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ビジネス歳時記 武士のおもてなし 「醸成月」 第20話
武士の酒は仕事か、究極のもてなしか
酒屋の軒先に吊るされた酒林※が、そろそろ茶色になる神無月。別名「醸成月」ともいい、そろそろ日本酒の米麹の仕込みを始める、つまり醸す季節になる頃です。と、同時に杉の青々とした新しい酒林を吊るすと、昨年仕込んだ新酒の初絞りの「冷やおろし」が味わえる合図となり、飲兵衛にはうれしい秋到来といった季節が始まります。
酒と言えば、武士には飲兵衛の話題には事欠きません。中でも著名なのが、「酒は飲め飲め、飲むならば~」の福岡の民謡・黒田節でおなじみの黒田藩の武士こと、母里太兵衛※。あの黒田官兵衛と息子である黒田長政※の腹心の部下であった太兵衛は、ある日、酒豪で有名な福島正則※のところに、長政の依頼で使者に立つことになります。
実は長政と正則は仲が良く、いずれ劣らぬ酒豪の飲み友達だったのですが酒癖が悪く、喧嘩をして互いに高価な兜を仲直りの印に贈り合ったりしています。自分のことは棚に上げ、長政は「どんなに勧められても酒を飲んではならぬ」と、太兵衛にきつく言い渡します。
というのも、太兵衛もいずれ劣らぬ酒豪。通常はお茶を飲んだりしていた馬上杯※で出陣前には豪快に出陣杯を重ね、その荒々しい様子から「フカ」※の渾名をもらっているほど。その太兵衛に、案の定、正則は酒を勧めます。丁重に断る太兵衛に、正則は酒も飲めぬ〝腰抜け藩〟かと揶揄します。自分のことよりも、藩の悪口を言われては太兵衛も我慢はなりません。続けて正則は、3升も入る大杯を飲み干したら好きなものを褒美にとらせると、しつこく勧めます。
とうとう、根負けした太兵衛は、その杯をお代りまでして飲み干し、正則の家宝だった天下の名槍を手に入れたのでした。その名槍「日本号」は、全長3メートルを超えるもので、太兵衛は馬に乗ってそれを悠々と持ち帰ったそうです。
なんと「下らない」ことで名槍を失った? そう、洒落ではありませんが、この「下らない」も、江戸時代の「下り酒」からきている言葉。この頃飲まれていた酒は、関西の灘、伊丹などの上方から樽廻船という特別な船を仕立てて江戸に下る「下り酒」と呼ばれていました。
船は富士山を眺めながら揺られてくるうちに熟成する「富士見酒」として人気を呼びました。しかし、何かと上方に対抗し、その頃は関東で旨い酒を作ることができなかった江戸っ子たちは、「下らない」と毒づきながら、年間6万樽もの下り酒を飲んでいたというのですから、可笑しな話です。
その昔、日本では酒は一人で飲むものではなく、集団の中で飲むものとして、寄り合いやさまざまな儀式などには欠かせないものとして、戦国時代には寄合酒の規模などで料理の品数まで細かく規定したご法度※などもあったそうです。
武家の宴会は、公式な席は昼間に行われ、正装をして一人ずつの式膳がつき、飲み始める前に食事をしてから、廻り盃として次々に注がれてはスポーツのように整然と飲み進めるという、堅苦しいものでした。その宴会が長引くと、途中で正装から略服(肩衣らしい)に着替えて、また続行というもので、もてなす方ももてなされる方も、いささか堅苦しい宴
席だったようです。
すでに鎌倉時代から無礼講などもあったことが文献に見つかりますが、気の合った仲間との飲み会になると、賑わいも酔い方もハメを外すのは世の常、人の常でしょうか。しかし、時代は変わっても「酒の上でのこと」では、やはり済まされないのが正直なところのようです。
【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル
※酒林
杉の葉を束ねて球状にして軒先に吊るし、酒屋の看板としたもの。奈良県の大神神社の祭神は酒神で、ここの杉を神木としたことに由来。さかぼうき、さかばた、杉玉、杉林ともいう。
※母里太兵衛(1556-1615)
名前は「もりたへえ」、「ぼりたへえ」の読み方がある。筑前福岡藩士。黒田孝高、長政につかえて朝鮮出兵、関ケ原の戦いなどに従軍。福島正則の酒宴で大杯の酒を飲み干し、名槍を得たという逸話で知られる。この名槍は、その後は後藤又兵衛に譲られた後、持ち主を転々とした後、黒田家に戻り、現在は福岡市博物館に所蔵されている。
※黒田長政(1568-1623)
安土桃山から江戸初期の武将。黒田官兵衛(孝高)の子。豊臣秀吉に従い、九州平定や朝鮮出兵などで活躍。秀吉死後、関ヶ原の戦いでは徳川方について大功を立てる。
※福島正則(1561-1624)
豊臣秀吉につかえ、賤ケ岳の戦いや、朝鮮出兵などで活躍。関ケ原の戦いでは徳川方につき、安芸広島藩主となるが、広島城の無断修築をとがめられて領地没収となり、後に蟄居した。
※馬上杯
器の下の高台部が高く、そこを握って用いる杯の一種。馬上で飲酒などをするのに適した形であるためこの名がついた。
※フカ
鱶。大形のサメ類の俗称。
※法度
近世以降、武家の定めた法令やおきてなどをいう。武家諸法度や、禁中並公家諸法度などがある。
参考資料
『小説 母里太兵衛』羽生道英著(学陽書房)
『絵図でさぐる 武士の生活2』百瀬明治著(柏書房)
『江戸の風物詩と暮らし大図鑑』(洋泉社)
『江戸の食生活』原田信男著(岩波書店)
『酒おもしろ語典』坂倉又吉著(大和出版)
『世界大百科事典』(平凡社)
・西日本シティ銀行HP
地域社会貢献活動 ふるさと歴史シリーズ「博多に強くなろう」
http://www.ncbank.co.jp/chiiki_shakaikoken/
furusato_rekishi/hakata/024/01.html