大学推薦入試制度は媚びなのか
この前ある講義で「関心、意欲、態度が生徒の成績評価に関わることについて」が取り上げられていた。この講義では、関心意欲態度が生徒の成績評価に関わることで、学校生活において先生に従順でいるよう生徒に圧力がかかる上、何をどう頑張ればどういう結果が出るかが不透明で絶えず努力が要請されるため、成績評価から関心意欲態度を無くしてテストの点数のみで成績評価をするべきだという話がされていた。
その中で、1人の学生の意見が印象的でよく覚えている。
「学校推薦入試(指定校推薦・AO入試など)は、先生に気に入られた生徒が優遇される仕組みになっている。その結果、推薦を取りたい生徒は必然的に先生の前では従順で『良い子』でいなければならず、自分の意見や価値観を抑え、先生に合わせることを強いられてしまう。もし先生と意見や考え方が異なる場合でも、自分の考えを主張することは難しく、先生に嫌われないよう振る舞わなければいけない。なぜなら、先生の主観によって関心・意欲・態度の成績が左右され、それが校内推薦の可否に直結するから。この状況を考えると、推薦制度は生徒に『先生に媚びる』ことを求める制度とも言える。こんな制度が続く限り、生徒は主体性を失ってしまい、自分らしさを押し殺してしまいかねない。だからこそ、推薦制度という先生に媚びを売ることを強制する制度は廃止すべきだと考える」
私はこの主張を聞いて驚いたのだが、それ以上に驚いたのは、この主張に賛成している人がたくさんいたことだ。やはり一般入試でコツコツ勉強してきた人は、推薦で大学に入学した人たちに何かしらの不平不満を持っているのかもしれない。推薦入試を使う人に対して、「あいつら勉強できないから先生に媚び売ってる」って思っている人もいるのかもしれない。実際に、大学で指定校やAOアンチの人に出会ってきた。
たしかに関心意欲態度の欄って、評価の基準が不透明で、先生の完全な主観で判断されているなと思う。(仕方ないですが)だから先生に好かれた方がいい評価がつくのかもしれない。
ただ、私はこの主張には賛成できないな〜と聞いていて思った。そもそも推薦入試は媚び制度、というところが引っかかる。
私は、「媚びる」は利益や見返りを求めて他者に迎合し、自分を取り繕う行為だと考えている。推薦入試における「先生への好印象を与える行動」は、必ずしも「媚び」には直結しないのではないかと思う。たとえば、推薦を目指す生徒が自らの努力で真剣に授業に取り組み、積極的に発言したり、クラスの雰囲気を良くしようと行動したりする場合、それは「媚びる」ことではなく、自己成長や集団への貢献を目指す自然な行動だと捉えられる。
また、先生との良い関係を築くことは、「媚びる」こととは異なると思う。生徒が自分の考えや価値観を抑え込んでいるのであればそれは問題だが、先生や他者に対して敬意を持ち、信頼関係を築く努力をすることは、社会で生きていく上で必要なスキルの一つだと思う。推薦入試は、この「関係性構築力」を評価する仕組みでもある。
そして、推薦入試は学力だけでは測れない生徒の人間性や意欲、リーダーシップ、協調性などを評価するための制度でもあると思っている。もちろん、この評価が主観的になりやすい点や、不透明さが課題であることは否めない。ただ、推薦入試自体が「媚びる行為」を奨励していると断定するのは極端すぎる気がする。
これはあくまで私の考え方であり、正しいわけではないが、少なくとも媚び制度ではないのではないかと思っている。まあでも、結局大学は入試方式じゃなくて入った後何をするかが大事だと思うから、身もふたもないことを言うと、別にそこまで気にするようなことでもなさそうな気もする。