宗右衛門町〔菱富〕での『坂東竹三郎を囲む会』にて、竹三郎さんのお園のクドキを観る。
いつも精力的に、そして独特の企画をされている宮岡博英事務所さん。
以前から、坂東竹三郎さんの朗読や芸談を聞く会を開催されているのは、お送り頂いている案内やブログから存じ上げていた。今回の疫病騒動で、一月から舞台に立っていない竹三郎さんの為に立ち上がられた。
宗右衛門町の鰻屋〔菱富〕さんの二階御座敷で、「酒屋」のお園のクドキを、竹三郎さんが初役で挑戦される、とのこと。それにお話と、食事が付く。若干数募集の定員はすぐに売切れ、追加分に滑り込み、楽しみに8月8日を待った。
さて。8月8日、土曜日の昼下がり。人通りが少なくなっている戎橋を渡り、宗右衛門町〔菱富〕さんへ。昼2時15分、開場。
会費9500円を宮岡さんにお支払いして、2階へ。手洗い消毒して、会場となるお座敷へ。雪の間と月の間をぶっ続けにした、道頓堀に面しているお部屋で、換気として窓を開放している。喧噪は、思ったより少ない。この点は、嬉しい。
会場には、女性8割男性2割、20人弱。お着物姿の方もチラホラ見受けられ、扇子が動く。9月はどうなるやろか、遠征しようかしよまいか、という話し声が聞こえる。
昼2時半、開演。宮岡さんがまずご挨拶。
宮岡「ご来場頂き、ありがとうございます。
竹三郎さんも心配していましたが、開催することになりました。窓は開けっぱなしで参ります。
おかしなものですね、家族は、濃厚接触しても何とも言われない。ですので、今日は皆さんは、遠ぉい親類縁者ということで、御願い致します。
細心の注意を払って、と申しましても、手洗い消毒と、フェイスガード、くらいしか出来ませんが、換気は十分にやってまいります。
静岡にあります大衆演劇の小屋〔清水ヒカリ座〕の宣伝文句が凄かったです、「当劇場は、ほとんど野外です」。その気合と同じもので、臨みます。どうぞよろしくお願い致します。
今回の「酒屋」のお園は、本当に初役だそうです。こういう、初役をお願いすると、大概イヤがられるものなんですが、いいよ、とお引き受け頂けました。それでは、ごゆっくり」
と、ポチンと音響のスイッチを押され、部屋の外へ。土佐大夫の音源が流れる。障子は開けたままで、あとには園が憂き思い。〽かかれとてしも、で、上手すなわち今開けた障子より、竹三郎さんが登場。藍鼠色、というのか、昏い色のお着物に、茶の帯。手を軽く前に垂れるように火鉢の前を歩まれて、下手に。
結ぼれとけぬ片糸の、で、履物をつっかける足の動きがあり、繰り返したる、で戸を開けて、一歩外に出た心。三味線のツ・ツ・ツ・ツ、ツン、で、左手を顔まで上げて、塀に手を突いて体を支えるような感じ、ただし掌は正面を向いて。右手は軽く腿に這わせる。三味線に合せて形が出来上がる。
「今頃は、半七っつァん」
サンとツアンの間のような声。そして、きれいな竹三郎さんの声。今頃、で顔を顰められた。
〽わしといふもの、で家の中に戻る。戸を閉める表現は、左手で戸を閉める仕草をし、迎えた右手でポンと手を打つ。乾いた音がする。〽子までなしたる、で半身を火鉢に取り付き、〽三勝殿を、で立膝になり、でも印象としては半分左に傾きながら、花道の方を見つめる。思わず、花道と書きたくなるほど、遠い目、表情、芝居の顔。
〽呼び入りさしゃんしたら、で、そのままクヨクヨと身体を、首を振る。〽半七さんの身持も直り、小さく畳んだ手拭で細かく涙を拭う。羽織に目をやり、引き寄せる。
〽ご勘当も、で羽織に袖を通し、〽この園が、で羽織に袖を通したままわが身を抱く。目を固く瞑り、眉根を上げての泣き顔。
〽去年の秋の煩ひに、で、羽織を床に敷いて畳んでいく。〽いつそ死んでしまうたら、の文句のあいだ、切々と畳んでいく様子を見守る。〽かうした難儀は出来まいもの。ま・い・もので思い入れ強くトンと最後の一たたみをして、〽ものォォォォで、畳まれた羽織を、抱き締める。
〽お気に入らぬ、で立ち上がり、〽未練な私を、でトンと後ろに置かれた行灯にぶつかる。
行灯下に置かれた簪と懐紙を持ち、〽輪廻ゆゑ、の節に合わせて、立膝で、左手に持った懐紙に簪をポンと打ち付ける。手を打つような感じ。小さな小さな見得のよう。頭に挿す振り。
