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ビジネス歳時記 武士のおもてなし 「飴」第31話

戦国の兵士を癒した、「麦もやし」 の甘い力

3月の今風なイベントにホワイトデーがあります。全国飴菓子協同組合が約40年前に始めたもので、2月のバレンタインデーにチョコレートをもらった男性が、そのお返しにキャンディーなどの菓子を贈ろうという販促的な内容です。

どちらも平和な世の中だからこその甘いイベントですが、確かに甘いものには疲れを癒し、緊張をときほぐす力があるようです。ある食品研究家によると、生命の維持にかかわる塩とは違い、甘味は文明が進むにつれて嗜好され、緊張を和らげ幸せを感じるような味覚だと分析しています。

日本の甘味についての歴史は、最古の歴史書『日本書記』の神武天皇の項に「水無くして飴を造られた」という記載もあり、日本人は甘い」を「旨い」や「美味い」と読ませるほど、その味覚に親しんできました。今回は、戦国時代を生きた武士にも好まれた、甘味料の「飴」についてのお話です。

現在では代表的な甘味料に砂糖がありますが、平安時代の百科事典『和名類聚抄(わめいるいじゅうしょう)』に「阿女」とも書かれていた飴が主流でした。最初は、神様のお供えや仏事などに使う貴重なものとして扱われていたようです。その作り方は「飴は米もやしの煎なり」「今の俗、飴を作るには麦もやしを用ふ、米もやしを用ひず」と、材料が米から麦へと変化してきているのがわかります。

「もやし」とは、「蘖(ひこばえ)」。つまり米や麦を発芽させたもの。そのときにできる酵素を使って、デンプンを糖化させて「汁飴」という、発酵による甘味料の水飴を作ってきました。

鎌倉から室町時代ころになると、飴作りを商売にする者も出てきて、上流階級だけではなく、庶民も口にすることができるようになります。鎌倉時代の職人の風俗、生活を描いた絵入りの和歌集のひとつである『七十一番職人歌合(しちじゅういちばんしょくにんうたあわせ)』には、今でいうのど飴のような漢方薬の地黄(じおう)※を練り込んだ「地黄煎売り」の飴売りの歌が登場しています。

当時は、どちらかというと薬用としての飴に価値を置いていたのかもしれません。もっとも、この「地黄煎」は江戸時代には「上方の京都から江戸に下って伝わった飴」や「下痢止めに効果がある飴」の「下(くだ) り飴」と呼ばれ、変わらぬ人気があったそうです。

このように普及してきた飴ですが、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の戦国時代には水飴と餅や黄粉にゴマなどを練り込んだりしたものが、兵糧食としても利用されていました。戦場で食べる兵糧食は米飯を乾燥した糒(ほしいい)などが思い浮かびますが、今でいう大豆バーなど、素早くエネルギーに変える携帯食として、またその甘さが兵士たちを癒す嗜好品としても使われていたようです。こうして兵糧食としても食べられてきた飴ですが、今では各地の名物として、その歴史や逸話とともに作り続けられている菓子があります。

「朝鮮飴」※は虎退治の逸話で有名な加藤清正※が好んで食べていたという熊本市名産の飴菓子。もち米粉を煮て水飴などを加えて作った菓子。腹持ちも日持ちもよいことから、豊臣秀吉の指揮で清正が朝鮮での戦に臨むときに兵糧食として持っていきました。そして、清正が厳しい戦を乗り越えて凱旋したことを記念して、いつしか「朝鮮飴」の名前で呼ばれるようになったそうです。

また、「大豆飴(まめあめ)」※は石川県七尾市に伝わる加賀藩主の前田利家※ゆかりの飴菓子。清正と同様に秀吉に忠義を尽くした利家は賤ケ岳の戦いなどで武功を立てた武将ですが、この菓子を普段のもてなしにも使っていました。秀吉の好物だったようで、陣中食としてだけではなく宴席の饗応にも出していたのだとか。その後も地元の人々は代々の城主に献上し続け、藩の歴史とともに今に伝えられています。

各地にはこうした歴史に彩られた「飴」がほかにも数多く残っています。当時をしのびながら、味わってみるのも一興でしょう。

【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


※地黄
中国原産のゴマノハグサ科の多年草。地下茎に補血、滋養などの作用があり生薬として使用。

※朝鮮飴
飴菓子の一種。熊本市の名産。もち米粉を煮てのり状にして水飴などを加えて固め、短冊型に切って片栗粉をまぶした半透明の柔らかい求肥飴。くるみ・ゴマなどを入れたものもある。
〇九州お菓子モール
http://www.okashi-net.com/mall/sonodaya/

※加藤清正 [1562- 1611]
安土桃山時代の尾張の武将。豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いで功績をあげて七本槍の一人とされる。のちに熊本城主となり、文禄・慶長の役で朝鮮に出兵。そのときに虎退治をしたという逸話が残っている。築城の名手で、熊本城の設計は有名。

※大豆飴
石川県七尾市の名物菓子。青大豆粉、水飴などを練り合わせた柔らかい飴。
〇七尾特産品協会
https://nanaotokusanhin.com/merchandise/daizuame-saikorobako/

※前田利家 [1538-1599]
安土桃山時代の武将。加賀藩前田家の祖。賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家側から秀吉側に転じ、戦後、金沢城に移り、北陸を平定。五大老の一人となり秀吉の死後は秀頼を補佐した。


参考資料
『砂糖の文化誌―日本人と砂糖―』( 伊藤汎監修 八坂書房)
『近世菓子製法書集成1 東洋文庫710』(鈴木晋一他編訳 平凡社)
『事物起源辞典 衣食住編』(朝倉治彦他編 東京堂出版)
『和菓子の世界』(中山圭子著 岩波書店)
『和菓子ものがたり』(中山圭子著 新人物往来社)
『味と文化』(河野友美著 講談社現代新書)

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