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ビジネス歳時記 武士のおもてなし 第59話「沢庵」

将軍に口福を教えた、 沢庵和尚

11月の霜月(しもつき)は、その名の通り北国では霜がおり、初雪が降るほどの寒さになり、そろそろ冬支度を始める季節となります。最近は沢庵(たくあん)などの漬物は購入することが多くなりましたが、かつてはこの時期に各家庭で保存食として大量に漬け込まれていました。

11月11日は、漢数字で書くと十と一が大根を軒下につなげて下げたように並ぶことから、「沢庵の日」とされています。
漬物の中でも代表的な沢庵は、“沢庵和尚”こと江戸時代初期の禅僧である沢庵宗彭(そうほう)※が考案した漬物といわれています。そして、その味の虜になったのが第3代将軍徳川家光※。今回は、普段はご飯のお供的な副菜扱いにされている、沢庵にまつわるお話です。

「たいこうの ものとは聞けど ぬかみそに 打ちつけられて しほしほとなる」という和歌を詠んだのは宗彭。沢庵は干した大根を糠(ぬか)と塩で漬け込んでつくられますが、この歌はその塩梅を詠んだもの。たいこうとは大根のことで、糠漬けにされてしんなりとなる様子を表しています。

確かに「干し3年、樽取り5年、床一生」といわれるように、漬け込み方や糠や塩の加減もさることながら、干し方にもコツがあるようです。短期間で食べるなら、大根が「く」の字に曲がるくらいの干し加減、長く保存するなら「の」の字になるほどに干し上げるのが最適だとか。ただ、干すには広い場所が必要になるので、江戸市中の狭苦しい長屋などではできません。

そこで、練馬大根で有名な練馬村などの農家に頼んで干し大根を用意してもらったようです。江戸時代後期に活躍した戯作者の滝沢馬琴は、沢庵にする干し大根を入手するために、家族七人の下肥を農家に提供して代金代わりにしていたという話もあります。

江戸時代は庶民も白米を食べられるようになりますが、大がかりな水車で精米することができる層は限られており、漬物に使うための糠を潤沢に用意するのは、庶民の間ではまだ難しかったようです。ある意味で、僧侶のような特権階級や富裕層にしか糠を使った沢庵は漬けることができない贅沢な漬物だったのです。

一説には、宗彭が漬物の漬け方を覚えたのは、京都の大徳寺などの寺で修行していた時といわれています。それに磨きがかかったのが、幕府の権力に反発した紫衣事件※で現在の山形県に追放となったとき、布教の折に近隣の農民たちと漬物づくりの情報交換をしたのではないかと推測されています。そこで完成させたのが、保存食「貯え漬け」と名付けた漬物でした。

やがて宗彭は、幕府の権力を握る徳川家光によって江戸に呼び戻され、その後は宗彭の媚びずにはっきりとモノを言う人柄に魅かれた家光が彼を庇護するようになり、品川に建立した東海寺に落ち着くことになりました。

ある日、家光は宗彭に、最近、食が進まないと愚痴をこぼします。そこで、宗彭は朝10時に始める茶事に誘います。訪れると、亭主役の宗彭の姿が見えず、待てども待てどもなかなか茶事が始まらない。予め宗彭から途中の退席は禁止といわれていた家光は、空腹を我慢して待ち続けていたところ、午後2時過ぎになって、ようやく茶懐石のひと椀と二切れ※の漬物を宗彭が運んできました。

中身は茶漬けで、漬物をかじりながらガツガツと3杯もお代わりをして平らげた家光が、「この美味い漬物はなんじゃ?」と尋ねると、宗彭は自分で漬けた「貯え漬け」という大根の漬物であること、そしてお腹を空かせれば何でも美味しく食べることができると静かに諭しました。

家光は、自分の口が驕(おご)っていたことを反省しつつ、その宗彭のもてなしに感激して、「貯え漬け」ではなく「沢庵漬け」の名前をつけるように勧めます。こうして誕生したのが、沢庵だといわれています。

【監修】
企画・構成 和文化ラボ
東京のグラフィックデザインオフィス 株式会社オーバル


※沢庵宗彭【1573 – 1645】
江戸初期の臨済宗の僧。大徳寺の住持となる。寛永6年(1629)紫衣事件で出羽に流された後、赦免。徳川家光建立の東海寺の開山となる。

※徳川家光【1604 – 1651】
江戸幕府第3代将軍。幼名、竹千代。家康や秀忠の遺志を継ぎ、武家諸法・参勤交代の制度などを整え、幕政の基礎を築いた。そのほか、キリシタンを弾圧して鎖国体制を強化した。幼少時には病弱で、乳母の春日局にさまざまな野菜や魚などの具材を入れた混ぜご飯を作ってもらうなど、早くから食通に育てられたともいえる。

※紫衣事件
寛永4年(1627)、江戸幕府が朝廷に対する権力を誇示した事件。後水尾天皇が大徳寺・妙心寺の僧に与えた紫衣着用を禁止し、寛永6年、これに抗議した大徳寺の宗彭らを処罰した。

※二切れ
一切れは「人斬れ」、三切れは「身斬れ」に通じるとしてゲンを担いだことから、盛り付け作法の常識のようになった。


参考資料
『沢庵和尚 心にしみる88 話』(牛込覚心編著 国書刊行会)
『江戸の食卓』(歴史の謎を探る会編 河出書房新社)
『事物起源辞典(衣食住)』(朝倉治彦他編 東京堂出版)
『漬けもの手帖』(杉浦明平、小川敏男著 平凡社カラー新書)
『漬けもの博物誌』(小川敏男著 八坂書房)
「週刊朝日百科 漬物・保存食品」(朝日新聞社)



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