴任で屋敷内の勤番長屋など、今でいう独身寮で暮らしていました。
役職についていないような武士は、ひと月の勤務日数が多くて二週間、平均一週間程度といううらやましい勤務形態でしたが、非常時に備えていつでも出動できるように外泊は禁止、門限も午後6時までに帰宅という決まりがありました。
今のような有給休暇などはありえず、故郷の家族の病気や不幸など、特別な時には道中手形を藩に発行してもらい、長期の旅に出ることができました。
先の、村尾嘉陵の場合は、徳川将軍家の親族の暮らしを管理する事務責任者という、現在の執事のような役職で、一般の武士とは違って外泊や門限などの制限はなかったようですが、やはり手形を必要とするような長旅はできずにいました。
そこで、47歳の時から江戸近郊を歩く旅を始めました。最初は9年間で3回、その後も年に4回から5回という頻度でしたが、驚くことに74歳までスケッチや歌を詠みながら楽しむ道中が続きました。ここでは、天保4年(1833)の陰暦10月に行った「百草道の記ならびに高畠不動尊詣」の足取りを追ってみましょう。
73歳になる嘉陵は、まずは江戸の三番町の住まい(現在の東京都千代田区南二丁目あたり)を、夜明け前に出ると、同僚一人と四谷大木戸(新宿区四谷四丁目あたり)で待ち合わせをします。曇りがちの天気を気にしながら、内藤新宿(現在の新宿)の飯屋で腹ごしらえをして、瓢箪(ひょうたん)で作った瓢(ひさご)に酒を入れて腰につけて出発しました。
幡ヶ谷(渋谷区幡ヶ谷)あたりで日が昇り始め、代田村(世田谷区代田)から祐天寺(目黒区中目黒)に到着したのが午前8時というかなりの速度で歩いています。その後、深大寺経由で府中(府中市)に着いて昼食の弁当を広げたのが、一軒の民家の軒先でした。
「平ものは大根にんじんやきどうふ塩引きそへて腹は正月」とは、その時に詠んだ和歌。民家のお婆さんが出してくれた皿一杯の煮ものに、自分たちが持ってきた鮭の塩引きを添えて並べたら、正月の祝い膳のようになったという愉快な短歌です。すでに瓢の酒を道中飲みながら歩いてきて、酔いも手伝ってのはしゃぎようが目に浮かぶ情景です。
その後、二人は多摩川を舟で渡り、稲毛領(川崎市)に入り、熟した道端の甘柿をもいで食べたりなどしながら、日野に入り、高畠不動(日野市高幡)に着いたのは夕暮れ。境内を歩いて参拝を済ませると、住職らが用意してくれた食事や風呂をご馳走になり、その日は老僧たちと酒盛りになり、寺に宿泊となりました。
嘉陵の70歳を越した健脚ぶりにも驚きますが、同僚が深大寺の境内で紅葉を愛でて一~二葉拾って懐に入れる様子や、旅の醍醐味でもある人情あふれるもてなしを受けた様子を細かく記録することも忘れない、細やかな観察眼が読者を魅了します。
監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル
※「伊勢参り」
伊勢国(三重県)の伊勢神宮に参拝すること。江戸時代に、一生に一度は伊勢参りをするものだという考え方が生まれ、伊勢講が各地に組織された。60年ごとの遷宮の「お陰参り」や、親や主人の許しを受けずに青年や使用人が参詣するのも流行した。
※村尾嘉陵【1760 – 1841】
本名は村尾正靖。雅号が嘉陵。徳川将軍家の親族である三卿(田安家、一橋家、清水家)といわれる、清水家の出身。清水家の事務責任者として、主人と夫人が居住する住まいや暮らしの調整役を務めた。『江戸近郊道しるべ』は、文化4年(1807)から天保5年(1834)までに江戸の郊外を散策した記録。嘉陵の死後、複数の人物によって写本が行われ、刊行された。『江戸名所図会』(齋藤幸孝)などと重ね合わせて読むと面白い。
※百万人
幕末の江戸の人口。昭和時代の歴史地理学者の関山直太郎の計算によるもの。
参考資料
『別冊歴史REAL 江戸の旅とお伊勢参り』(洋泉社)
『江戸近郊道しるべ 現代語訳』(村尾嘉陵著 阿部孝嗣訳 講談社学術文庫)
『江戸近郊ウォーク』(村尾嘉陵著 阿部孝嗣訳 小学館)
『江戸近郊道しるべ』(村尾嘉陵著 朝倉治彦編注 平凡社)
『江戸の人々の暮らし大全』(柴田謙介と歴史の謎を探る会著 河出書房新社)
『江戸時代館』(竹内誠監修 小学館)