ビジネス歳時記 武士のおもてなし 第10話「吹き流し」
三つの心を染めた、白餅の幟
青空が似合う5月は皐月の異称でも呼ばれ、ツツジやサツキの花も満開になる清々しい季節。「皐月の鯉の吹き流し」と言われるように、鯉のぼりが泳ぐ端午の節句が庶民たちの間にも広まったのは、江戸時代の武家行事からと言われています。童謡「こいのぼり」の歌詞に大中小の鯉の種類が歌われていますが、一番上に泳いでいる内側が空洞でヒラヒラがついた「吹き流し」はご存知でしょうか。
これは、その昔、戦場でそれぞれの軍勢が「吹き流し」を竿の先端に目印としてつけたのが始まりですが、敵味方の侍たちが入り乱れて戦う中で、それだけでは区別がつかなくなり、幟や軍旗、背中につける小旗の指物、主将の馬側に立てる馬印などを使い分けた標識が用いられるようになりました。つまり、男児の健康や出世を願う鯉のぼりには、勇ましく戦った武士たちの標識という役割もあったのです。
幟や軍旗の種類には、過去の合戦図などからも、武将たちが勝利を願ってデザインした様子がわかります。こうした合戦に参加していた武将の中で異彩を放つのは、近江国、藤堂高虎(※)の「丸餅が三つ」の幟。高虎は、秀吉の弟の羽柴秀長や、徳川家康などの天下人に仕え、その最期を看取った武将として有名です。ただ、生涯に8人ほどの主を変えて武功を立てた、処世術の上手い譜代大名という、評価が分かれる武将でもあります。忠君や滅私奉公の逸話が多い軍記の中では、出世街道を選び歩いた武将と映るのかもしれません。しかし、この「丸餅が三つ」の幟には、若い時に受けたもてなしに感謝し、その心を生涯忘れなかった高虎の思いが込められていました。
それには、こんな話が伝わっています。若き日の高虎が主君を求めて旅に出ているとき、三河国(今の豊橋)の店先に並んでいる丸餅を見たとたん、それまで水と野草で飢えをしのいでいましたが、空腹に耐えられなくなりました。「餅をひとつもらうぞ」と、店の亭主に声をかけて食べ始めたら、その勢いがとまらない。とうとう20個もの丸餅をたいらげてしまいました。亭主は、その食べっぷりに感嘆して声をかけ、自分の女房と高虎が同郷ということで話も弾みます。ところが、「旅の路銀を使い果たして無一文だ。出世払いにしてくれないか」と言い、高虎が無銭飲食であることが判明。「出世払い」という言葉が使われたのは、この時からというのはさておいて、亭主は驚いたものの、190センチ近くもあったという大男の高虎の大物ぶりを快く許すだけではなく、当座の路銀を持たせて送り出したということです。
その餅のお蔭で、羽柴秀長(※)に仕える大名になり、自分の幟や軍旗をつくることになったとき、例の「丸餅が三つ」の軍旗が誕生したというわけです。ある時、家来がその由来を尋ねると、高虎はひとつ目の餅は「他人の心」、二つ目は「自分の心」、そして三つ目の餅は「それらをひとつにした心」と、答えたそうです。自分が一番苦しいときに、情けをかけてくれた餅のありがたさを、終生忘れないように幟に染め抜いたわけです。
さらに、この話には後日談があり、高虎が大名行列の折に丸餅の店に寄り、亭主にお礼の言葉とともに金銀を詰めた革袋を渡したそうです。このときから、白餅は「城持ち」に通じるとして、地元の名物になりました。
“家康の腹心”とまで言われ、江戸城ほかの築城をした武将としても名をなした高虎ですが、それに驕ることなく、去っていく家臣には自ら茶席を設け、はなむけに護身用の腰刀を持たせたとのこと。そして、戦の度に家臣たちに渡していたという感謝状。そこには直筆サインの花押ではなく、おにぎりの形に似た判子が押されていました。度重なる合戦で、右手の指や爪なども欠け、不自由な手でも握りやすいおにぎり型の判子を愛用していたわけです。高虎が家臣たちにこうした情をかけたのは、自分が受けたもてなしが、その後の人生を変える力になることを知っていたからでした。
【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル
https://oval-design.co.jp/
※藤堂高虎 [1556-1630]
安土桃山時代から江戸初期の武将。近江国(滋賀県)出身。津藩(三重県)初代藩主。浅井長政、羽柴秀長に仕えた後、秀吉に招かれ、その死後家康につく。関ケ原の戦い、大坂の陣で功を立てた。
※羽柴秀長 [1541-1591]
安土桃山時代の武将。尾張 (愛知県)出身。豊臣秀吉の異父弟で、その補佐にあたった。中国攻めの戦功で大和郡山城主となる。初名は長秀。通称は小一郎。
参考資料
『戦国軍師列伝 戦を動かした戦国の頭脳111 人』(川口素生著 学研M 文庫)
『全国版 戦国時代人物事典』(学研パブリッシング)
『戦国武将ものしり事典』(奈良本辰也監修 主婦と生活社)
『秀吉と家康が惚れ込んだ男 藤堂高虎』(羽生道英著 PHP 文庫)
『藤堂高虎 家康晩年の腹心、その生涯』(徳永真一郎著 PHP 文庫)
『日本風俗史事典』(日本風俗史学会 弘文堂)