〽添臥は叶はず、で涙を拭いた紙を袖に入れ込み、右手で左の袖口を、左手で右の、と、互い違いに持ち、歯を喰いしばるような、身震いを我が手で抑えようとするような形に。
〽お傍にゐたいと辛抱して、で立ち上がり、〽これまでゐたのが、上手を見遣る。〽お身の仇、で、手の甲を右、左と叩く。義太夫狂言で我が腕を叩いて悔しさ、不運さに怒る、あの感じ。でもお園はそこで、エエェェと声を上げて泣く。そしてまた、互いの袖口を持って堪える。
火鉢の縁を撫でていたが、〽死ぬる心が、で、火箸を逆手に握り、〽付かなんだ、首を突く振。突かなんだけど。〽堪えて給べ、で火箸を灰に戻し、手拭で火鉢の縁を拭く。手拭を懐に直し、立ち膝で目線やや下ろし、右、左、と自分の身体を見る。立ち上がり、思い入れ。
〽恨みつらみは露程も。グウと真正面の遠くを見ながら懐に右手を入れて、ぼうと立つ。また行灯にぶつかった記憶があるが、定かではない。
アイタ、という声を聞いたが、メモしていて見られず、残念。立膝になり、帯を直す振。立ち上がり、今度軽く握った右手を胸に当て、また泣く。
へたりこみ、火鉢の近くで、小さく体を畳んで、泣いて終わる。「ありがとうございました」とパッと笑顔になって、楽屋に帰られた。
寸法としては舞のような感じだったが、芝居を観た濃厚さもあった。山村太鶴と坂東竹三郎を一緒に観た、と思っておく。そうそう、肝心のところ、感極まるところはつい見入ってしまうので、メモがおろそか。お読み頂いていて、すみません。また、この場をお借りしまして一言、写真に入ってしまった方にも、ごめんなさい。
宮岡さんが再び登場される。
宮岡「酒屋あんまり出ない出し物ですね。今年の正月の松竹座で、扇雀さんが酒屋をやられて、それ以前は10年前に東京で福助さんがやられるまで遡ります。その時に、竹三郎は茜屋の半兵衛で出ておりました」
扇雀さんのお園は拝見した。鴈治郎さんの半七で、最後に早替りで再び扇雀さんが、三勝で出られた。ピッタリくっついて回って踊る幕切れが印象に残っている。
宮岡「今日は応援に坂東竹之助さんも来て下さっています。ちょっと出てきてもらいましょう」
竹之助さん登場。白に豆絞りのように青の点点の浴衣。マスケット着用。
竹之助「お暑い中、お出で頂き、ありがとうございます」
宮岡「自粛期間中は、どうされてましたか?」
竹之助「芸道精進しております。
家に三ヶ月もいることがないですから、長くてフタ月ですので、初めて、家を満喫しました。本の整理とか。
そして、初めて三月もの間、師匠と会いませんでした。電話はするんです、生存確認で。
3月は明治座に出る予定でしたが、芝居やったらアカン、言われだして、翻弄されました。何とかいけるのでは、と仰有る方もいらっしゃりましたが。
いざアカンとなると、四段目の評定みたいに、どうしょうと集まりまして、そこで改めて、芝居の結束力を感じました。
芝居が無くなると、楽屋が恋しいですね。しんどいなぁ、と楽屋で言うのが、支え合ってる感じがしたのですが。楽屋の、そういう交流が、舞台に出ると思いますので、芝居の立て方、拵え方も変化するでしょうね」
宮岡「相撲の土俵みたいな、開放的なところでやるのは?」
竹之助「人を集めてはいけない。お芝居を観に行く、華やかな一日を体験をしてもらうには、ねぇ。
大阪の人間は、覚悟してますね。この一年は出来ないぞ、と。だから、歌舞伎座を応援するしかないです。でも、気ぃ遣ってやって、タイヘンやと思いますよ。だから、今、配信や、『半沢直樹』でこんな顔して、それで歌舞伎に興味を持つよう、歌舞伎の為にやってくれてはるのやな、と」
宮岡「大阪の劇場は、歌舞伎座に比べると小さいですね」
竹之助「楽屋も狭いですよ。楽屋だけでなく、床山とかも、ギュウギュウですよ。そこで、ああでもない、こうでもない、一つの部屋でおるのが、修業なんですわ。
役者は、一人では何にもできないですから。カツラ無かったら、ただの人やし」
宮岡「芝居は、究極のコミュニケーションですね」
竹之助「お弟子さんも含めて、一人ひとりおって、作ってんやなぁ、と思います」
