ビジネス歳時記 武士のおもてなし 第16話「夏の凉」
氷で味わう涼しさと、白さに託した心持ち
8月に入り、連日の真夏の暑さが続きます。凉を求めて喫茶店に入り、氷が浮かんだアイスコーヒーなどを一気に飲み干して、思わずフ~とため息をついている方も多いはず。
しかし江戸時代では、庶民は「ひゃっこい!」「ひゃっこい!」の掛け声で天秤を担いだ水売りから、冷水を購入するのがせいぜい。確かに、山の湧き水などの冷たい水を汲んで売りにきましたが、歩き回っているうちに太陽の下では桶の中の水はぬるくなり、傷んできます。これを飲んでお腹を壊す人も出てきて、「年寄りの冷や水」の故事は、こんなところからきているそうです。
一方、朝廷や幕府などの権力者は、夏に冷たい氷を手にすることを考えました。すでに鎌倉時代には夏に富士山の残雪を家来に運ばせたり、いったん山奥の洞穴に氷を保存する氷室※を作り、そこから運んできたりなど、さまざまな工夫をしています。しかし夏に氷を探し、運び出すのは至難の業。実際には、現代の発泡スチロールならぬ桐箱の内部に笹の葉などを敷いて、飛脚が運んだそうです。
しかし、届いた時には大きな氷は手のひらに載るほどしか残っていなかったという話も伝わっています。そこで加賀百万石の前田藩では、冬の氷を貯めておき、江戸にも氷室を作り予め保存し、夏になるとそこから献上していたということです。ただ、金沢から江戸まで、どのような道を通って移動をしたのか、夏でも夜間なのか、それとも冬季に運び入れていたのかなどは、よくわかっていません。
1590年(天正18)8月1日、この暑さの中を駿河から全員が白帷子※で江戸入りしたのが徳川家康※。白い夏の装束で、家康は江戸城に入ることの覚悟を表わし、発汗性の良い麻などの素材で涼感を演出するとともに、強い日差しを反射させる今でいうUVの意図で白を選んだのでしょうか。以来、この日を八朔※として、武家では大名たちも同じように白帷子で登城することになりました。
また、この日は吉原でも白無垢の遊女たちの町道中がありました。病に倒れた花魁が白無垢姿で別れを告げたというのが、その由来ということです、“八朔の雪”と呼ばれたほど、白く美しい花魁道中。
こうして、江戸の人々は雪のような白い装いに、夏の日の涼を感じるとともに、武士たちは来るべき秋を前にしての仲間たちの士気を固める色としても意味づけていたようです。
そして、この家康を崇拝していたのが八代将軍の徳川吉宗※。家康のひ孫として、武芸に秀で“暴れん坊将軍”のあだ名でも知られる吉宗は、「享保の改革」など、質素倹約に努めるなど江戸幕府の実質的な整備をしたことでも知られています。しかし、その一方で、庶民たちの娯楽としての夏の隅田川での川遊びなどには理解を示し、当時の納涼のメッカとされた両国に橋をかけ、1733年(享保18)に花火の打ち上げを始めたのも吉宗でした。
この催しの意図は、娯楽だけではなく、飢饉や当時流行し始めたコレラなどで亡くなった人たちを弔い慰めるために始めたということです。隅田川だけではなく、今では各地で夏の風物詩として数多くの納涼花火大会が開かれていますが、もとは鎮魂の気持ちを表すという、意図がありました。
【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル
※氷室(ひむろ)
夏期でも氷が使えるように、池に張った氷を冬期に採取して貯蔵する穴室。山陰に穴を掘り、茅などで覆って氷を保存した。貯蔵した氷は、朝廷や幕府に4月から9月まで定期的に運び出された。
※白帷子(しろかたびら)
麻地の単衣(ひとえ)をいう。七夕や八朔の頃に着る習慣があった。
※八朔
旧暦の8月1日(新暦8月下旬ころ)の節日(せちにち)。この日を盆の終わりとする地方もある。秋の収穫を祈り、ユイという仲間同士の結束を高める目的もある。江戸時代には、徳川家康が江戸城に初めて登城した日として白帷子姿で迎えた。
※徳川家康(1542-1616)
江戸幕府の初代将軍。岡崎城主の松平広忠の長男。幼名竹千代。今川義元や織田信長と結び、武田信玄を滅ぼし、豊臣秀吉と和睦して天下統一に協力。関ケ原の戦勝後、1603年(慶長8)征夷大将軍となる。3男の秀忠に将軍職を譲った後も、大御所として君臨した。死去の翌年東照大権現の神号勅許を受けて、久能山から日光山に改葬された。
※徳川吉宗(1684-1751)
江戸幕府の第8代将軍。紀州の徳川光貞の四男として生まれる。享保の改革を実施した。幼名は源六。1716年(正徳6)、7代将軍徳川家継の死によって8代将軍となった。将軍在位は30年間に及び、享保の改革など財政再建と行政改革などを実施。倹約と米価対策に力を注いだため、野暮将軍とか米将軍などの綽名がつけられた。
参考資料
『日本人なら知っておきたい 江戸の暮らしの春夏秋冬』歴史の謎を探る会編(河出書房新社夢文庫)
『見る・読む・調べる 江戸時代年表』山本博文著(小学館)
『彩色事典 将軍と江戸の武士』(双葉社)
『大江戸24 時』(新人物往来社)
『八百八町 いきなやりくり』北村進著(教育出版)
『食物誌』石毛直道他著(中公新書)