ここで、竹三郎さんがお出まし。先程のお着物に、黒の羽織。羽織紐は青。椅子に腰掛けられる。
宮岡「ありがとうございました。8月4日で、八十ウン歳になられて」
竹三郎「お蔭様で、この8月8日を、八十八で迎えました」拍手
宮岡「八十八でお園初役。
竹三郎「先輩方もやっておられますから」
宮岡「昭和30年代は、よく酒屋出てましたが、最近は出ませんね。今年の扇雀さんと、半兵衛で出られた時の福助さん」
竹三郎「あと、坂田藤十郎さんのNHKホールで一日だけ、もありました」
宮岡「お園、というお役に就いて」
竹三郎「メソメソしてますので、大好きな役ではないです、性格合わない」
に、客席大笑い。
竹三郎「陰の方ですのでね。私は陽。
体が動かなくなってしまったので、丁度良いくらいです。若い頃やってたら、とんでもないですね」
宮岡「三世梅玉、二世鴈治郎、大概お園と、早替りですね」
竹三郎「半七は、優柔不断、だらしないですね。甘えてんですかねぇ。今でいう、不倫ですからね。しかし、酒屋をやるとは思いませんでした」
宮岡「今日の道具の、この羽織は?」
竹三郎「養父の尾上菊次郎が、京都に住んでおりました時、火事で焼け出されまして、みんな燃やしてしまいました。で、十四世守田勘彌さんと仲が良かったんです、「渡辺、本名が渡辺でした、が、大変だろうから」と着物を頂いた中にあったのが、この羽織で、養父が、お前にやるよ、ということで頂きました。どうぞ、ご覧ください」
と、お客さんに手渡される。酒屋の後半みたいな感じで、順繰りに手に取って見せてもらった。
竹三郎「行灯ですが、江戸は四角です、上方は丸行灯です。今日のこれはカリモノです。行灯の丸と四角の違いは、世話場は丸ですね。時代世話も」
宮岡「お園の他に、クドキは、鮓屋のお里とかありますね」
竹三郎「振り事があるので、独立してやる機会もありましたが、やらずに来ました。
舞踊会で出す……なら、自分の好きなものを出しますから、わざわざ好きやないのはやらないです。
やっぱり、自主公演は手銭使いますから、イヤイヤやるよりは、自分の納得いくもんをやらないと。お客様に見て戴くわけですから。
今日は、是非に、と言うことで、やりました。好きで好きでしょうがない、言うわけやないです。地味なもんが、私は弱いので」
笑顔を絶やさず話されるので、こちらも笑ってしまう。
竹三郎「こちら、料理屋さんも、こういうご時世ですから、大変でしょう。皆さんも、ご時勢悪い時に、ご参加して頂いて、ありがとうございます。
今まで、休演が続くのはありましたが、6ヶ月というのは……。七月の松竹座が、ショックでした。
歌舞伎座も、開きましたが、まず東京の俳優さんを捌くのだけでも大変でしょう。二座あったら、呼んで頂けるかもですが、婆さん役は向こうにもいらっしゃるみたいですから」
ちょっとボヤキ。ニコニコしながら。
竹三郎「久しく舞台に出てませんから、怖いです。今日も怖かった。やはり、常からやってないと、ね。
実は今年、8月1日、2日と米寿記念で自主公演やろうと思っていたんです。発表してなかったから、良かったです。発表してたら、寝られなかったでしょうね。
自分の会、今年を最後にやって、引退も……と考えたんですが、まだ早いかな、と思い止まりました」
ここで、お誕生日おめでとうございます、と花束の贈呈。
宮岡「それでは、今日はお開きに」
に、竹三郎さん遮って「そんな早い。折角ですから、質疑応答しますよ」
宮岡「予定外ですが、では、質問を」
質問「ぜひ、来年もやってください」
竹三郎「頑張っていきます」
質問「古い話ですが、竹三郎襲名の時に、久我之助をされましたね。久我之助も陰ですが、そのお話を」
竹三郎「まぁ、あの、襲名ですから、仕方ない、ハハハハ。
十五代目の羽左衛門さんがよくやってらして、さぞかしイイ役だろう、と思ったら、マァこんなエライ。
十三代目の仁左衛門さんと、菊次郎が出てくれました。
ツラい役です。腹切ってからは、下向いてますから、他の方の芝居見られないし、ハハハハ」
宮岡「竹三郎襲名の時も、我童さんが酒屋で出てますから、縁が無い演目でもないんですね」
質問「引窓を是非、やってほしいです。仁左衛門さんとやって頂きたいです。その配役でのファミリー感が好きなんです」
竹三郎「ありがとうございます。お幸ですね、今ちょっとやらしてください、やって下さい、言うても、あの役は始めからいるので、キツイんです。婆さん、と言うても、あのお幸は、婆さんの中でも大役ですからね。この今、言われたら、ちょっとお断りするかも知れません」
質問「四代目猿之助さんと、また共演して下さい」
竹三郎「私は色々やりたいんですが、向こうの出し物が、古典をやりませんから。あの人とやるものが、意外と少ないんです」
宮岡「良弁杉は?」
竹三郎「いいですね。ただ、お坊さんの数が要るので、中々出来ません。
朝日座でやらして頂きたいなぁと思ったんですが、その時は大道具さんに、断られました。あのお寺が飾れない、と。
菊次郎がまだ元気だったので、出てもらいたい、思ったんですが」
宮岡「良弁、いい話ですよね。たくさん人が出て来ますが、あの二人に集約させる」
竹三郎「今の猿翁さんと菊次郎が、地方でやったんです。それが良かったので、アァやりたいなぁと思ったんですが、ご縁が無くなりました」
質問「菊次郎さんとの共演で、印象深いのは?」
竹三郎「襲名です。あまり共演がないんです。というのも、菊次郎は、あまり私の芝居が好きじゃなかったんですよ、ハハハハ。
菊次郎は、六代目信者で、私は梅玉魁車で言う魁車だったんで。お前とは合わない、と。輝虎配膳の越路以来出てないです」
『傘寿記念 坂東竹三郎の会』パンフレットより。この会は、四世尾上菊次郎三十三回忌追善でもあった。
宮岡「襲名の会見は、ここ菱富さんの隣の隣くらいの、キリン会館だったんですね」
竹三郎「昭和40年位の話ですから、相当前ですねぇ。月日が経つのは早いですねぇ」
宮岡「出てきただけで満足、という方もいる中、こうしてお仕事されて」
竹之助「去年は調子悪かったですね。でも今年は、その頃より、お側で見ていて、良くなりました」
宮岡「先程の若い女性も、お婆さんもやれて、ね」
竹三郎「ただ、婆さんをやる時は、少し考えてしまいます。足がしんどくてねぇ。訓練、スクワットはしてるけど、やはり、常日頃から、正座、立ち座りしてないと。正座から立つのが、しんどいんです。
来年、お目にかかれたらいいんですけど、いないかもハハハハ。
自主公演、流れてしまって、かえって良かった。最後の公演にしよう、思ってましたから。やっぱり、皆さんにいいものを見て頂かないと。それには、本人が元気でないと。
質問「今の歌舞伎座のやり方、4部制、役者総替え、を、もし南座や松竹座でも、となったら、どんな番組、どんなお役で、出てみたいですか。松竹にアンケートで答えますので」
竹三郎「松竹が考えてくれてまして、こういう役やったら大丈夫ですか、と提案してくれます。それ見て、ちょっとと断ったり、やらしてもらったり、です。
半年で足が本当に弱ってしまって。これが本公演があったら、気持ちが違ってきますから。七月松竹座が流れたのが、ショックでした。
歌舞伎を開けて下さるのが、切なる願いです」
宮岡さんより、お料理が出来ましたので、と、お開きに。
竹三郎「近い内に、またこういう事をさして頂きたいです。ありがとうございました」
順番に部屋を出る。と、竹三郎さんが腰かけてらして、皆にお土産として、サイン入りのお写真を、手づから頂戴する。
吉野山の静御前。こころもち、半眼にされたお顔。思わず、うわぁキレイと言うと、握手して下さった。また楽しみにしてます、とお伝えする。
松・竹・梅の部屋に分かれ、鰻を呼ばれていたら、麻のジャケットに着替えられた竹三郎さんが、「皆さん、今日はありがとうございました、また宜しくお願い致します」と、ご挨拶に来られた。
お元気そうで良かったですね、という声が各テーブルから聞こえていた。
宮岡さんが今回の会の告知のブログで、
付言しますと、これを機に「芸能」 が“お座敷に戻ってくる可能性があるよ うな気がします。
今後もいろいろと催しを考えております。
と、綴られていた。
人生の、明るい面を見る。しんどい、と口にされながら、八十八で初役をされた竹三郎さん、しんどいなぁと楽屋で言うのが支え合いになっていた、と語る竹之助さん。
それに通じるものを感じた。